さて、懸案のレシュモニュ来日日記の最後の記述。
翌22日(土)は、といっても打ち上げの時点でもう日付は変わっていたが、この日の予定は午後からインターネット・テレビ局『あっと驚く放送局』の番組に生出演。
レシュモニュは、どんなに遅く寝ても8時は目が覚めるという朝型のジミーさんとホテルの周りを散策していたらしく、銀座の歩行者天国を散策してきたようだ。貪欲に新しい場所を見ようという姿勢にびっくり。ただ、アロンゾは二日酔いでダウン。ラテンの血が爆発しすぎたのか。ただ、マレーシア人も日本人みたいに狂った様には飲まないが、酒には弱くないよう。
それで『あっと驚く放送局』のある秋葉原に移動。3時からアイザ所属のバンド、風りんのナベタケンさんとサニーサイド・チキンのカズーマンさんのコーナーに飛び入り。レシュモニュは段取りのない日本風の“ゆる〜い”ノリに戸惑いながらもホスト件、DJ役のカオルさんに例の「とてもキレイです」を披露しながらそつなくこなす。途中からDJ Fuzzと通訳としてアサ・ネギシも飛び入りする。ただ、アサ・ネギシは、英語で10の分量が日本語で2ぐらいにしかなって出てこなくて通訳にならない始末。(お叱りのメールが来たか?)
ここでアサ・ネギシ「英語で聞いても日本語に訳して考えていないんだよう」と言い訳しておく。
収録のしめくくりはカズーマンさんの「ふにゃ&ピース」を全員でやって終了。
収録後、レシュモニュはDJ Fuzzに「もっと簡潔に話すべきだ」とアドバイス。アサ・ネギシにも「しゃべりはそのうち慣れるよ」とのお言葉。“レシュ兄貴”ぶりを発揮。ちなみにレシュモニュはDJ Fuzzとアロンゾが「食べるものが合わなかったら困るから」とマレーシアから即席カップ麺(いわゆるマギー)とコーヒーを持参していた。人の名前は1回で覚えるし、本当にマメ。マネージャーの領域の仕事も身にしみ込んでいる。
その後、ハイテクの街を見たいと言う要望に応えてそのまま秋葉原(アキバと言えない所にアサ・ネギシのの本不在歴が表れている)を散策。初めに新装開店した某カメラ系量販店に立ち寄るが、レシュモニュは「露店商のようなところを見たい」と希望。無線機やパーツなどが並ぶ電気街を散策。彼の父は航空機のエンジニアだったとのことで、雰囲気がお気に入りのようだった。
ちょっと時間は早かったが、アロンゾを拾って夕食ということになった。車窓からレシュモニュが発見して、ぜひあそこで食べたい!と希望していた青山の『トニー・ローマス』へ。なんでもシンガポールやバンコクには支店があるものの、マレーシアには進出していない美味しいスペアリブを食べさせるお店。
一行は勇んでレストランに向かうが土曜日ということもあり、満席とのこと。しかし、レシュモニュは「大丈夫、なんとかなる」といって交渉。アサ・ネギシも「彼らはここの食事を楽しみにしていたんだ」とかけあって、カウンター席に着くことができた。レシュモニュは「ボクはレストランでウェイターをやっていたことがあるんだ。何とかなるもんさ」と。けっこう苦労人だという一面も。
念願の巨大なスペアリブに嬉しそうに食いつくレシュモニュや豚は食えないから半羽のチキンと格闘するDJ Fuzzを尻目にアロンゾはオレンジジュースをすすっている。アサ・ネギシが取ったコロンビアの食べ物に通じるものがあるメキシコ料理を勧めても手を出さない。ここでレシュモニュはアロンゾに「今日は体調が悪ければキャンセルしてもいいんだぞ」と“レシュ兄貴”の気遣い。
その後はDJ Fuzzがどうしても手に入れたいCDがあるとのことで渋谷のMHVに行き、その後徒歩でスペイン坂にある人気クラブ『ラ・ファブリック』にリハーサルに。『ラ・ファブリック』では、バブル・パーティーに特別出演。ハウス全盛のシーンということもあり、R&Bシンガーのレシュモニュ出演の詳細が決まったのも前日のこと。TAMのように関係者が観客ではないので、レシュモニュにとっては大きなチャレンジであった。
短い滞在ながら観察眼の鋭さと適応力に長けるレシュモニュは、てきぱきとサウンド・エンジニアと交渉を進めていく。まず、相手にどこまでできるのか聞いてから自分の求めるレベルとの妥協点を探っていく交渉術に脱帽。反対に今日は持ち味を十分発揮できるDJ Fuzzは、わざわざ持参したターンテーブルが使えないところが不満そうだが、しぶしぶ了承した感じ。裏で“レシュ兄貴”から主張の仕方についてプライベートでじきじきにアドバイスを受けていたようだ。
リハーサル後には、クラブ担当者から「午前3時の出演を午前1時に繰り上げてもらえないか」との嬉しいオファー。レシュモニュのレベルの高さとプロ根性がそうさせたか。午前3時ということで一端ホテルに戻る計画だった一行は、すぐさま準備のためにホテルへ。
一行が『ラ・ファブリック』に戻ってきたのは15分前。ちょっとハラハラしたが、時間がかかったのはシャワーを浴びずに新しい服に袖を通せない常夏暮らしでの習性らしい。土曜日ともあり、フロアは超満員。人工的なリズムで踊る観衆を前にして、レシュモニュの表情も今回はばかりは心なしか少し硬い。
「ちょっとひと時だけR&Bで楽しんでくれ」とコメントして始まった一曲目は「It’s You That Matters」。実はリハーサル時は「Walk Away」にするか逡巡する場面もあったが、やはり客は踊りに来る人たち。結果的には吉と出た。間奏でDJ Fuzzがテクをかましてフロアのノリをキープ。
すかさず、必殺のパーティー・ナンバー「Hey Waley」へ。観客に「Waley」と叫ばせる掛け合いも上手く行き、未体験のリズムで熱狂へと導く。やっぱり、ステージの前にいた外国人の客からノリが広がっていったのが勝因だったが、かといって日本人のコアな客が見放したのではなかったことも付け加えておこう。二日酔いを圧したアロンゾと凄腕のDJ Fuzzのサウンドでノレない奴はいない。
そしてこの場に一番ふさわしい「Like This」に突入。もうここまでくれば、レシュモニュの術中にはまったのも同然。観客はこの夜一番心地よく「Like This, Like That」のフレーズに体を揺らしていた。
終わってみれば一世一代のガチンコ勝負で大善戦。時間も与えられた20分もきっちりまっとう。渋谷のトレンディーな人種にとって、おそらく名前しか知らない国から着たミュージシャン達が胸のすくような大仕事をやってのけた。
ステージの後も感想を聞くまでレシュモニュの表情は硬かったのはいつもどおりのプロ根性ぶりだったが、大仕事を成し遂げた充実感がなれない異国での連日の疲れとなって降りかかったようだ。しかし、レシュモニュは困憊しているにもかかわらず、今回の特別出演の一番お世話になった日本のクラブ情報No.1ウェブサイト「クラベリア」の佐々木さんの気遣いにより招待されたクラブ『イエロー』にも立ち寄った。
最後はいつもの饒舌ぶりが封じられるほどの完全燃焼だった。
翌23日(日)は午後1時半の便で帰国。
最後に成田空港でホスト側アイザの小林代表の奥様から和風小物のお土産を贈呈され、一行はいたく感激。
「日本はいままで訪れた場所で最高」との言葉と比類ないプロ根性とエンターテイメント魂を残して日本を後にした。
AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)
濃い滞在でしたねぇ。でもメンバーも楽しんでいたみたいで良かったです!
ネギシさんもお疲れ様でした。
レシュモニュのCD聴きましたよ。もっと民族色を出してもいいのでは・・・と思いましたが、良かったですよ。CDの卸屋さんや地元の友人の評判も上々でした。
何か起こるといいですねぇ〜〜〜!
トニー・ロマースは青山にもあるんですか。そうかぁ。マレーシアにはないんですよねぇ・・・。私もシンガポールへ行くと必ず行ってしまいます。では、また。
AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)
ネギシさんお疲れ様でした!!
レシュモニュ来日の裏の部分まで一部みることができて
本当にうれしいです。
そして報告が。
今レシュCD到着しました〜。発送していただいてから
うちにくるまで時間がかかったんですが、今日やっと!
めちゃくちゃいいです!かっこよすぎ!
本当に本当にどうもありがとうございました。
一時は諦めていたのに、ネギシさんのおかげです〜感涙。