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よしなしごと – アサ・ネギシのページ/Music Raja https://aisa.ne.jp/musicraja マレーシア・ライターの見聞録 Fri, 26 Feb 2016 05:03:41 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.1.18 https://aisa.ne.jp/musicraja/wp-content/uploads/2016/02/cropped-1f14aef3e46df8e6b0b581d9e04b5081-32x32.gif よしなしごと – アサ・ネギシのページ/Music Raja https://aisa.ne.jp/musicraja 32 32 独白 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/583 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/583#comments Wed, 02 Dec 2009 19:55:31 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=583 ちょっと心にぽっかりと穴が開いてしまった。
あまり身辺のことなど書かないブログなのだけれども、どうかお許しを。
先月の8日に元の職場の同僚だったマレー系の親友が亡くなった。
昨年の1月にもボクが最初にマレーシア生活を始めたペナン島の中華系の友人を亡くしたばかり。
二人とも30台半ば、ボクよりも年下。弟のような存在だった。
顔を見れば、お互いにすべてがわかり、若さにかまけてバカをやりあった。
そして、二人はボクにとってマレーシアを知る窓のような存在だった。
もう人生の後半には、こんな友人はできないのだろうな。

マレーシアについてなんでも知っているような顔をしていても、彼らに贈る鎮魂の言葉もわからない。所詮、自分はよそ者なのだと思うばかりだ。
マレー系の親友の共通の知り合いの女の子が、ボクに泣きながら電話をかけてきて、
「彼は、神に愛されていたから、早く召されたのよ」と言っていた。
心の隙間に吹き込む風ように流れてきたのは、シティ・ヌルハリザの歌の一節だった。
『Tahajjud Cinta』収録「Pintu Rindu」の“Hidup Matiku Haya Untukmu”
訳すと「死ぬも生きるもあなたのため」という意味。
なんか歯の浮くような恋愛の決め言葉だと思っていたが、神への愛なのではないのかな。

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500回達成! https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/492 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/492#comments Tue, 30 Sep 2008 08:41:58 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=492 手前味噌で申し訳ないのだが、2004年11月30日から始まった『Blog In Music Raja』が、今回で500回目となった。(ちょうど明日は、イスラム教のラマダン明けのお祭りだしね。)
まぁ、3年10ヶ月もかかったので、ブロガーと呼ばれる人の域にもないが、「1.とにかくマレーシアに関係があること、2.誰も取り上げないこと、3.ちょとばかりライターの見栄を満足させる」にこだわってやってきたので、「よく続いているものだ」という感慨もある。
しかし、誰の役に立っているのかなぁ、とも思いつつ、ペースを上げることもなく、落とすこともなく、今までどおり与太話、にべもない話、愚にも付かない話、四方山話を書いていくつもりです。
アサ・ネギシ

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まだしばらく… https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/333 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/333#comments Fri, 24 Nov 2006 04:04:52 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=333 「忙しい」という言葉を口に出すのは嫌いですが、更新が滞っているのが気になって…。
芸能界は、アウィが本妻に内緒で2番目の嫁さんをもらって離婚したとか、夫婦善哉のアジャイとヌルルが離婚協議しているとか、ゴシップ色の強い英語昼刊紙『マレー・メール』がセックス特集を掲載して、堅物のナジブ副首相の怒りを買ったとか、たいしたネタはないので安堵はしている次第。
街角で見つけた“マレーシア一美人の並んでいる広告板”のスナップを掲載して、お茶を濁しておきます。

マレーシアにいると一番右の娘が誰かわからない…。

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一点も曇りがない与太話 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/305 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/305#comments Mon, 31 Jul 2006 14:54:44 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=305  メインのデスクトップのがドカーンと逝ってしまった。特に知り合いのメールアドがなくなってしまったのが困っている。
 いろいろ更新しようと思っていたネタも多いのだが、デスクトップがないと不便極まりなくて、更新が疎遠になってしまう。
 だから今日はちょっと与太話のたぐい。
 
 シティ・ヌルハリザの結婚、こちらに住んでニュースに接している身なら突然のことでもないので、もう受け入れている状態なのだけれども。シティが20歳も年上と結婚することに関して「神の思し召し」とか「ジョドー(Jodoh)」などと語っているのもイスラム教徒ならでは。イスラム教徒は運命を甘受することを潔しとしていることは、イスラム教に興味があれば聞いたことがあるはず。なかでも男女の仲も「ジョドー」があって結ばれるという観念も強い。
 このジョドーという言葉だけれども日本語でいうところの「縁」にそのまま置き換えられる。現代の日本人でも、関係がうまくいかなかったときに「縁がなかった」とあきらめることも少なくないので、わかりにくい観念ではないと思う。
 さて、それでシティが20歳年上の実業家と結婚してうまくいくかという問いの答えには全然なっていない。(まぁ、答えられるほどの材料も持っていないし、そのつもりもないけど…)
 それでちょっとばかり地元芸能人の結婚・離婚事情でも。
 同業者で結婚したパターンは多い。両方とも歌手や俳優というパターンも多いのだけれども、有名なところではKRUのユスリーとトップ女優のエラ・ファジーラは破局したばかり。あとは例に出せるほど有名なカップルはいないなぁ。
 歴史大作映画『プトリ・グヌン・レダン』の主演女優ティアラ・ジャクリーナと俳優ハニ・モシンというカップルもいたけど破局した。そういえば、ハニ・モシンは先週突然逝ってしまった。享年42歳、合掌。
 同業者のパターンで多いのは男性プロデューサーと女性歌手という組み合わせ。
 いま有名なのは、売れっ子作曲家・プロデューサーのアジャイと女性歌手ヌルル。二人は結婚してから成功の道を辿った。ちょっと昔の名前だとナワウィとノラというコンビもいい感じだった。でも、この組み合わせで一番ビッグネームである名プロデューサー、ロスラン・アジズと女王シーラ・マジッドは破局した。シーラはアチスという年下のキーボーディスと再婚。なんかアルバムのクレジットをみると一緒に仕事していないようで、それが前の結婚から学んだ秘訣か。
 最後にやはり大金持ちと女性歌手のパターン。
 10年来アサ・ネギシを骨抜きにしている美人歌手ファウジア・ラティフの最初の結婚相手はセランゴール州王家の出身。しかし、1年しか持たなかった。その後、彼女も実業家と再婚して2児の母として幸せに暮らしている。
 シティに一番似ているパターンは同じように70年代に絶大な人気を誇った女性歌手シャリファ・アイニ。まぁ、シティとは名誉毀損裁判で新旧歌姫対決の因縁の中であるが。シアリファの場合、2度目の結婚でダトの称号を持つ実業家と結婚したが、16年間で破局した。
 
 いまのところ年上の実業家との結婚でシティと一番比較されるのは前述のティアラ・ジャクリーナ。2番目の結婚の相手は、やはりダトの称号を持つ実業家エフェンディ氏。年の差は15歳ぐらいありそうなカップル。ティアラは、前夫ハニ・モシンの急死の時もメディアで前夫の思い出を語ったりしていたところをみると、エフェンディ氏年上の旦那らしく、寛容で理解があるようだ。
 ほんと脈絡がない話になっているが、与太話と断っておいたので最後まで通そう。
 
 当地のSMS(携帯電話のメッセージ機能)で出回っているチェーン・メール。
 「実業家のエフェンディ氏は中古のティアラ(国産プロトン社の車種名)に乗っているのに同じ実業家のダト・Kは新車のシティ(ホンダのアジア市場車種名)に乗れるのか」
 
 なんだかクルマ好きのマレーシア庶民が考えそうな話。
 小話にもなっていないところが庶民的な俗っぽさがぷんぷんしている。
 さてダト・Kことカリッド氏、前妻に不動産などRM400万(約1億2千万円)財産分与の裁判を起こされている。庶民のゴシップの格好のネタになるのもうなずける。
 某日系スーパー・マーケットの宣伝キャラクターもつとめるシティ。買い物していると彼女の声でマレー語と英語の宣伝フレーズが店内で流れる。
 それを耳にして不意に思ったけど、シティがもう庶民からは遠い存在になってしまうのかなぁ、と思うと少しさびしい。

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やはり… https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/281 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/281#respond Sat, 06 May 2006 08:00:57 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=281  たまには身辺のことも。
 ボクの仕事場の室温計。
 ちょっとレトロなデザイン(もしかしたらこのキャラクター問題だったけ!?)はおいておいて、
 冷房なんてお金がかかるものは入れていないので、扇風機のみ。
 日中は32℃ぐらいあるのは当たり前。
 日本の言論界の重鎮、立花隆氏が人間には本来の温度調節機能があるので暖房も冷房機器は使わないといっていたのをまねして、冷房は入れないやせ我慢を続けている。
 それにボクは山梨県で育ったので、武田信玄の「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の格言が身に刻まれている。なので、夜半になって30℃ぐらいになると涼しいなぁ、と思えるぐらいになった。
 それにしても4、5月は鬼門で昨年は病院入り。実はさっきまで寝込んでいた始末。
 それで1週間前に読んだ記事。
 マレーシアの平均気温はここ35年間で0.8℃も上がっているという内容。
 年中気温の変化が少ない赤道直下の国らしい非常に大雑把なデーターなのだが、05年の平均気温は27.3℃。個々10年間の平均気温だけでも0.4度上がっているようなので、地球温暖化の影響(世界のどの地域よりも見えづらいのであるが)も顕著なようだ。
 さらに個々数ヶ月、大雨による雷と洪水の被害注意とある。
 なんと先週の金曜日にはジョホールで落雷により、石油タンクが火災に遭う事故がおきた。
 PCもネット接続が雷でブッ飛んでしまったばかりなので、さらなる注意が必要だ。
 
 かくして、ボクの仕事場の優先順位も雷対策で冷房はお預けとなりそうだ。
 また、一部の人々には“ボヤキ”と揶揄されそうだが…。

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青天の霹靂 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/253 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/253#comments Mon, 06 Feb 2006 02:56:09 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=253  なんと土曜日(4日)に突然の雷雨でインターネット接続ができなくなった。
 最近は本当に晴天のあとに突然豪雨が襲う。“青天の霹靂”なんて当たり前のことになっている。それで土曜日にシステム・ダウンすると週末に復旧するということはなく、せっかく週末に更新しようというやる気が削がれてしまう。
 月曜日になってプロバイダーに電話すると、「システムが崩壊したから、復旧は早くても金曜日」とのお話。「ボスが台湾に飛んで部品を取りに行った」とのこと。
 まぁ、なんともご苦労さんというわけです。
 が、本日午後11時に帰宅すると接続が復旧している次第。
 ボスとやらが日帰りして、大急ぎでシステムを修理したのかたのか?、との愚問がよぎるが、嬉しい誤算なので詮索はなし。
 電話したついでに料金の支払い期限を調べてもらったところ、ボクは2ヶ月ほど未払いとのこと。それでも切られないのもミステリーなのだ。ちなみに電話や電気などなんか、2ヶ月滞納すると情け容赦なくすぐ切られるのが普通なのだ。
 いい意味でも期待を裏切られるから、この国での生活はやめられない。
 

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去る年05年 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/244 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/244#comments Sat, 31 Dec 2005 07:35:31 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=244 なんとまぁ、更新が滞っていたので、今年といえる最後の日に05年を総括した記事を書いたのだが、更新される前に消えてしまった。
 皆さん、ブログは更新の前に記録を残しておいた方がいいです。
 この1年、まだまだマレーシア在住フリーライターという肩書きに見合った仕事はしてきませんでしたが、ブログという形でマレーシアの芸能・音楽情報をなるべく早く提供できる用になったと自負しています。また、マイナーな情報でもありたたく思ってくださる読者の方々に励まされてやってこれました。それにマレーシアだけでなく、広く音楽情報を発信している方々ともこのブログを通じてお知り合いになれました。
 本当にどうもありがとうございました。
 それで、さっき書いたことをなるべく再現してみます。
 今年は映画界が元気な年で本欄でも再三お伝えしてきたヤスミン・アーマッド監督の『Sepet(細い目)』など国際的に注目される作品が出てきた。同作のほかにも『Putri Gunung Ledang(プトゥリ・グヌン・レダン)』の主演女優ティアラ・ジャクリーナが第50回アジア太平洋映画祭で最優秀女優賞を受賞したほか、『Pontiana 2(ポンティアナ2)』が前作に続きスペインの映画祭で評価されるなど話題に事欠かなかった。
 また『ギャングスター』や『ゴール&口紅』といった国際映画祭に出展された作品も今までのマレーシア映画を知るものにとっては進歩を感じさせる出来だった。個人的にはマレー語によるマレーシア映画にとても評価できるものではなかったが、今年1年で状況が一変したことを認めざる得ない。
 音楽界はジャンルによって浮き沈みの明暗が分かれた。
 ポップスはシティ・ヌルハリザ(Siti Nurhaliza)がデビュー以来始めて新作を出さなかった年となり、2大オーディション番組アカデミ・ファンタジアとマレーシアン・アイドル出身アイドルに引っ張られた感じ。なかでもマウィ(Mawi)は、ポスト・シティを担う人材として注目されたが、まだまだ人気先行の感が強い。また、今年は女性ポップス陣が低調という近年にない年であったことを記しておこう。
 元気が無かったのはロック勢。原因はインドネシア・バンドの進出ラッシュ。しかし遠因は、彼らによる乾いたポップ・メロディにより、マレーシア産ロックの情念的なメロディが過去のものにされてしまったことかもしれない。また、個人的には初のマレー語アルバムをリリースしたButterfingersの『Slamat Tinggal Dunia』がいい意味であまりに革新的だったとみている。こんなに解りづらい作品でマレー・ロックの方向性を見せられたら、誰も曲をかけなくなってしまう。しかし、ロック親父と慕われるラムリ・サリップ(Ramli Sarip)がインドネシア・メロディに対し敢然と物申している。きっとマレー・ロックを見直し、借り物でない新しい方向性を見出す動きが出てくると思う。今は生みの苦しみの時期だ。
 逆に好調だったのがヒップ・ホップ界。Too Phat(トゥー・ファット)の2枚組み30曲の大作『Rebirth and Reality』やシンガポール+インドネシア人の4人組新人Ahli Fiqir(アリ・フィキール)の『Hari Ini Dalam Sejarah』など良作が続いた。また、英語によるThe Tarik Crew(テータリッ・クルー)やヒップ・ホップ寄りボーカル・グループ、Ruffedgeも2作目で大変身した。
 このジャンルでは、インターナショナルなトレンドにローカル色を取り込むことに長けているマレーシア人やマレー系シンガポール人の持ち味が今後も発揮されそうだ。
 今年は嬉ことに日本進出にも項を割ける。ミクスチャー・ロックのPop Shuvit(ポップ・シュヴィット)がマレーシア・アーティスト初の日本先行発売+ライブを果たした。また、東京アジア・ミュージック・マーケットに出演したR&Bのレシュモニュ(Reshmonu)も後に続くかもしれない。また、インスト系のMohram(モーラム)もソロで日本公演を実現した。個人的にもマレーシア・アーティスト日本進出にもかかわっているので、この流れを大きくすることに助力したいと思う。
 最後に英字紙ニュー・ストレート・タイムス紙に今年のマレーシア人という読者投票が行われ、女子スカッシュ選手ニコル・デービットが選ばれた。彼女は今年12月に発表された世界ランキングで1位に輝き、アジア人初史上最年少の称号を手にした。負けず嫌いで世界の頂点までに上り詰めた彼女は、マレーシアの顔としてもふさわしい。
 次点には前述のマウィや伴侶をなくしても国務に努めたアブドゥーラ首相が選ばれた。
 来年も国際的により多くのマレーシアとマレーシア人がかかわるニュースが増えることを祈りつつ、皆様が良いお年を迎えることを願っております。
 まだ仕事が多忙で更新が滞り勝ちの期間が続きます。ゴメンなさい。

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さらなるアーティスト紹介のために準備中 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/238 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/238#comments Thu, 17 Nov 2005 18:14:53 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=238  近況なんて書くほど有名人でないのことは周知。
 大体、マレーシアのことも書いているけど、ここにはちっとも美味いメシとか豪華なリゾートの話なんか出て来ない。(ビンボー・ライターだからだけど)
 なのだが、ちょっとばかり(だいぶ)更新が滞っているのであるが、ちゃんとネタでも仕入れていることを記しておこう。(見栄っぱり!)
 とあるラジオ番組(もったいぶっるな!)でマレーシアのトップ10企画を準備中で、アルバムの山に埋もれているという至福の時を過ごしている次第。最近、ガソリンが高いのでクルマをぶっ飛ばすというもうひとつの至福がままならないので、すごくナチュラル・ハイなのだ。
 まぁ、そんなことはどうでもよかった。
 あらためて最近のアルバムを聞いていると近年希な「男性上位」。いつもマレー音楽界は女性上位と言ってきたし、もう固定観念になっているので、なんだか自分でも不思議な感じだ。最近の2大オーディション番組、マレーシアン・アイドルとアカデミ・ファンタジアの5人の優勝者のうち4人が男だったことも趨勢の変化を語っている。
 それで、レシュモニュからマレーシアを開拓し始める女性音楽ファンには、嬉しい人材を紹介できそうだ。
 そうそうレシュモニュに続くマレーシアからの音楽の使者は、新感覚のインスト・ユニット、モーラム。来月6日に品川キュリアンで来日コンサート開催。
 まずは、こちらのページを見てください。

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今日はディパバリー、明後日はハリラヤ https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/233 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/233#comments Tue, 01 Nov 2005 05:23:19 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=233  今日はマレーシアのヒンドゥー教徒にとって最大の祝日、「ディパバリー」。
 インド本国ではディワリーという名で、主神クリシュナが悪を懲らしめ、善である光の世界を取り戻したことなどのルーツは同じようだ。
 明後日はマレー系を中心としたイスラム教徒最大の祭り「ハリラヤ・プアサ」だ。こちらの方は辛い断食月を終えたことを祝うもので、世界中のイスラム教徒共通だ。明日あたりに実際に新月を観測してマレーシアにおけるイスラム教の長である国王がハリラヤ・プアサを宣言する。
 ヒンドゥー教徒もイスラム教徒も月の満ち欠けを基にした太陰暦を使用しているので、ほぼ同時のタイミングでお祝いとなる。来年も両祭りは同時期に重なる。
 それでインドではディワリーを狙ったテロが起きた。やはりイスラム過激派が主犯とみられている。関係民族。宗教が並存するマレーシアは人事ではない。
 それでもマレーシアに関しては、民族の祝日に事件が起こったことはない。ハリラヤには首相が官邸を一般人に公開して、一人一人と握手する。マハティール時代に行ったことがあるが、特にガードがきついということはない。さすがに911事件以降は、「写真撮るのはだめ」と立ち止まることを静止された(でも、4時間も並んだとか、オレはプレスだ、と言って撮りました)が、マハティール氏自身がマレーシアの平和に自信を持っていたようで「こういうよき日に悪いことは起こらない」と言っていた。
 マレーシアにいるとアジアを意識します。
 

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マレーシアン・アイドルとアサ・ネギシ https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/213 https://aisa.ne.jp/musicraja/archives/213#comments Mon, 12 Sep 2005 14:47:09 +0000 http://aisa.ne.jp/musicraja/blog/wordpress/?p=213  オーディション番組の火付け役『マレーシアン・アイドル』が佳境を迎えている。

 
 毎週金曜日にパフォーマンスを披露し、日曜日に視聴者投票の結果が発表されるのだが、昨日でファラ、ダニエル、ニタの最終3人まで絞られた。(写真では、左からニタ、ファラ、ダニエルの順)
 それでまた昔話になってしまうのだが、ボクはニタとは面識があったことを思い出した。いつもギリギリで通過する彼女もトップ3にまで残ったからこんな話も解禁していいだろう。
 そう。それで96年ぐらい(そんな昔だったかい。自己嫌悪だよ)に前の職場で出していた日本語雑誌の表紙になってもらうべく、カメラマンを連れて彼女を撮影していたのだった。背が高く、スタイルもいいので、目をつけた次第だった。

 どうやって彼女を知っていたかというと実は彼女、そのころ気鋭の地元インディー・レーベル、ポジティブ・トーンでデビューしかけていたのだ。ポジティブ・トーンは今はEMI傘下に入ったものの、OAG、Innuendo、Poetic Ammo、Too Phat、Pop Shuvitなど優良英語アーティストを輩出してきており、業界では鳴らしているレーベルだ。当時、まだ駆け出しの弱小レーベルだったポジティブ・トーンはオルタナティブ・ポップを仕掛けるべく、若手による企画盤『Boys & Girls 1+1=3』をリリースしており、彼女はそのなかの参加アーティストの一人だったというわけ。
 それから9年の月日が流れた。
 当時彼女は17か18歳ぐらいだったから、今は26か27歳だろう。結局、彼女は『Boys & Girls 1+1=3』後も注目されなかったから、夢を捨てず頑張ってきたのだ。『マレーシアン・アイドル』の審査員ポール・モスは、ポジティブ・トーンのプロデューサー出身であり、当然ニタが苦労していたこともよく知っているはずだ。ちなみにポジティブ・トーンの創設者アーマッド・ニザム・オマールは、『マレーシアン・アイドル』を放送している8TVのCEOに大栄転している。みんなそれぞれの時をすごし、番組に関わっているのだ。
 それでニタ表紙はどうなったのか。いきさつは省くけど不採用。社内では「あいつの選んでくる美人は、ちょっと…」とまで言われる次第。結局、表紙になったのはシティ・ヌルハリザだった。
 
 もちろん彼女はそんな昔のことを憶えているとは思えないが…。
 ボクも撮影までいてしまったのがオシャカになったのがちょっと悔しかったから、彼女が勝ち残るのを心の中で喝采している。
 
 

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