F1が終わった。宴の後のマレーシアはなんとなく寂しさが漂う。
マレーシアGPは「世界一熱いレース」という異名はを持つ。
日本語では、「熱い」と「暑い」と書き分けられるが、あながち誇張ではない。
F1開催の定位置となった3月20日付近は折りしも春分。赤道直下のマレーシアは、南中時は頭の真上に太陽が輝く。折りしも雨が少ないことも暑さに拍車をかけている。
実際、ペナンやキャメロン高原では貯水池のレベルが危険領域に入っているという。
それで今年のF1も世界レベルのセレブがこの地を訪れた。
F1は一大興行なのであることがあらためて感じられる。
日本人有名人では、渡辺謙やキムタクなどF1の華を添えにやってきたなど有名人ウォッチングが好きのボクも興味をそそる話が新聞やネットを賑わしているが、どうも心がときめかない。
そう、本来の主役である佐藤琢磨が欠場したからだ。
体調の不備は責められるものではないが、F1の世界はたったの20人しかレースに出走できない。代役を1度でもたてれば、次にその席に座れるかがは保障されない厳しい世界なのだ。
佐藤琢磨を見たのは01年。翌年ジョーダンでのデビューの準備段階の視察としてセパン国際サーキットを訪れた時だった。日本人のレーサーとしてはじめから海外で経験を積んだ彼が型破りの存在であったことは経歴として知っていたが、驚いたのは彼の英語力。発音がいいというレベルだけでなく、ロジックの進め方などもしっかりしているのだ。
ボク自身はモーター・ジャーナリストではないので、他の日本人レーサーを多く知っているわけではないのだが、99年に見た高木虎之助はこの面では落第だった。インタビューは通訳付きだし、内容も記憶に残るほどの内容はなかった。かろうじて、どのサーキットが好きかとの質問に通訳を通さず「スズカ」とボソっと答えただけだった。
いまでこそ中田英寿やイチローら日本人が世界に通用することを証明して日が経つ。サッカーや野球は最低の意思疎通ができれば語学力は問われない世界。しかし、意外にもモータースポーツには、語学力は非常に重要だ。レーサーはクルマを速く運転する能力だけでなく、速いクルマを手に入れる能力が必要だ。つまり、スポンサーやレースチームにアピールする能力だ。スポーツ選手も顔が命で、イケ面ならば黙っていてもスポンサーが付くこともあるが、英語で自己PRができるかで差が付く。
そして決定的に英語力が必要なのが、クルマのエンジニアやレース作戦参謀たちとのコミュニケーション。モータースポーツは体の延長となるクルマから最大の能力を引き出さなければいけない。それはドライバー自身だけではなく、クルマのセッティングを担当するエンジニアであり、ドライバー長所を生かした戦略を練ってもらうレース監督の手を借りなければいけない。モータースポーツは高度なチームスポーツなのである。
昨年の佐藤琢磨の成功は、もちろん「前に走るクルマは抜くためにある」といってはばからない攻撃的なドライブだが、やはりそれを可能にしているのは彼のコミュニケーション力に負うところも大きい。F1マシンを100分の1秒でも早く走らせるために、彼は微妙なニュアンスを自身の言葉でチームに語り、現在の場所まで来た。
海外に住んでいるという共通性しかないボクのような凡人でも、彼が日本人でここまで海外で通用することを示してくれたことに心を躍らされた。
その日本人最高のプロ・レーサーが発熱に倒れてしまったのが残念だ。まだ、マレーシア国内に留まっているようだが、早く元気になってBAR・ホンダの惨状を救ってもらいたい。