土壇場になって大津波の被災者のためにイベント自粛となり、静かな大晦日だ。
マレーシアを語るときにやはりいつも政治的リーダーのことは抜きに出来ない。
03年11月から政権を握ったアブドゥーラ首相。
前政権のように大きなプロジェクトも強権もなしに安定した社会・経済を築き、本格政権の様相を呈してきた。また、首相の“ミスター・クリーン”のイメージが公務員にも浸透していることも評価できる。
マハティール全盛のときは、この人無しにマレーシアはやっていけるのかと思わせる存在感だったが、今のマレーシアはそれほど大きな指導力なくとも十分機能するまでになったようだ。
やはり個人的な関心は、社会と表現の自由。
大きな進歩もない代わりに後退というこというところか。
懸念したイスラム教的な価値の伸張も今のところ見られない。
首相はニュースウィーク紙の英字版(英字であるのが当たり前だが…)で近代的なイスラム教社会を目指す指導者として取り上げられていた。
首相自身はイスラム教神学を修めた人だが、イスラム色が強くなった気配はない。
この部分でも穏健な首相ぶりだ。
やはり一番の功績は、前政権の政敵であったアンワール氏の釈放が実現したこと。
もちろん、「司法と立法の独立で、決定は首相の意思とは別である」というのが建前だが、前首相がかなり釈放に対し、不満とも取れるコメントをしていたところをみると、現首相だから釈放があったとみていいだろう。
しかし、政権批判に取れる社説を掲載した有力英字紙『ニューストレートタイムス』の編集長更迭が起こったことは、まだまだ表現の自由が進んだとはいえない部分がある。(個人的には、首相が更迭を支持したのではなく、社内の対立する勢力が「政権批判」の錦の御旗で編集長を引きずり落としたというところだと思う。それでも社会の末端までミニ政府になっているということの証左だと思う)
05年はもっと目に見える表現の自由の進歩があることを願う。
少なくとも表現することの自由について、おおぴらに論議できるようになって欲しいと思う。
いい音楽と映画を楽しめる根本である社会の風潮。
経済と治安の優等国にもっと精神の自由と心の豊かさをもたらす風潮を望みたい。
ただ、ミスター・クリーン様、タバコの値段もう上げないでほしい。
もっと人間の清濁を呑み込む度量があってもいいのでは。
アジアの片隅でよい年を祈りつつ。