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マレー女性の欲望と情念を描いた映画『Buai Laju-Laju』 – アサ・ネギシのページ/Music Raja
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マレーシア・ライターの見聞録

マレー女性の欲望と情念を描いた映画『Buai Laju-Laju』

 マレーシア映画界の活況は本欄でも力を入れて紹介してきたところだが、ボクにはどうしても映画界には煮え切らない思いがある。それはやはり、映画が映像というきわめて具体的で直接的なイメージを扱う媒体として、マレーシア流の表現の自由に相容れないことが多いからだ。
 最近でも『Lelaki Comunis Terakhir(最後の共産主義者)』の上映禁止やテレビ討論番組で『Sepet(邦題:細い目)』のヤスミン・アーマッド監督が“文化の汚染者”と非難された事件などがある。表現の自由にかかわる無理解さを目にすると物書きの端くれというレベルは違えど、なにかを表現している者として陰鬱な気分になってくる。

 そんな気分のときにむしょうに観たくなるのはユー・ウェイ監督(U-Wei Bin Haji Saari)監督の作品。彼の名前を聞くと一般のマレーシア人は“コントラバーシャルな(物議をかもす)人”というイメージ浮かぶし、監督本人も初めっから国内で上映することなどは考えていないという感じで作品制作をしている監督だ。95年『Kaki Bakar(邦題:放火犯)』という作品でカンヌ映画祭出展を果たしているほか、国際映画祭での上映は常連でマレーシア人監督として国外での評価と知名度の方がはるかに高い監督である。
 そういうわけで国内で市販されている彼の作品は余り多くないが、その中で一番新らしい作品『Buai Laju-Laju』(04年)をちょっと紹介しよう。
 物語はある村落に住み着いた流れ者のアムラン(エマン・マナン)と土地持ちの男イブラヒム(カリッド・サレ)の若い妻ザイトン(ベティー・バナフェ)を巡る不倫と謀略の行く末を映画いたもの。もうこのキャストと設定をみただけでも、ユー・ウェイ監督の“救われないアクの強い人たち”の世界の臭いがぷんぷんしてくる。
 脚本は『郵便配達は2度ベルを鳴らす』にヒントを得たもの。不倫の関係となったアムランとザイトンが夫イブラヒムの資産である土地を奪うという話。ギャンブルと女を誑(たぶら)かすことで生きているアムランと出会ったことで田舎の日常に埋もれさせていたザイトンの情念と欲望の火をつけることとなる。
 やはりユー・ウェイ監督が描きたかったのは代表作『Perempuan, Istri & …(邦題:女、妻、そして娼婦)』と同じように倫理や規範に収まらない女の性(さが)であろう。アムランの注意を惹こうとする子供じみた姿、愛されていることの確証を執拗に求める姿、アムランが他の女に手を出していることを知った激しい嫉妬。外国人の日本人にとっては、イスラム教徒というフィルターを通しては見えないマレー女性の裡に潜む激しい情念が曝け出されていることに目を瞠るだろう。(アサ・ネギシが半生を通して観てきた世界であるが…)
 
 ザイトンを演じるベティー・バナフェは、オランダ、ジャワ、アラブ、そしてマレーの血が入った人で、瞳に意思の強さをたたえた光が輝き、そして淫靡でアンニュイな雰囲気が漂っている。ユー・ウェイ監督が描く女性としてはこれ以上の人はいない。またユー・ウェイ監督もちっとも女優をキレイに撮ろうなんて思っていないようで、ザイトンのお尻をエロチックに写している。
 
 ユー・ウェイ監督のストーリーの根底には性(せい)があって、人間が生まれ背負い、そして人間を狂わせる原罪がいつもそこにあるというメッセージが感じられる。性の規範が厳しいイスラム教徒ならではの視点かも知れない。
 なんだか作品の全体がつかめない紹介になっているが、アムランと共謀したザイトンは、夫を自動車事故に見せかけて殺すことに成功。そしてアムランと駆け落ちをする途中に異変が起きる。  
 結末はミステリー的などんでん返しがある。救われないのはアムランなのだが、ひょっとしてザイトンを愛していることを知ったアムランは最後に救われたのかもしれない、という終わり方がいい。『Perempuan, Istri & …』は、誰も救われないという終わり方だったので、本作の方が少しばかり後味はいいかもしれない。(といっても、ユー・ウェイ監督の作品はどれも決して後味はよくない)
 タイトルは、ゆりかごやブランコに乗るとき子供が歌う歌。「ゆらゆらゆれる服の下には何がある…」という歌詞に「ザイトンの心の奥に秘めたものは何だったか」というアムランの問いを込めた。
 罪深く、不可解な人間。虚偽を排し、そういう人間を正面から描き切ってくれるユー・ウェイ監督の世界にボクのような人間は救われる。
 当地のビデオCDには英語字幕ありなので、ぜひどうぞ。
 あと、ベティー・バナフェは歌手デビューするとのこと。(記事はこちら
 アラブ風ポップのアルバムになるとか。

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