ちと、堅い話。
黒川記章氏が急逝した。
日本の一般紙のベタ記事でも、氏の仕事の代表として、「KL国際空港」が挙げられていたように、マレーシアと浅からぬ関係がある人だった。
氏は、KL国際空港以前にもマハティール前首相やマレーシアの指導者層との交流があり、なかでも後に前首相に反旗を翻して失脚したアンワール元副首相とは哲学を一致させるほどの仲だった。
氏の提案した「共生の思想」は、人種や民族の多様性を特徴とするマレーシアに適合したもので、建築や街づくりのみならず、90年代のマレーシアの国家戦略にも大きな影響を与えた。氏の説くところは、西洋思想のように対立で物事を考えるのではなく、仏教や東洋思想の根底にある異なる事物を共生させる力こそが、新しい時代を作っていくという点であった。
もうひとつ氏が強調したことは、21世紀の戦略物資となるマレーシアの豊かなバイオ資源の多様性についてだった。特に自然と人工の共生は、森の中のIT都市サイバージャヤや行政都市プトラ・ジャヤの街並み、KL国際空港のコンセプトである「森の中の空港、空港の中の森」に生きている。
氏の開催したセミナーを覗いたことがあったが、かなりマレーシア人の受講者は熱気を帯びていたことを思い出す。また、98年、ちょうどKL国際空港の施設が出来上がり、開港に向けて準備しているタイミングで訪れた氏にインタビューしたことがあるが、いつまでも夢に向かってまっすぐな人だという印象を受けた。
氏の晩節は都知事選や衆議院選に打って出て、奇妙なパフォーマンスで「?」のイメージを残してしまったが、当地では、“ドクター・クロカワ”として共生というパラダイム・シフトでマレーシアが次世紀の大国になるという夢とプランを与えてくれた功労者であったことを記しておこう。
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タンスリ鈴木、黒川紀章と日本の盟友が次々に亡くなって
Dr.Mも気落ちしていることでしょね。
ご冥福をお祈りします。
ただ、KLIAの森の中の空港っていうコンセプトですが、
具体的な姿はずいぶんチンケなものではないですか?
ほとんどそんな雰囲気は味わえませんよねー。
僕の要求が高すぎるという点を割り引いてもですよ。