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https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56
Yoshiのsound spaceWed, 14 Jan 2015 14:21:19 +0000hourly1https://wordpress.org/?v=4.9.3Yoshi より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-58
Thu, 02 Nov 2006 02:18:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-58AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1) Gecko/20061010 Firefox/2.0
ようこそ、なぜかベス様!
吉野もずいぶん開けたようですね。昔は、山を下って繁華街に行く時は、「町にいけるー!」と喜んでバスに乗ったものでした。町に行くことが大きなイベントのようで、ワクワクしながらも、どこか誇らしげでもあったような気がします。山形屋が、とてつもなく大きなビルに見えていました。
25年前、住んでいるアパートにはまだ電話がなく、今でも通っている江古田の飲み屋さんが鹿児島からの電話連絡先でした。その日、いつものように飲んでいると、母が泣きながら電話をかけてきました。言葉が出ませんでした。
「一緒に上京して音楽の世界を目指そうよ」「でも今すぐは無理だ」「じゃぁ、先になんとか始めてみるから、機が熟したら出てこいよ」「わかった」という話をし、僕とドラムのやつで、先に東京で活動を始めようとしていた矢先のことでした。東京で一緒にギターを弾く夢は絶たれました。
それから15年ほど経ち、どうにか音楽の世界で食っていけるようになり、鹿児島へもゆっくり帰られるようになったので、まず彼のところへ報告に行きました。おそらく、石の下から「おせどー」と笑いながら叱ってくれたことと思います。
人の運命はどうしようもないことなのでしょうけど、残された者達には、あの笑顔がいつまでも生き続けています。
ギター、ぜひまた始めてくだされ。あの青い日々にはいつでも戻れますよ。
]]>角砂糖のV より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-57
Wed, 01 Nov 2006 15:40:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-57AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
同窓会にでてあらためて自分の記憶の曖昧さとまぁそんな事良く覚えていたなという驚きを思った時間でした。また、けっして逃げていたわけではないんだけど、もっと正面から皆とつきあうべきだったなと少し後悔もしている自分を発見しました。
とにかく、次に彼に会う時には、胸をはって会える自分でいたいなと思えた夏でした。
きっと5年後は、丸みをおびた「角砂糖」で1曲は歌えるよう頑張ります。
]]>なぜかベス より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-56
Wed, 01 Nov 2006 13:57:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-56AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; .NET CLR 1.1.4322)
こんばんわ!こちらには初めておじゃましますです。
yoshiさん、帰省する機会がないとお墓参りもなかなかですね。
今じゃ吉野メインストリートはずいぶんと変わりましたね。
下界まで降りてかなくても生きていける地域となりましたよ。
25年ですね、彼が突然逝ってしまってから。
私事ではありますが、彼が逝く前の夏、私の兄の親友が(土曜の夜に我が家で、私や父や兄とマージャンなんぞに興じていたのですが、翌月曜の早朝でした。)
帰らぬ人となり、その2ヶ月後父も急逝しました。父もまた、心臓発作であっというまでした。そして、翌春、
大好きだったクラスメートのN君の事故、ニュースを伝える電話の友の声と、
画面に流れる彼の名前を呆然と見ていたのを覚えています。
それぞれがいろんな思いをかかえてすごしてきた年月ですね。
でも、yoshiさんや角砂糖のVさん(わいはだいよ〜?の嵐だったお方でしょうか?)
たちと共に彼もまた一緒にいるのでしようね。
今年の同窓会は実にタイムリーでしたね。区切りのいい年代だったし、
妻恋コンサートも時を同じくして、開催されて、yoshiさんも取材してるし、
懐かしい青春時代を思い出しまた。またギターひきたくなったよ〜!
5年後の同窓会、お二人さん、残りの5人(ドラムとベース、キーボード二人?と彼と)
引き連れてギター抱えていらっしゃいませな。あと2ヶ月もしたら、4年後だ!!
あっそうだ。高校の時、彼の実家のお店で売っていたオーデコロン
(ちいさな瓶入りで、彼のお母さんの手作りのレースのケースに入ってる)
を、おくれ〜!とせがんだら、ちゃんとくれた。
でも当時の私のライフスタイルには無縁のものだったので、使わずじまい。
形見わけにと、角砂糖のVさんが届けてくれた、キーホルダーとともに、
なぜかいっしょに嫁入りして、いまだに手元にあるんだよ。
しかもタンスの引き出しとかじゃなく本棚にむぞうさに転がってる。
昼休みの音楽室や、教室でのたのしい日々、すっごいいい時間を共にすごせたんだなぁと
今更ながらに思いおこしています。
角砂糖の名前は覚えているのに、自分たちのバンドの名前はすっかり忘れていた・・(笑い)
こないだ、M雄に言われて、あーそんな名前だったね〜。。で
おまえわっ!!とおこられました。長くなりました。すみません。
]]>Yoshi より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-55
Wed, 01 Nov 2006 02:21:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-55AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1) Gecko/20061010 Firefox/2.0
こんにちは、ご無沙汰してますー。
僕も、この年になるまで同級生の暖かさをこんなに感じたことはありませんでした。高校時代の仲間こそ、数年に一回くらいは会う機会がありましたが、それ以前の幼なじみというと、同じ日本の中とは言え東京と鹿児島はあまりに遠すぎますからね。
でも、これが10年前だったとしたら、今回のような感激はなかったと思います。仕事や子育てに追われ、しゃかりきになってる年頃なので、おそらく自慢話や苦労話が中心となって、自然体で懐かしむことができなかたんじゃないかと。同級生は、ごくたまに自然体で会うからこそいいもんだし、自分への刺激にもなるんだと思いますよ。まさに「ふるさとは遠くにありて思うもの」です。
ああ〜っと、肝心の同窓会の模様をまだアップしてなかった…。一両日中にアップしますねー。
]]>アジケト より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-54
Wed, 01 Nov 2006 01:36:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-54AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)
yoshiさん こんにちは
最近、プライベートも仕事も充実している
って感じがひしひしと伝わってきます。
全くの私事で恐縮ですが、
うちの日本本社が大崎に移転したんですが
湘南新宿ラインで一駅の西大井というのが
僕の幼稚園-小学校-中学校時代をすごした
心のふるさとなんです。
小学校時代の同級生たちもたくさんいて
日本に居さえすれば会えるのに。。。
今後しばらくはマレーシアベースの生活になります。
そこが唯一残念なところなんです。
yoshiさんの帰省、同窓会写真を見ていて
ちょっとうらやましくなりました。
]]>Yoshi より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-53
Wed, 25 Oct 2006 16:14:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-53AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1) Gecko/20061010 Firefox/2.0
吉野は、人切り半次郎こと桐野利明ゆかりの地として知られていますね。元々は薩摩藩の開墾地で、かなりの貧農地域だったらしいけど、吉野小には、島津の殿様が植栽した木がまだ残ってるらしいです。
彼に最初に教えてもらった曲が、その「妹」。以来30数年、曲を書くときも、常に彼が隣にいるような気がしてます。今でも、彼が作った「きらめき」っていう曲は口をついて出てくるよ。
今、風の「あいつ」が終わりました。
]]>角砂糖のV より
https://aisa.ne.jp/yoshi/archives/56#comment-52
Wed, 25 Oct 2006 15:49:00 +0000http://aisa.ne.jp/yoshi/wordpress/?p=56#comment-52AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
彼は、きっと喜んでいてくれると思います。私は、彼の眠る場所と父や祖父母の眠る場所が同じ敷地内なので、挨拶に行く機会は、Yoshiより多いはずですが、ここ30年間で4回しか帰省していないため本当にご無沙汰しているのが心ぐるしいです。
今思うと、当時の仲間内で音楽センスが一番あったのは、彼だったような気がします。Yoshiが音を創る時きっと彼はそばで見てると思うよ。私がカラオケで半音ぐらい外した後必ず「妹」の音を外したときのこと思い出すもんねぇ。
「吉野」は司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」のはじめにの章を読んで頂くと「吉野」と吉野に育った子達の育ち方が少しだけ解ってもらえそうな気がします。
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