第3回寺山会

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 先日、毎年1月下旬に開催される中学時代の関東地区同窓会「寺山会」に参加しました。
 元来、僕は幹事役なのですが、昨年度・今年度共にバタバタしており、事務方いっさいを他の幹事に任せっきりにしてしまいました。福○、ありがとね。

一次会終了後「薩摩おごじょ」の前で。みんな完全にできあがっています。

 今年で三回目になりますが、毎年のように遠く鹿児島や北海道からの参加もあり、六本木の癒しの店「薩摩おごじょ」に20人ほど集まりました。懐かしい味や焼酎に浸りながら、夕方から夜にかけ、それに飽きたらず明朝まで飲んで食べてしゃべくって。さすがにこの年になるとオールは堪えますが、幼なじみと一緒にいると時間の経つのは忘れます。
 このメンバーになると、一挙に小学校・中学校の自分たちに戻りますね。来年も今から楽しみです。

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宮之浦岳に挑む

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 屋久島宮之浦岳登山を終え鹿児島から戻って以来、体調を壊してしまいましたが、やっと復調してきました。
 宮之浦岳登山に関しては、詳しくはワタルのレポートもぜひご覧ください。さすがに「日本の名山」を書き下ろした専門家だけあって、とってもうまくまとめてもらっています。
 それにしても、鹿児島に入ってから発つまでの一週間、珍しく晴天続きだったことには感動すらおぼえました。特に、鹿児島入りした15日から屋久島滞在の17日までは、雲一つない秋晴れ。雨男ならぬ「嵐を呼ぶ男」(ふ、ふる…)にとって、めったに見ることのできない突き抜けるような青空でした。


屋久島フェリー「トッピー」乗り場から臨む桜島

 往路の飛行機からパノラマのように映し出される霧島連山・桜島・開聞岳に、磯庭園から臨む桜島。倒れそうになりながらも登頂した宮之浦岳頂上から見渡す荘厳な雲海、今にも手が届きそうな大川の滝。タイムスリップしたかのような原生林や、天の川のごとく細かい星をまき散らしたような海岸線。
 自然を堪能するに充分過ぎるほどの旅でした。
 さて、今回の主目的である宮之浦岳。
 初登山の僕にとって、山に挑むということがこんなにも困難なことかと思い知らされた一日でした。なにせ、最初の10分で「はたして生きて帰れるんか??」と、くじけそうになるくらいでしたから…。
 登れど登れど頂上は見えてきません。視界が開けたかと思えば、また下り。いったい、いくつの峰を越えたのか。ラスト30分は、気合いだけでどうにか山頂にたどり着きました。
 頂上でワタルが作ってくれたインスタントラーメンの、なんとうまかったこと!
 しかし、地獄は下山時に口を開けて待ちかまえていました。山登りは下山の方がきついことは知識として認識してはいたのですが、これほどまでに辛いとは考えてもいませんでした。
 とにかく、ヒザがいうことを聞いてくれない。少しでも曲げると激痛が走る。最初は右足だけだった痛みも、途中から左足にも転移し、一歩を踏み出すことすら躊躇してしまいます。しかし、生還するためにはヒザを使ってなんとしても歩かなくてはならない。ストックに全体重をかけ、場所によっては身体の向きを変えて地面に這いつくばりながら、ヨチヨチ歩きで進みます。無様な格好と思いながらも、そうしなければ前へ進むことができないんです。
 予定時間を軽く2時間オーバーし、やっとの思いで登山口に戻った頃には、完全に日は落ちていました。


宮之浦岳頂上より眼下を臨む

 リーダー兼ガイド役のワタルと、ずっと静かに見守ってくれた徳さんがいてくれなかったら、絶対に不可能な登山でした。文句一つ言わず、カメのような僕のペースに合わせて歩いてくれた二人には心から感謝しています。本当に、ありがとう。

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いざ屋久島!

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 明日から一週間ほど、鹿児島に戻ってきます。

 今回の主な目的は屋久島登山。標高1936mの、九州一高い宮之浦岳に挑みます。
 小学校の修学旅行(霧島の高千穂)以来、登山らしい登山はやったことがありませんが、屋久島はぜひ一度訪れてみたいと思っていた島です。
 ずいぶん前から、AISA社長のワタル氏と「いつか屋久島に行きたいなぁ」みたいな話をしていたんですが、先日飲んでいたときに、「んじゃ、この10月に行こう!」と酒の勢いで話がまとまり、その場で航空券を予約。無事(?)実現の運びになりました。
 これに、昔からお世話になっている「しらとく邦楽器」の徳さんもぜひ行きたいということで加わり、三人での珍道中になります。
 15日夕方に屋久島着、翌16日に登山、17日に鹿児島市内へ戻ります。
 それ以降は、また友人連中との飲ン方(飲み会)三昧っす。
 しかし、一番の心配は、なんといっても雨、、、。
 とてつもない雨男どころか台風まで呼んでしまう僕としては、今回だけはなんとか食い止めたいところですが…。あとの二人が極端な晴れ男なので、どうやら今のところはおさまりそうな感じですが、これで鹿児島に着いた途端に雨になったら、何を言われることやら…。

 ということで、また来週〜。しっかり桜島と西郷どんに挨拶してきますねー。

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吉野中関東支部新年会

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 昨年末から、連日連夜の忘年会・新年会に加え、怒濤のような仕事に追われ更新が滞っておりました。。。その前の年は、忘年会をやったかどうかも覚えてないし、新年会に至ってはそれどころじゃなかったので、その急激な変化に追われている日々でございます。日記も書かなきゃなぁと思いながらなかなか続かないのは、小中学生の頃からですな。
 最近の大きなトピックは、吉野中学校同窓会の関東支部新年会です。
 昨年夏に帰省して、30年ぶりに幼なじみと会ったことは以前書きましたが、その勢いのまま、関東でも同窓生と会おうということになり、いつのまにか幹事まですることになり、27日に新年会を開催しました。
 鹿児島の同窓会事務局の方々が一生懸命調べてくれたおかげで、愛知県以東にも40人ほどの同窓生がいることがわかり、声をかけました。幹事会も6人で結成し、打ち合わせという名目で幾度となく飲ん方をしながら、内容を検討していきました。
 おかげさまで半数以上の方々が参加し、鹿児島からもこの日に会わせて2名上京。途中、自己紹介とビンゴ大会を合体させた新企画も催し、終始笑いの絶えない新年会ができました。一等賞は、サツマイモのプリン、二等賞はつけあげ、三等賞は黒豚カレー。。。質素倹約・質実剛健が薩摩の誇りじゃっどー。
 いや〜、それにしても、楽しい時間っていうのはあっという間に過ぎるもんですな。男子も女子も、クラスも部活も、夏の同窓会に出席できた・できなかったも関係なく、とっても盛り上がりました。ほとんどは小学時代からの同級生でもありますが、400人のマンモス校なので、中にはクラスも違えば話したこともない人もいます。でも、それぞれの友達や先生や親を介して、どこかでつながっているのが田舎ならでは社会。やっぱり、幼なじみって、いいもんです。
 ちなみに、この会のために店を貸しきりにしてくれた六本木の「薩摩おごじょ」。ママさんもとっても優しい方で、気っ風もいいし、しかも美人(^.^)。もちろん、鹿児島弁バリバリです。なんか、久々に文字通りの薩摩おごじょに出会えたような気がします。食べ物もとってもおいしいしね。ほんとにここが六本木?ってくらいホッととできて、「ただいま〜」って行きたいお店です。オフィシャルなHPはないようですが、場所はこちらです。いつも世話になっている、某AISA社長もお気に入りです。

 30年の間にはみんなそれぞれに人生があったことでしょうが、この一瞬はみんな”その時”に戻れるんだね。ありがとう!

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旅の終わり

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 最終日は、みやげを買い、友人Fが空港まで車で見送ってくれた。

袴腰のフェリー乗り場

 通常は吉野を経由してそのまま高速道路で空港へ行くところを、時間的に少々余裕があるので桜島経由で行こうかということになり、フェリーに乗る。ふと温泉に入りたくなり、袴腰(※1)近くの温泉に入ったまではよかったが、余裕ぶっこいていたのが大失敗。いい気分で出てきたと思ったら、Fのちょっと焦り気味の一言「間に合わんかもしれんどー(※2)」。。。
 急いで桜島の溶岩道路の中を半周し、大隅半島を海岸沿いに北上。ひたすら空港へ向かうが、行けども行けども空港の「く」の字も見えやしない。どこまでも桜島の雄々しい姿が見えたまま、時間だけが刻々と進む(※3)。
 ようやく「鹿児島空港」の標識が見えてきたのは、出発15分前だった。「ほんならな、あいがとなー(※4)」と、別れのあいさつもそこそこに降車したのが出発7分前。お盆休みで出かけていた人や、何かの大会の為に搭乗するらしき学生さん達でごった返すロビーをかき分け、チェックインカウンターへ猛ダッシュ。結果、ギリギリセーフ。ふ〜っ。
 以前、マレーシアツアーの際に、トランジットがうまくいかずマレーシア空港を端から端まで全力疾走したことや、札幌での取材の仕事が長引いて最終便に駆け込み乗車(?乗空)したことを思い出しながら、ほっと胸をなで下ろした。やっぱ、飛行機とは相性が悪いんやろか?

袴腰近くの公園。ゴロゴロしているのは、すべて溶岩。

 こうして、今夏の大きなイベントは幕を閉じた。
 いつものことながら、羽田から浜松町へ向かうモノレールでは、なんとも言えずセンチメンタルな気持ちに打ちひしがれる。それが日常へ戻ることへの安堵感なのか、故郷を離れた寂しさなのか、よくわからない。また、それが気持ちいいのかよくないのかさえもわからない。
 以前は飛行機に一切乗らず新幹線で帰省していたので、それなりの時間の経過と共に感傷は和らいでいたのだが、飛行機はごく短い時間に別世界に踏み込むので、気持ちの切り替えには多少の時間を要する。ただ今回は、みやげを渡すと称して友人とそのまま飲みに行ったので、その感傷が比較的早めに薄れていったのは幸いだったかもしれない。
 生まれ育った故郷があるということ、故郷の友人がいるということを、今回の帰省ほどありがたく感じたことはない。それは年のせいなのかもしれないが、ある種の誇りのようなものでもあり、逆に田舎者の戯言かもしれない。
 しかしながら、少なくとも「ほっ」としつつ、大切なものを見つけたような気がした数日間であったことは確かだ。
※1:はかまごし/桜島側のフェリー乗り場。
※2:間に合わないかもしれないよー(って、これくらいはわかりますよね)。
※3:鹿児島県の地図を見て頂くとわかると思いますが、桜島は錦江湾周辺のどこからでも見えるので、大隅半島をひたすら北上しても桜島が見えているうちは空港はまだまだ先なのです。
※4:それじゃぁね、ありがとうね(…って、これもわかりますよね)。

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観光バス

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中央駅前にある薩摩藩留学生の記念碑

 次の日は特に予定もなかったので、一日どう過ごすかを、二日酔いのボ〜ッとした頭で考えた。桜島に渡ってふるさと温泉でも行こうかとか、黎明館で涼みながら歴史を楽しもうかとか、思い巡らすもののなんとなく腰が上がらない。
 朝食後、ふとホテルのフロントを見てみると市内観光バスのパンフが目にとまった。東京にいてもはとバスに乗ったことがないように、鹿児島にいた頃も観光バスでちゃんとしたコースを回ったことがない。時間的にもいい感じだし、これにしよう決め、西駅…もとい中央駅に向かった。
 バスに乗り込んだものの、お客さんはほとんどおらず、全部で10人ほど。気分的にもゆったりできそうだ。
 こういうベタな観光は、自分から馴染んでいかないとつまらないと思い、ガイドさんの話も真剣に聞きながら、市内の名所を巡る。
維新ふるさと館
 出発してすぐ、維新ふるさと館で幕末〜維新にかけての立体パフォーマンスを見たあと、ザビエル公園・照国神社・鶴丸城跡・西郷どん・薩摩義士碑をバスの中からのぞき、城山展望台で桜島と市内を一望。西郷洞窟を経たのち、西南戦争で散った魂達の冥福を南州墓地で祈る。そして仙厳園(磯庭園)と隣接する尚古集成館ではちょっと長めに観覧し、桜島桟橋前を回って天文館で下車。
 しめて3時間30分。ざっと見ただけだが、それでもけっこう充実感はあった。観光バスも乗ってみるもんだ。

薩摩のヒーロー西郷どん
最近お化粧直しをされたらしい

 それにしても、南州墓地って行ったことがあったんだろうか?小中学校の遠足で行ってるはずなんだが、覚えがない。それだけに、西郷どん初め、桐野利明・篠原国幹・村田新八ら、諸将の墓石が新鮮だった。
 あと、磯庭園は吉野台地のちょうど下に位置するのでけっこう遊びに行っていたが、集成館に入ったのは始めてだったので、もっとじっくり見たい気もした。
 しかしながら、ヒマつぶしにしては、なにげに実入りの多い市内観光だった。西郷どん達と最後まで戦った5人兄弟の逸話とか、鶴丸城跡には根を広げた珍しい種類の木が石垣にへばりついてるとか、熟知しているようでも意外と知らなかったことってけっこうあるものだ。「へーそうなんだー」と感心しながら、今更ながらだけど得した気分になった。今度帰省したら、また別のコースに乗ってみようかな。
 そして夜は、鹿児島到着時から毎日のように世話になっている高校時代の友人Fとしっぽり飲ン方。心地いい疲れと共に、鹿児島最後の夜は静かに、あくまでも静かに、終わった。。。

さだっ(夕立)に煙る大好きな桜島を、磯庭園から臨む
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吉野中30期生同窓会

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 くたくたの身体で熟睡し、気が付けば同窓会の30分前。やべぇーと急いで準備をし、電車(いわゆるチンチン電車)に乗って悠々行くつもりだったのが、そんな余裕もなく即タクシーに飛び乗った。
 会場に着くと、あっちでもこっちでも、すでに「わぃはだいやったけ?」「○○よ。わからんとか!」「なぁ!? わからんじゃったどー。肥えたもんじゃ」(※1)とかいう会話があちこちで聞かれる。記憶の底にある懐かしい顔がそこらじゅうにある。しかし、名前がなかなか出てこない。クラスごとのテーブルに置いてある名簿と中学の時の写真とを重ね合わせて、やっと思い出す。意外と男子の方が、出るところは出て上がる部分は上がりと、容貌もずいぶん変わった人が多く、女子はそのまま綺麗にお年をめした感じだ。いずれにせよ、みんないい年の取り方をしていて、幼い頃の面影はそのまんま残っている。たしかにあの頃の顔が、声が、会場にあふれていた。
 開会の挨拶や、先生方のご挨拶、写真撮影と、どれもこれも和気あいあいと楽しく和やかに進行する。だれもがみんな笑顔をたたえている。先生方も、本当にお元気だ。僕らを受け持ってくれてから30年、今僕らはその世代になっている。あの頃は怖かった先生方も、今日は一緒に焼酎を酌み交わせる。鹿児島の郷中教育の名残からなのか、少なくとも僕らの世代は先生が絶対の存在だった。しかし、先生達は一所懸命教育してくれた。一緒に泣いてくれていた。身体を張って真剣に怒ってくれていた。そして今日、心から喜んでくれている。

6組担任のお名前を拝借したTシャツ。
とっても着心地がいい(^_^)。

 昔話はとどまることを知らない。そのうち、クラスを離れて、あっちこっちで小学時代の話まで遡る。吉野中は当時、3つの小学校の卒業生が通うマンモス校だった。1クラス40人ほどが10クラスある。人数も多ければ、各小学校での思い出も深い。「竹馬を作っせー遊んだどねー」「じゃったじゃった、わいげーの裏ん山で竹を切っせーよ」(※2)とかなんとか話をするうちに、時間はどんどん過ぎていく。会話に熱中するあまり、ビールや焼酎は進むのだが食べ物はほとんど手つかずのままだ。おかげで、写真を撮るのもすっかり忘れていた…。
 最後はおきまりの校歌斉唱だが、このときほど校歌っていいもんだなぁと思ったことはない。僕はブラバンだったので、伴奏するばかりで歌うことは少なかったのだが、ちょっとだけこみ上げてしまった。
 楽しい時間ほど、過ぎるのは早い。興奮と感激のうちにあっという間の3時間が過ぎ、それぞれクラス別に2次会へ突入。それにしても、僕らのクラスはひときわ出席率が高い。これも、幹事の3人が一生懸命頑張ってくれたおかげだ。
 住所探索から始まり、細かい事務作業や各人への連絡、企画の準備等々。さらに当日は、我がクラスのテーブルだけに置かれた、中学時代の写真をラベル代わりに貼り付けた特注特大焼酎。担任の先生の名前を拝借してプリントしたTシャツ。同窓会後の連絡用の絵はがき。BGM用に用意した当時流行った曲。さらに、これはうまいからと2次会用に用意してくれた焼酎「紅一刻」と、それを割る為に、同窓会当日に車で数時間かけて汲みに行ってくれた天然の水(!)。この日を記念したオリジナルのケーキなどなど。みんなのことを気遣い、最高の思い出を演出してくれた幹事に、みんな感謝の一言だった。


オリジナルケーキ。うんまかったー。

 この日の感激は、おそらく一生忘れないだろう。実際、戻ってからもしばらくはその余韻が抜けず、さっそく関東在住の同クラスの連中で飲ン方を行なった
 30人ほどの幹事さん達の苦労はいかばかりだっただろうか。後日作ってくれたHPを見るにつけ、当日の、そして当時の感動と思い出が蘇る。心より感謝の気持ちを捧げたい。ありがとう!
 この日にもらった力と夢は、その後の僕の日常を勇気づけてくれているよ。
※1:「君は誰だったっけ?」「○○だよ。わからないの!」「ええーっ!? わからなかったよー。太ったねぇ」
※2:「竹馬を作って遊んだよねー」「そうそう、君の家の裏山で竹を切ってきてさー」

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吉野へ

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 帰省日記がすっかりおざなりになってしまった。あれからすでに2ヶ月以上が過ぎてしまったので、もはや日記とは言いがたいが、この夏最大のイベント「吉野中学校30期生同窓会」を振り返るとしよう。
 8月12日は猛暑だった。同窓会は夕方からだったので、前夜の高校ブラバンの飲ン方明けでフラフラぎみの身体にむち打って、午前中に地元である吉野へ向かった。同窓会を前に、どうしても母校である吉野中学校を見ておきたかったし、最初にギターを教えてくれた同級生と父の墓参りをするためだ。
 吉野町は、鹿児島市でも北部に位置する。今では空港リムジンが通るし、ベッドタウンとして整備されているが、30年前はまだまだ田舎。特に、僕が住んでいた中別府は、夜ともなれば街灯さえない道を月明かりだのみで帰っていたくらいだ。


わが母校、吉野中。

 よせばいいのに、ふと、卒業以来踏み込んでいない通学路を歩いてみたくなった。友人の墓は、その途中にある。小道に入って、しばらくは身体が覚えているらしく快調に進む。しかし、5分ほど歩いたところでハタと足が止まった。どっちだったっけ???
 なにしろ30年ぶりだ。開発の波も押し寄せている。街道に近い大きな道だったらなんとなくわかるかもしれないが、新興住宅と昔ながらの旧家が入り乱れ、通学路である裏道はいっそう複雑になっている。
 たしか20分も歩けば着くはずだが、迷えば迷うほど、同じ場所をグルグル廻っているばかり。しょうがなく、多少広めの道へ戻り、倍以上の時間をかけてようやく目的地に到着。「よいなこっ着いたどー(※)」と、肩で息を切らせながら友人に挨拶し、なんとか墓参りを済ます。さっき買った冷たいはずのお茶は、すでにぬるま湯を通り越して、泡だらけのよくわからない液体になっている。
 今度は父の墓参りだが、中学校をはさんで正反対方向にあるので、ゆうに3kmはある。しかしながら、炎天下と二日酔いに空腹感も押し寄せ、すでに身体は極限状態。陽を遮るものがない信号待ちでは、クラクラしたので思わず座り込んだら吐き気がしてきた。「やべぇー。急性熱中症かぁ? 墓参りに来てあの世にいった日にゃぁシャレにもならんなぁ」とか、「日頃から運動しとけばよかったなぁ」とかいう、あまり意味のない反省が頭をよぎりながらも、立ちくらみを誤魔化しつつ体勢を立て直し、ゆっくりと歩き始める。
 ついに吉野中に到着。正門の前に立つと、心地いい風が頬をかすめる。ここで3年間過ごしたんだ、あのときの友達と今日会えるんだと思うと、少しだけ生き返った思いになる。校庭の作りとかはずいぶん変わったものの、やっぱり母校。あちこちに昔の面影は残っている。校訓である「やればできる」の碑を見据えると、なぜか勇気が湧いてくる。


吉野中の校訓「やればできる」の碑。どんな時でもこの言葉だけは忘れない。

 あとは父の墓参りを残すのみ、と思いきや、にわかに空模様が怪しくなる。「降れ、降れ、降ってくれー」というマジな雨乞いも天に届かず、お日様はすぐニンマリ。亀のような歩みで最後の力をふりしぼり、なんとか任務を終了。
 さらに15分ほどかけて街道まで出て、たまたま通りがかったタクシーに倒れるように転がり込む。いったんホテルに戻り爆睡。何度目かの目覚ましで起きたのは、同窓会30分前だった。

※「やっと着いたよー」の意。

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ブラバン

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 鹿児島市内まで戻る途中、吹上浜を少し見ようかということになった。かなり遠浅の砂丘なのだが遊泳禁止区域。たぶん潮流が複雑なのだろう。海風にあたりながら「泳いでる人がおるなー、ここは遊泳禁止じゃろ?」とか言っていたのだが、車に戻りかけたとき、パトカーや消防車がものすごい勢いでとばしてきた。「すわ事件か?!」と、報道マンのT氏はすかさず消防士に事情を聞いた。なんでも、若者数人が溺れたらしい。なんと、彼らは泳いでいるのではなく溺れていたのだった。消防士の後について駆けていったら、数人が海岸で座り込んでいる。どうやら自力で助かったようだ。ほっと胸をなでおろす。

遠浅の吹上浜


 とんだ事件のおかげで時間を読み違え、帰りは渋滞にハマりまくった。なんとか夕方には市内へ戻り、T氏は打ち合わせがあるとかで、トンボ返りで南さつま市へ戻っていった。なになからなにまで本当にありがとう! おかげで、とっても充実した一日を過ごすことができたよ。
 都会で過ごしていると、日々の喧噪に慣れきってしまい、あたかもそれが日常のあるべき姿だと思いこんでしまう。でも、ここ南さつま市は、町全体が穏やかで、ゆったりとした時が流れている。翌日にひかえた30年ぶりの同窓会を前に、置き忘れてきた大切なものを確かに思い出させてもらった。
 夜は、高校時代のブラスバンド仲間と飲ン方!
 男女問わず、先輩後輩問わず、10数人集まってワイワイと焼酎を飲みまくる。共に一生懸命打ち込んできた仲間だけに、話が尽きることがない。結局は昔話で盛り上がるのだが、それはそれでいい。20代の頃は、いつまでも過去の栄光を語る雰囲気がいやで、会うことをあえて避けていたが、この歳になると、それはそれで楽しいものだ。

外見はともかく、中身は高校時代のまんま。

 それぞれがいろんなことをやってきた。それぞれがいろんなことをやろうとしている。そして、それぞれがいろんな悩みを持っている。でも、そんなことは全部、顔を一目見ればわかる。何を言わんとしているのか、世間話の中にかいま見られる。それが、故郷の友達だ。かけがえのない、僕の宝物だ。

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あら煮

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 車は一路西へ。ほぼ海岸線に沿って走るが、片方は切り立った崖だ。途中、最近はあまり見かけなくなった石垣の段々畑を眺め、小さな港町に降りて潮風にあたる。

みごとな段々畑だが、現在は畑としては使用されていない。

 何艘かのヨットが停泊していたが、その内の一艘は石原裕次郎が最後に乗っていたものらしい。そういえば、日本テレビ「鉄腕ダッシュ」で一筆書き日本一周をやっているが、この道も通ったのだろうか?

真ん中に見えるマストが高いヨットが裕次郎所有のものだったらしい。

 再び走る。小島がいくつか見えてくる。鹿児島は、知覧や鹿屋といった軍事基地があり特攻隊の拠点になっていたが、なんと船にも特攻隊があり(いわゆる人間魚雷)、この島の一部に隠れるように工場が存在した。実際には発進されることなく終戦を迎えたが、GHQ指導のもと工場の破壊作業中に爆薬が暴発し、数人が犠牲になった。戦地での死ではなく、工場での、しかも戦後の国内での犠牲。あまりにもいたたまれない気持ちのまま、しばし沈黙が続く。

 笠沙地域をほぼ一周し、再び加世田へ戻る。
 14:00も回ってきたところでさすがに腹も減ってきたので、海辺らしく「ドライブイン大浦」という活魚料理の店に連れて行ってもらった。ドライブインというよりは、ちょっと大きめの居酒屋といった感じだ。さっそくお勧めの刺身定食を注文するが、定食にもれなくついてくる「カンパチのあら煮」ががこの店の名物だそうだ。15cmほどのアラで、パッと見た目は普通のアラと変わりない。が、一口食べてびっくり。うまい! これはうまい!
 非常によくつけ込んであり、隅々までしっとり味がしみこんでいる。さらに驚いたことに、骨が口の中でとろけていく。つまり、身やゼラチンはもちろん、骨まで全て食べられるのだ。刺身ももちろんうまいのだが、このあらはぜひ一回は食すべし。

「ドライブイン大浦」と南日本新聞社南さつま支局長T氏。
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