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マレーシア・ライターの見聞録
Fri, 26 Feb 2016 05:03:41 +0000 ja
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3232最新号『サピオ』誌に船戸与一氏のマレー侵攻作戦ルポ連載
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https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/655#respondWed, 15 Feb 2012 17:49:23 +0000http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=655 小学館のニュース誌『サピオ』最新号(2月22日号)に作家・船戸与一によるマレーシア取材の原稿『ふたりのマレーの虎』が掲載される。
船戸氏は、昨年12月に9日間にわたり、マレー半島を縦断する取材旅行をし、1941年12月から始まった日本軍マレー侵攻作戦に関する史跡や資料などをみて回った。移動は、空路は最小限に留め、東海岸のコタバル、クアラ・トレンガヌ、クアンタン、西海岸のジトラ、アロー・スター、ペナン、クルアン、ジョホールバルなどを陸路で移動し、その距離は2000kmにもなった。
世界をあまねく巡った冒険作家でもある船戸氏は、メモの写真も取らず、地形と気候、そして土地ががかもし出す匂いや風、光といったものを五感で感じることを目的としていたようだ。
楽屋落ちで申し訳ないが、縁あって取材旅行に同行したのはボク。
取材の目的は、現在執筆中の『満州国演義』のマレー戦線のためだが、サピオ誌での原稿は、その素描ともなるルポといった趣に仕上がっており、ジャーナリストでもある氏の矜持を感じる。
船戸ワールドのファンであるボクは、ルポでも独特の言い回しと文体に血が沸きあがることを抑えることができない。暗いイメージしかない太平洋戦争を見直す機会こなる出色の稿だ。
日本で最近すっかり少なくなったマレーシアに関する記述が少なくなっているので、マレーシアに関係する人はぜひ手にとって読んでほしいところだ。
]]>https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/655/feed0今年は、こんな方々に会いました
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https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/651#respondWed, 21 Dec 2011 18:54:31 +0000http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=651マレーシアに長く滞在しているだけ(恥ずかしくて在マレーシア歴など公言しない)のボクなのだけれど、有名な方々のお役にたつ機会もあって、今年はヘルパー業(?)で少しばかり忙しかった次第。
本稿は、いつもと違って雑談風にいきますので、ちょっとご容赦。
マレーシアでも日本から来る方々のコーディネートをされる方もいて、目的に応じてその道の方が仕事として請け負うのだけれども、音楽・芸能ライターという怪しい肩書きのボクのところには、ビジネスでもない、アカデミックでもない、テレビ班でもないといった目的の方のお世話の話が、たまに着たりする。まぁ、ウン10年もマレーシアにいるからなんかの助けにはなるだろうという感じで…。
今年は、7月に全米進出したジャパメタ・バンド、ラウドネス(Loudness)の30周年ツアーの撮影カメラマンとして同伴なされた松田隆さんにさせていただいた。撮影のロケハンのほか、気がついたらラウドネスのメンバーと地元バンドのMayとかコンサートで共演したSearchのボーカリスト、エイミー(Amy)といった人たちとの会話の仲立役になっていた。(まぁ、ちとばかりマレー語ができるからだけど)
ブログには書いたことはないけれど、ボクの趣味は写真である。なので撮影現場は非常に面白かった。やっぱりプロは、どんな状況でも絵にできる人だと、当たり前のことだけれども、自分の目でみられたのは、貴重だった。
あと、80年代から筋金入りのメタル信者が多いマレーシアは、同じアジアのメタル・バンド、ラウドネス来マのインパクトは大きく、道路際の壁にラウドネスのロゴを描くやつまでいた。奇しくもマレーシア一のハードロックバンドといっていいSearchも結成30周年で、今後もラウドネスとの親交を深めて行く道を探っていたようすだった。
12月には、日本の冒険作家の大御所・船戸与一さんの取材お世話の話も回ってきた。
これもブログには書かなかったけれど(今日2回目)、ボクはマレー芸能の次に好きなのは、冒険小説。船戸作品は、7割ぐらいは読んでいるのである。
船戸さんの取材目的は、現在執筆中の大作『満州国演義』のマレー戦線。(あっ、書いちゃった)日本軍の進軍経路を巡る旅。戦争のことなどほとんど知らないボクは、船戸ファンということだけで、旅に同行したわけで、冷や汗ものだったが…。さらに言うと現代史に同伴した小説を書いてきた船戸さんは、ジャーナリストとしても人後に落ちない人で、そんな方を相手にボクのあやふやなマレーシアの知識を披露すること事態、無謀に近いことだった。
船戸さんは、70年前の戦跡を独特の勘と経験による類推で探し当ていくんだけれども、「見つからなきゃしょうがない」といった感じで、達観していることにも感心してしまった。旅の予定もその場の判断で変更(それも楽なほうへ)。
船戸さんは、「世の中に大事なことなんてないよ」という一言をポロリ。
なんと船戸作品で一番キャラが立っている『蟹喰い猿のフーガ』の登場人物エル・デュロのせりふではないか!。傭兵とかゲリラとか、船戸作品には、信念や流儀を死を賭けてもにこだわるの登場人物が多いのだけれども、船戸さんに近いのは、意外にもエル・デュロだったとは。
エル・デュロとは、ちょっと言いづらいのだけれども、伝説の詐欺師。弁が立ってめちゃめちゃ魅力的な人物なのである。
それはさておきマレーシアの地が描かれる“血沸き肉踊る”船戸ワールドが大いに楽しみだ。
それで、マレーシアにいるというだけで、日本で名を成した方々を身近でみることができた幸運に感謝。それにぬるま湯生活でなまくらになった自分に鞭を振るう機会にする次第である。
あと、アサ・ネギシは、カミングアウトしたように「写真」と「冒険小説」が趣味であるので、これからはそういった話もここに書くつもりだ。(もちろん半分冗談)
肝心のマレーシア芸能の方は、今年はどうもとらえどころがない年で、まとめるのがつらいなぁ。
]]>https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/651/feed0マレーシアに“改革の風”!
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/638
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/638#respondFri, 16 Sep 2011 16:15:30 +0000http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=638 16日は、マレーシア連邦の結成記念日(マレーシア・ディ)だ。
1957年に独立したマラヤは、1963年シンガポールと北ボルネオのサバ、サラワクを加え、現在のマレーシアが形成された。(シンガポールは、1965年8月10日に分離独立)
ナジブ・ラザック首相が就任し、新たな国民統合のスローガン「1・マレーシア」を提唱し、それまではサバ、サラワクの両州のみの祝日だった9月16日も国民の祝日になったのは、昨年のことである。
今年は、独立記念日(8月31日)が、マレー系最大の祭り、ハリラヤ・プアサと重なったため、マレーシア・ディが独立記念日の祝賀をかねた日になった。
その祝いのタイミングにナジブ首相が用意していたのは、大きな政治改革についての発言だった。
まず、大きな改革は、共産ゲリラとの内戦時に制定された国内治安法(ISA)の撤廃。法的手続きなしに容疑者の長期拘束(60日間)が可能だったISAは、これまで何度も見直しの声が上がっていたが、マハティール政権時には、テロリストの封じ込めに功を奏してきたこともあり、実現には至らなかった。しかし、アブドゥーラ前政権では、政治家の人種差別発言事件に際し、ジャーナリストなど民間人にも適用されたことが、政権への大きな非難につながり、アブドゥーラ首相の退任の遠因となった。
また、個人の表現と集会の自由、新聞の出版許可の年次更新制度の見直し、廃止も盛り込まれた。マハティール政権時代から続く国民が重苦しく感じる社会の雰囲気の根源にある法律である。
ただ、法律の名称が変わるだけで、制度は形を変えて残るのは、選挙対策の空約束だ。
特に表現の自由に関しては、何度も実質何も変わらない事態を経験している。
変革が民主主義と自由を前進させるのか、注意深く見守っていかなければならない。
]]>https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/638/feed0マレーシアでも震災支援の動き
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/634
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/634#respondThu, 31 Mar 2011 08:19:42 +0000http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=634 業務多忙のため未更新の期間が2ヵ月半におよび、些細な情報でも役に立てていただいていた方にお詫びいたします。
今月11日に起きた東日本大震災の被災者支援のため立ち上がる動きがマレーシアでも広がっている。
4月2日には、地元ミュージシャンやダンスグループによるチャリティー・コンサートが、KLPac(KLパフォーミング・アート・センター)で開かれる。
地元で活動する和太鼓奏者中西氏が主宰する『和太鼓翔』による演奏も行われる予定。
<詳細>
日時:4月2日、午後2時&7時
会場:KLPac、ペンタス1
チケット:RM50、RM80、RM100、RM150
問い合わせ:Mr. Eric 012-277 2091
また、バドミントン世界ランキング1位のリー・チョンウェイ(Lee Chong We)選手もチャリティー・マッチを行う。
4月2日には、リー選手の地元ペナンPISA(Penang International Sport Arena)、翌3日には、KLブキット・キアラ(Bukit Kiara)で、地元選手を招いてのエキジビション・マッチを行う。3日には、やインドネシアのタウフィック・ヒダヤット(Taufik Hidayat)選手が招待されることが決定している。
ブキット・キアラのエキジビション・マッチは、午後4時から6時。チケットは、RM10。詳細は、David Koh at (016-7643305)、Kate Ng (016-2085262)まで。
]]>https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/634/feed0お騒がせラッパーと舌鋒政治家が和解!
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/626
https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/626#respondThu, 09 Dec 2010 15:59:11 +0000http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=6269日、動画投稿サイトユーチューブ上に発表した動画で物議を醸し出してきたラッパー、“Namewee”こと黄明志(Wee Meng Chee)氏が、連邦議会内のロビーでナズリ・アジズ首相府大臣と面会が実現した。 (写真は、二人の面会を伝えるスター紙記事)
黄氏は、07年当地の警察や公務員、教育システムを批判する楽曲『Negarakuku』(オレのネガラク)や今年8月にジョホール州の小学校校長が非マレー系生徒に対して差別的な発言をしたことに対するを批判する動画を動画投稿サイトユーチューブで発表してきた。
ナズリ大臣は、政府内の要人の仲で最も黄氏を批判してきたひとり。『Negarakuku』が議会で話題になったときには、当時台湾に留学中だった黄氏に対し、「帰国したら法の裁きを受けるべき」と発言していた。
地元英語紙スター(記事はこちら)が伝えるところによると面会を果たした両者は、“歴史的”とも言えるかもしれない政治と表現者の間の「和解」を果たした模様だ。
ナズリ大臣は、「お騒がせラッパーNameweeは、人種差別主義者ではなく、メディアによる間違った扱いにより、大きな誤解を受けてういる若者だ」と語っている。