アジアンハートビート〜Asian Heart Beat〜


今だから書ける、サイクロンのお話

Posted in ミャンマー,麻生あかりのYANGON日記 by Asian Heart Beat on the 9月 15th, 2009

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サイクロンが来たあの夜。
その夜に限って私の夫は外国にビジネストリップに出かけ、
夜は彼の実家に同居とはいえ女性だらけ。
夜の八時にぷつっと停電したのが始まりだった。
あの時はまだこんな大惨事になるとは全くもって予想していなかった麻生は、
「せっかくDVD借りてきて一人でゆっくり見ようと思っていたのに〜〜」と
腹立たしい思いをしながらすることも全くないので、9時には眠ってしまっていた。
皆さん早っと思うかもしれませんがね、夜停電すると本当に本当にすることがないんですよ。

それで早々と爆睡していた私は12時過ぎにふっと地の底から聞こえてくるかのような
ゴ〜〜〜〜と言う音で目が覚めて窓の外をのぞいてみると・・・。
なんと雨が上から降ってくるのではなく、左から右に降っているではありませんか!!
しかも庭に植えてあるやしの木がぎゅ〜〜〜とこれもまた無重力の世界にいるかのように右に生えている・・・。
そして私の目の前でバキバキ〜〜〜・・・・。折れましたね。ハイ。
その時点で私の目は完全に点になり、頭は真っ白になったまま呆然とその光景を朝まで
見続けておりました。
朝になって自分の部屋からリビングに出てみると何と、家の中はざあざあと雨がふっておりました。
屋根が吹き飛んでいたのです。
その状態が昼ごろまで続き、外にも出られなかったのですが、やっと収まって
庭に出てみると・・・。

サイクロン直撃後、家の庭を見てみると・・・

写真のとおりの有様になっていたのでした。。門に木が倒れて外にも出れません。
そのまま家に閉じ込められること3日間。その間電気はもちろん、井戸からのくみ上げ式なので
水もこず、料理は炭火で。電話線は切れ、携帯電話はと言うと充電ができずにこれもまた使えず。
ああ〜〜いくら発達して便利になった道具もこれじゃあただの子供のおもちゃにもならんぞ!!と
携帯に八つ当たりしても何も変わらず・・・。
その後色々な人から手伝ってもらい門に倒れた木を切り倒し外に出ると・・そこは
ヤンゴンではなくうっそうとしたジャングルが広がっているだけでした。
この瞬間私たちはこれはもう一刻も無駄にできないとすぐにホテル探しを始めたのでしたが・・・
これがまた急な値上げ、ガソリンもまるで日本での石油ショックのよう(いや私は実際にあったわけではありませんが)
ガソリンを入れるのに5時間待ちで一日2ガロンしか入れられません・・・・。
ようやくホテルを色々な知り合いにあたってゲットし、3日ぶりにお湯でシャワーを浴びた瞬間、「ああ〜私今やっと人になった気がする・・・」と水のありがたさを実感したのでした。
子供も小さいのでそのまま水と電気が普及するまでの2週間を結局ホテルで過ごすことになりましたが、家に電機が戻った瞬間は本当に家中の人が盛大に拍手をしたものです。
その後自分たちが人間として生活することができるようになってから初めて、どれほどの被害をほかの人たちが受けたかを知り、自分たちがそれでも家族全員無事でラッキーだったと言うことを知りました。
私の家でも義理の妹はすぐにお金をかき集め、村ごと沈んでしまった人が避難しているところに物資を運んだり、もう着ない服、靴など生活雑貨を何袋も送ったりしました。

被害を受けた当時、ホテルに泊まっている私にジャーナルの記者がインタビューに来てこう聞きました。
「なぜあなたは日本に帰らないのか?」
家はもちろんのこと、家族全員を失っている人がいる中で私がインタビューを受けたのは自分の泊まっているホテル。
その事を恥ずかしく思いながら私は答えたのを覚えています。
「私は今ここに一人ですんでいるわけではありません。夫は外国に行っていませんが、夫の母と妹も一緒に住んでいて、彼女たちは私の子供がまだ小さい為、あらゆるコネを使ってホテルをとってくれました。
今ホテルで暮らせるのも恐縮の限りなのに、ある意味彼女たちを捨てるようにして私と子供だけ日本に帰れると思いますか?確かに伝染病とか色々なことが懸念されていて、できれば帰国するように大使館からも薦められていますが、じゃあ、ミャンマー人はどこに帰ればいいのですか・・・。」
あとでジャーナルに私のインタビューの記事が載っているのを読んで、なんて偽善的なことを自分自身言っているのだろう・・と
思ったものですがあの時はとてもとてもいっぱいいっぱいだったので何も考えられませんでした。。。

そして一年以上たって今。
今でも洗顔するときは水をためて使っています(笑)
ろうそくの買え置きもかかしません。
懐中電灯なんて一部屋に1つあります!!
そして電気のありがたさ水のありがたさを今でも痛感しています。
それからあの当時義理の母が言った事。
「自分たちのできる範囲でやれることを迅速にする」
あの当時貧乏な人も裕福な人も自分たちにできる範囲で本当によく
被害にあった人たちに協力して物資を送ったりしていました。
馬鹿みたいなことを書いていると思われるかもしれませんが、
私はその行動を目の当たりに見て、「これって人間にしかできないよな・・・」
と思ったのでした。

サイクロンに関しては書くことがありすぎてまとまりがつかないので
これくらいにしておきます。あの当時日本からも色々と物資を送ってくださったり
たくさんの人々から励ましのお言葉をいただいたりしました。
本当にありがとうございました。
ここに改めて御礼を申し上げさせていただきます。

麻生あかり