土方隆行<ひじかた たかゆき>

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 僕はギタリストであるにもかかわらず、自分の中で、いわゆるギタリストのヒーローが存在しない。もちろん、好きなギタリストは一杯いるのだが、若い頃に多くの人が思う「こんなギタリストみたいに弾きたい」とか「このギタリストの生き方に感銘した」とかいう思いがなかった。どちらかと言うと、楽曲に共感したり、アンサンブルのすごさ・グルーブのカッコ良さにハマったりすることが多く、アイドルはバンドばかりだった。若い頃は、なにかとギターのフレーズをコピーすることも多いものだが、むしろリズムセクションがどうなってるかをひもとくことが多かったように思う。
 ある種特異な僕のギタリスト観だが、このギタリストだけは、素直に「すごい!」と思う。それが土方隆行だ。

MARGINAL LOVE

 僕が土方氏の存在を知ったのは「マライア」というバンドだ。日本のプログレッシブロックの草分け的バンドで、20歳前後の頃わけのわからないままにハマっていき、「MARGINAL LOVE」や「RED PARTY」を繰り返し聞いていた。その「MARGINAL LOVE」のどアタマに流れる、奇っ怪なギターリフのインパクトたるや! 今でも自分で曲を書くときに、そのフレーズが出てきてはアタマにこびりついて離れない。困ったもんだ…。それが土方氏との出会いだった。
 さてその土方氏だが、ソロアルバムとしては「Smash The Grass」「Atomic Rooster」「Full Moon」の3枚をリリース。さらに’83年には、プロジェクトとして「NAZCA」を結成。こちらも3枚のアルバムをリリースしている。
 また、スピッツ・河村隆一・ゴスペラーズ・エレカシ・TOKIO等を始め、数え切れないほどのバンドやソロアーティストをプロデュースしていることでも知られる。
 土方氏のギターは、よく「超絶技巧」と言われるが、僕はそうは思わない。たしかに、長年にわたるスタジオワークの経験を積んでいるのでテクニックはずば抜けているが、むしろファンキーで爆発的な肉体派の部分と、メロディアスで日本人的な繊細さを同居させていて、それを同時に表現できる希有なギタリストだと思っている。影響を受けたギタリストの一人がジェフベックとのことだが、僕はその通りだと思う。それに、楽曲とそのアレンジのセンスがすばらしい。
Smash The Grass
 この「Smash The Grass(グラスを砕け)」は、僕の中でもトップクラスに位置するFavorite Albumだが、そんな土方氏の魅力があますところなく散りばめられている。フェイドインで始まるファンキーなカッティング、それが最高潮に達したときのブレイクに響く「グワシャッ」と砕けるグラス音。直後の強烈なブラスセクションとリズム隊に身体が揺れている頃には、すでにこのアルバムの虜になっている。2曲目の間奏では、8本のギターだけによるバロック調の重厚なアンサンブル。当時はMIDIさえも世の中に出ていないアナログ全盛期なので、「レコーディング方法自体が不明だ」とアドリブ誌上に書かれていたことを思い出す。
 いたいけで純粋な少女がダイナマイトを抱え、そこに差し込む一条の光、というジャケットも意味深だ。
 全8曲と、現在にしては非常に少ない曲数だが、腹一杯になることもなく、空腹感もない。聴き終わった頃には、妙にホッとした気持ちになる。これは僕だけかもしれないが、このアルバム、もちろんファンキーだしプログレッシブだしサイケデリックなのだが、全体的に中世的な雰囲気が漂っていると思う。モノクロームの古いヨーロッパ映画を見ているような感覚にさえ陥る。

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しあわせな時間

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 昨日、20年来のFavoriteバンド「AB’Sのライブを見に行った。
 
 仕事がら、おつきあいや打ち合わせ・取材等でいろんなアーティストのライブを見に行く機会が多いが、ちゃんと自分でチケットを予約し、開場時間に入って、自分の本当に好きなライブを見に行くのって、何年ぶりだろう。ちょっとだけドキドキしながら、若い頃のワクワク感を隠しきれない気分で、渋谷のライブスポット「KABUTO」に入った。
 開場時間をほんの少し過ぎただけなのに、観客はかなりいる。ぐるりと見渡しても、自分と同世代の人たちがほとんどだ。間違っても中高生はいない。
 大好きなドナルドフェイゲンのBGMが流れる中、メンバーが無造作にステージに入ってきた。
 自分のアイドルがすぐそこにいる。25年ほど前、スペクトラムのファイナルで武道館に行き、だだっ広いステージで光を放っていたあの人たちが、手を伸ばせば届きそうなところにいる。そんなミーハー的な気分も交えつつ、曲はスタートした。
 メンバー5人とも、すでにいい年だ。そりゃそうだ、自分も45歳になろうとしてるんだから。そのいい年こいたおっちゃんたちが、実に楽しげに嬉しそうに演奏している。超一流の演奏がそこにあるが、そんなことより、曲に、雰囲気に、どんどん引き込まれていく。幸せな気持ちになっていく。
 曲間のMCも非常に楽しく、80人ほどのギャラリーと、日本を代表する名うてのミュージシャンが、実に屈託のない、和やかな空気に包まれた。腹の底から笑い、身体全体で興奮した。

会場で購入した「Single」

 昨年リリースしたアルバム「NEW」全曲を、その順番通りに演奏。曲数はわずか10曲。MCで、曲紹介やこれまでの生い立ち(?)・業界裏話等を交え、世代的にはそんなにかわらないんだなぁということを再認識した。あっという間に時が流れた。
 アンコールでは、「今日が誕生日の人のために」と、オリジナルアレンジの「Moon River」を、なんとアカペラで歌い上げた。メンバー全員がボーカルもやり、曲の至る所でコーラスを盛り込んでいるAB’S。絶妙のコーラスワークだった。最近ぽっと出のアカペラユニットなんかより数百倍も心にしみた。
 2回目のアンコールでは、曲目を用意してないということで、1曲目を再演。さらに盛り上がり、しわせな時間は通り過ぎた。
 言葉にするのももどかしいくらい、ほんとに最高だった。心を解放して音楽に接するって、何年ぶりだろう。じんわりとしたここちいい余韻が、終電の中まで残った。

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PINK<ピンク>

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 PINKの名前は知らなくても、福岡ユタカ・ホッピー神山・岡野ハジメと言ったらご存じの方も多いのではないだろうか。今では作曲・プロデューサーとして第一線での活躍をしている人々だが、彼らが在籍した伝説のバンド、それが「PINK」だ。
 各人はビブラストーン・ショコラータ・爆風銃等で活動していたが、’84年に「PINK」としてメジャーデビュー以来、’89年の解散までに5枚のアルバムをリリース。圧倒的なパワーと存在感で、同世代の他バンドから群を抜いていた。
1st:PINK
 メンバー構成は以下。
・福岡ユタカ(Vo)
・ホッピー神山(Key)
・岡野ハジメ(Bs)
・矢壁アツノブ(Ds)
・スティーブ衛藤(Per)
・渋谷ヒデヒロ・逆井オサム(Gt)

2nd:HIKARI-NO-KO

 僕はこのバンドのことを何も知らずに、当時のレンタルレコード屋で2枚目の「光の子」を何気なく手にし、針を落とした。腰を抜かした。ブッ飛んだ。最近で言うところの「ヤバい」か? いや、そんな悠長な状態ではなかった。とにかくタマゲタ!「こんなバンドがあったとは。もっと早くに知ってなくちゃいかん!」と、1枚目も手に入れるべく速攻でレコード店に走った。
3rd:PSYCKO DELICIOUS
 基本はロックなのだが、ポップ・ファンク・ニューウエーブ・テクノ、そしてエスノと、ノンジャンルかつ無国籍っぽいサウンドが大きな特徴だ。実際、メロディーラインは非常にポップで親しみやすく、一歩間違えると安物の歌謡曲になりうるが、大胆で計算されたアレンジ・卓越したテクニック・想像をはるかに超えたパワーで、超個性的なPINKサウンドに仕立てている。いずれも一騎当千の強者揃い、とにかく一度聴いたら病み付きになる。

5th:RED & BLUE

(4th:CYBERは欠落、現在手配中)

 福岡ユタカの抜けるようなボーカル…と言うよりボイスと言った方がいいんだろうか。当時流行り始めた、日本語を英語のように発音する和製英語のようなんじゃなく、根元的なところから発せられる「声」…もっと言ってしまえば、雄叫びのような「声」、にシビれた。
 岡野と矢壁がたたき出すビートは、強烈・圧巻に尽きるし、スティーブのパーカッション群がパワーに風景を付ける。
 ホッピーのキーボードは、音色・プレイともに、あくまでもサイケだ。
 ギターは、1〜3枚目が渋谷ヒデヒロ、4枚目で逆井オサムにチェンジした。ロックバンドだというのに(?)ギターソロは皆無に近いが、ツボを抑えたバッキング・心地いいカッティングがシブい(この二人のギタリストは’00年に相次いで他界したとのこと)。
 音楽的には、メロディーがしっかりしていればアレンジや雰囲気でいかようにも料理できること、エスニックなエッセンスはどうやれば具体化できるのか、音楽のパワーとは何か、を教えてくれたバンドだ。
 自分の精神状態に関わらず、思わずCDを引っ張り出して聞きたくなる麻薬的なバンド、それがPINKだ。

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天空の草原のナンサ

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 先週、久々に映画館へ足を運んだ。高田馬場の早稲田松竹で上映される「天空の草原のナンサ」を見るためだ。この映画館は、20日から今月一杯は館内改装で休館になるため、ギリギリのタイミングだった。
 モンゴルの写真を紹介してくださった岡本さんの勧めだったのだが、恥ずかしながら僕はこの作品を知らなかった。
 この映画は、映画と言うより、日常をそのまま綴ったドキュメンタリーといった色合いが強い。何か大事件が起こるでもなく、わくわくするような冒険が待っているわけでもない。実に淡々とストーリーは流れる。
 しかしながら、この日常こそに大きな意味がある。
 自然とは、家族とは、生きるとは、愛とは、優しさとは…を淡々と、実に平凡に描く。「見失った何かをきっと見つけられるでしょう」などといった陳腐なコピーフレーズでは表現しきれない「なにか」がそこにはあった。どこまでも続く大草原の中で暮らす一家の、なんとつましいこと、そして、なんて暖かいこと。自分よりも弱いものを守ろうとする、でも自分もまだ幼い少女の、なんとたくましいこと。
 遊牧民の移動式住居「ゲル」を中心に、なんのてらいもなく、ごく自然にカメラが追う。
 しかしながら、上映終了後、涙があふれる。なぜだかわからない。
 なぜだかわからないから、日常なのだろうか。

<photo by Yoshio Ogura>
 ストーリー等については詳しく触れない。モンゴル遊牧民として生まれた6歳の少女ナンサを中心とする一家のたあいもない日常が、一匹の子犬ツォーホルとの出会いから微妙に変化していく、といったところだろうか。僕の世代では、アメリカ大西部を舞台にした長編ドラマ「大草原の小さな家」をなんとなく思い起こさせるが、モンゴロイドの血のせいか、より身近に感じられた。
 馬頭琴や中国箏を織り交ぜたBGMも、風景にうまく溶け込んで心地よい。
 6月中旬まで東京飯田橋のギンレイホールでも上映されるので、時間が許す限りもう一回見に行こうと思う。また違った感情が呼び起こされるかもしれない。
天空の草原のナンサ(原題:The Cave of the Yellow Dog)
・監督脚本:ビャンバスレン・ダヴァー(2005年 ドイツ 93分)
・出演:ナンサル・バットチュルーン一家
・オフィシャルサイト:http://www.tenku-nansaa.com/

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モンゴルの写真

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かなか見つけられなかったモンゴルの写真ですが、知人の紹介で提供していただくことができました。この方々はシーカヤック仲間で、日本各地は元より、世界のあちこちでもシーカヤックを楽しまれているとのことです。タイトルバックの写真も、実際にモンゴルに行かれたときにご自身で撮影されたとのこと。やっぱり、本物のモンゴルは奥深いですね。

 紹介してくださった岡本様、実に気持ちよく写真をご提供くださった小倉様、本当にありがとうございます。
かにもすばらしい写真をたくさんお預かりしていますので、数回にわたってご紹介していきたいと思います。お楽しみに!

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お勧めテキスト

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 20数年の歳月の中で、私の心を捉えて放さない文学作品、それが「水滸伝」だ。
 中国四大奇書とされる「三国志」「西遊記」「金瓶梅」、そして「水滸伝」。これらは日本人にとってもなじみ深く、昔からさかんに読まれてきた。
 現代の日本では、水滸伝よりも三国志の方が圧倒的な支持を得ているが、江戸時代はむしろ水滸伝の方が爆発的なブームを生んでいた。もちろん、私も三国志は大好きで、あらゆる書籍を読みまくった。しかし、企業経営や自己啓発のノウハウ本に利用されるようになった頃から、その熱は冷めてきた。なんとなくイヤミな感じがしてきたからだ。むろん元々の三国志は、大切な友として本棚に鎮座しているのは言うまでもない。
 水滸伝は、ものすごく簡潔に言ってしまうと、「108人の英雄豪傑が一堂に会し、貪官汚吏を倒して救国を目指す冒険活劇」だ。
 しかしながら、日本のような勧善懲悪の道徳世界とはまた違う。なにしろ、108人は決してかっこいい正義の味方ではない。むしろ、世間のつまはじき者やならず者がほとんどを占める。それでも心を捉えてやまないのは、物語のおもしろさ・個性の豊かさ・荒唐無稽なストーリーなど、爽快感に満ちあふれているからだ
 このカテでは、私が感じる水滸伝をいろんな視点から思う存分紹介していこうと思う。そして、私自身もこのカテを書くことによって、すでに人生の半分を共に過ごしてきた水滸伝を、自分なりの水滸伝として一からまとめていこうと思う。
 まず、今現在入手できる水滸伝のテキストで、私のおすすめの3作品を紹介しよう。
1.駒田信二 水滸伝(全8巻/講談社文庫)

 最も原典に近い、と言うか、原典の忠実な翻訳本。水滸伝に限らず、外国の名作には必ず翻訳本が存在するが、訳者によってそのニュアンスが異なるのは当然のことだ。日本の古典でさえ、テキストによって解釈が微妙に異なるのと同様である。水滸伝にも優れた翻訳本は多数存在するが、駒田氏の訳がもっとも原典に近いとされる。岩波文庫の完訳水滸伝(全10巻)も原典に忠実だと言われるが、表現の仕方が少々古くさい。
 本書は、原典のあちこちに盛り込まれた「詩」も、余すとこなく網羅している。それに、中国と日本という異なった文化の中でも、手に取るように想像をかき立てる表現力がすばらしい。また、色彩感も豊かだ。
 全くの初心者の入門書として読むには少し忍耐が必要だが、いずれ紹介する簡訳本を読んだ後、もっと深く味わいたいと思ったら一押しの作品だ。
<http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/>
2.北方謙三 水滸伝(全19巻+読本/集英社)

 水滸伝フリークの中では、賛否がはっきり分かれる作品だ。断っておくが、これは古典としての水滸伝ではない。北方氏が幼い頃から親しみ影響を受けてきた水滸伝を、彼の中で昇華し、いったん完全に解体したところから新たに構築していった、完全にオリジナルの水滸伝だ。主人公たる108人の豪傑や主な登場人物こそ原典を引用しているが、それぞれのキャラは北方氏が設定したものとして描かれているし、ストーリー・時間軸・舞台設定もオリジナルだ。研究者やマニアの間でこの作品を「否」とする理由はここにある。
 しかし、私はこの作品が大好きだ。ここには、男の死に様が描かれている。と同時に、男の生き様が実にリアルに描かれている。読みながら涙し、怒り、微笑み、あらゆる感情が呼び出される。完結した時点で最初から読み直したのでまだ読破していないが、それこそ寝る間も惜しんで読んでしまいたい衝動に駆られる作品だ。
 ちなみに、全巻刊行のおりに北方氏のサイン会があったのだが、私もミーハー心を隠しつつ2時間ほど並んでサインをして頂いた。「僕も渾身の力でモノを書きます、Yoshiさんも渾身の力を込めて音楽を作ってください!」という力強いことばと共に、固い握手を交わしながら。
<http://www.shueisha.co.jp/suikoden/index2.html>

3.正子公也氏・森下 翠 絵巻水滸伝(全10巻・未完/魁星出版・學燈社)

 イラストレーターの正子公也氏と作家の森下翠氏がネット上で連載していた「絵巻水滸伝」を、読者からの熱烈なリクエストにより書籍化した作品。この4月に第1巻が刊行されたばかりなので、完結にはまだまだ時を要する。書籍化にあたっては加筆修正したということだが、基本部分はネット上でも読める。この作品のすごいところは、なんと言っても正子氏のCGによる華麗なビジュアルだ。108人のキャラがこの上なくタッており、すさまじい迫力で圧倒される。初めてこのサイトを覗いたときは、そのインパクトに声も出なかった。
 文章の方は、基本的に原典を踏襲してはいるが、森下氏のオリジナルと言っていいだろう。腰を据えて読むのはこれからだが、本を読むと言うよりは、映画を見るような感覚で読み進められると思う。
 なお、全10巻の書籍化に先だって、108人のキャラを描いたビジュアル本「絵巻水滸伝 梁山豪傑壱百零八」が複刻版として刊行された。以前、光栄から刊行されていたが第1刷で絶版になっていたものだ。首を長くして待っていた再発だけに、入手できたときの喜びはひとしお。高価な美術書のようなこの本は、私の本棚を彩る宝物になっている。
<http://www.suikoden.com/>

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SAMURAI 7

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 最近ハマっているテレビアニメがある。幼い頃がアニメの宝庫で、放映されるあらゆるアニメを楽しみにしていた世代だが、さすがにこの年になると、と言うか、いい作品に巡り会えずと言うか、なかなか縁遠くなっていた。
 それは、金曜日の深夜0:30からNHKで放映中のSAMURAI 7だ。新聞を見ていて偶然見つけたんだが、「また〜、どーせ七人の侍のパクリだろう?!」くらいで、かなりいい加減な気持ちで見てみた。案の定七人の侍のアニメ版だった…。
 絵的には当然今っぽいし、全体にゲーム感覚のタッチが流れているので、「七人の侍フリークとしては許せん!」という気持ちだったんだが、見ているうちにどんどん引き込まれて、気がついたら虜になっていた。
 なにがおもしろいって、時代背景・キャラクター設定・戦闘シーン等はむちゃくちゃSF冒険活劇なのだが、実に細かい部分まで七人の侍を研究しつくしていること。七人の名前はもとより、あちこちに散りばめられた名セリフもそのまま採用してる。
 僕の中で一番印象的なセリフは、村が野党に襲われ、水車小屋に村人が集まって善後策を話し合っているさなかの長老の一言「やるべし!」だ。このセリフをそのまま、しかも光のアングルとか、コマ送りとかも全く同じような設定の中で、妖しげな長老が口にした。
「…やるべし!」
 この場面を見た時は、腰を抜かすほどにブッとんだ。が、それから、よ〜く気をつけて見ていくと、百姓が宿泊していた馬小屋や、そこをねぐらにしていた博徒とのやりとり、町を行き交う浪人の面体・持っている武器など、非常に細かい部分まで七人の侍そのままに活写しているのがわかってきた。
 もちろん、キャラ設定も踏襲している。
 リーダーの勘兵衛は沈着冷静。しかも剣さばきは抜群だ。人質に捕られた幼子を救うシーンも、もちろんあった。
 「薪割り流を少々…」と登場するムードメーカー平八は、ちゃんと茶屋の裏で薪割りをして登場するし、若武者=勝四郎はクソマジメで若い女性と恋に陥るキャラとしてそのまま描かれる。
 笑うのは、三船敏郎扮する菊千代だ。キャラ的にはそのまま豪放磊落だが、なんとロボットの侍だということ。どこからか盗んできた家系図をこれ見よがしに披露するシーンも、もちろんある。
 剣豪=久蔵は非常にかっこいい描かれ方をしており僕も大好きなのだが、SAMURAI 7では一風変わった登場をするようだ(たぶん次回くらいじゃなかろうか)。
 補佐役の五郎兵衛だけは、七人の侍というよりは、その西部劇版=荒野の七人のヴィン役=スティーブ・マックイーンのキャラとダブる。と言うか、マックイーンそのものだ。
 たしかに描写的に完全に今風なのだが、根底に流れている「七人の侍」魂は生かされている。まだまだ始まったばかりだが、最終的にどこにテーマをもっていくのかで、このSAMURAI 7の評価が分かれることになろう。
 僕は、世界的な名作である七人の侍は、そもそも水滸伝がモチーフになっているのではと思えて仕方がない。一人ないし複数のスーパーヒーローの活躍を描くのではなく、個性の違うキャラが集まり、権力や暴力・不条理に立ち向かっていくという思想・概念は、水滸伝そのものだ。この件についてはまた別カテで詳しく触れるが、それも含めてSAMURAI 7。単純に、見ていておもしろい。七人の侍フリークとしては、かなり楽しめる作品だと思う。

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23戦士決定!

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 ついに、ワールドカップ戦士23名が発表された。
 FW以外は、まぁ順当と言ったところだろうか。久保が洩れたのは残念だが、ぜひとも大いに騒がせてもらいたいところだ。個人的には、重心の低い小笠原・ボランチ福西・カエル顔の小野と稲本といった、役者の揃ったMF陣を大いに楽しみにしている。
 予選リーグは、クロアチア戦が一番苦しい戦いになると予想している。「ヨーロッパのブラジル」と言われるくらいに個人技にも優れ、なおかつ組織力もある東欧のサッカーは、ルーマニア・ハンガリー・旧ユーゴを含めて元々好きなのだが、その中でもクロアチアは非常に強敵。この第二戦は、目が離せないと同時に予選リーグの中でも特に楽しみな一戦だ。
 それにしても、代表選手で最年少が駒野の24歳。次回ワールドカップは大丈夫なんだろうか、始まる前からなんなんだが。
 ジーコは、やはりブラジルサッカーなので個人技尊重タイプ。前大会のトルシエは完璧に組織サッカーだった。そもそも、国民性的に組織の中で力を発揮してきた日本人にとって──最近はいささか違ってきているとは言っても──、ブラジルサッカーでどこまで通用するんだろうか。
 僕はヨーロッパタイプの組織重視サッカー派なので、2010年南アフリカ大会こそは、ぜひベンゲルにやってもらいたいと、未だに思っているんだが。。。
 いずれにせよ、あと1ヶ月足らず。2002年大会の時、予選の段階で「今回のMVPは絶対にカーンだ!」と見事に言い当てたYoshiも、寝る間を惜しんで観戦に明け暮れることだろう。

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イントロダクション

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 僕は、作曲・アレンジ・演奏をするかたわら、「Score Analyzer」という一面も持っています。ミュージシャンを目指す人だったら一度は楽器店で目にしたことのある「バンドスコア」や「ギター弾き語り集」を制作しているんです。「Score Analyzer」は、簡単に言ってしまえば「耳コピの専門職」です(勝手にネーミングした職種ですが…)。
 どんな楽器でも、一番最初はプロの演奏やCDを聞いて、同じように演奏できるようにコピーすることから始めます。「どうやって演奏してるんだろう?」という疑問からすべてが始まるんです。このコピーこそが、ミュージシャンへの第一歩であると断言してもいいくらいでしょう。
 僕は、これまで数え切れないほどの楽曲をコピーしたりアレンジしてきました。そういう見地から、耳コピの方法やコツ、あるいは「楽譜とはなにか」までを、バンドスコアの制作現場からお届けしようと思います。これからプロのミュージシャンを目指したいと思ってる人はもちろん、楽器はやらないけど聞くのは好きだという人にとっても、わかりやすく興味深い内容にしようと思ってますので、ご期待ください。
 では、まず現在の作業環境から紹介します。

デスクトップ全体像
・Machintosh:Powew Mac G4/1.25G(single)/2G OS 10.3.9
・Main Monitor:Apple Studio Display(17inch)
・Sub Monitor:Sony SDM-X73(17inch)
・Keyboard:M-AUDIO/KEYSTATION 49e
・Software:Logic PRO 7.1.1
Main Monitorの拡大


Sub Monitorの拡大

 これまで、いろんな作業方法を試してきましたが、今は上のような実にシンプルな環境に落ち着いています。
 作業の流れは、以下の通りです。
1.音源のデータをMacに取り込む。
2.Logicを立ち上げ、取り込んだ音声ファイルをAudioトラックに読み込む。
3.取り込んだ一本の音声ファイルを、作業しやすいように小節単位でマーカーを刻む。
4.曲全体の構成を把握し、同時に楽器編成・テンポ・キー・各楽器のチューニング・ビート等を確定する。
5.Logicを走らせながら実際のコピー作業に入り、原稿用紙にまとめていく。
6.全体を校正し、1曲分を綴じて完了。
 実際のコピー作業は5の部分ですが、1〜4の段階も非常に重要で、特に4がしっかりしていないと、最終的に原稿として成り立たない譜面になってしまいます。たとえば、速いテンポ(おおむね四分音符=180〜200)での8ビートなのか、半分のテンポでのイントゥーなのかといったビートの判断を誤ると、全体のページ数も半減することになるので、印刷・製本といった出版行程の全体の流れ、はては予算組みから納期まで変更しないといけなくなります。
 まぁ、単純に「この曲のこの部分をコピーしたいから」という方がほとんどだと思うのでそんな心配までは要らないのですが、それにしても曲の基本ビートやチューニング等を把握するという作業は、音楽的に重要なことです。
 音を探る際の楽器ですが、今は音源類をすべて撤去して、LogicにバンドルされているSoft Synthで対応してます。通常1曲につき1ファイルを使い、1〜2トラックに音声ファイルを立ち上げ、3トラック以下に各楽器の音色をアサインしています。ほとんどのパートはエレピ系の音色で対応しますが、ベースとアコピ・ハーモニカ・ブラス関係は、それぞれ専用の音色を立ち上げて探っていきます。
 Logicは、各ウインドウの構成をテンキーで即座に切り替えられので、メイン構成としては、上のようにモニター2台にそれぞれウインドウを立ち上げ、音量レベルを調整しながらシーケンス状態も直感できるように設定しています。
 一般的にコピーする場合は、もちろんここまでの環境は必要ありません。僕も「ラジカセ+ギター」だけでコピーするところから初めて、少しずつ整えていったんですから。

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HTML

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イトル部分をちょいとイジってみました。
 HTMLをあれこれ触りながら勉強中といったところですが、ブラウザによって見え方がけっこう違うものなんですねぇ。僕は、メインブラウザとして「Firefox」を使用してるんですが、「Safari」「Explorer」「Netscape」(いずれもMac)で見てみたら、文字の配置とか色合いとかがまるで違った。けっこうショックです(涙)。
 これが、世の大半を占めるWinユーザーが見たらどうなるんだろうと、いささか心配です。
し見づらいとかレイアウトがヘンだぞと思ったら、文字を拡大・縮小してみてくださいね。

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