帰省日記がすっかりおざなりになってしまった。あれからすでに2ヶ月以上が過ぎてしまったので、もはや日記とは言いがたいが、この夏最大のイベント「吉野中学校30期生同窓会」を振り返るとしよう。
8月12日は猛暑だった。同窓会は夕方からだったので、前夜の高校ブラバンの飲ン方明けでフラフラぎみの身体にむち打って、午前中に地元である吉野へ向かった。同窓会を前に、どうしても母校である吉野中学校を見ておきたかったし、最初にギターを教えてくれた同級生と父の墓参りをするためだ。
吉野町は、鹿児島市でも北部に位置する。今では空港リムジンが通るし、ベッドタウンとして整備されているが、30年前はまだまだ田舎。特に、僕が住んでいた中別府は、夜ともなれば街灯さえない道を月明かりだのみで帰っていたくらいだ。
よせばいいのに、ふと、卒業以来踏み込んでいない通学路を歩いてみたくなった。友人の墓は、その途中にある。小道に入って、しばらくは身体が覚えているらしく快調に進む。しかし、5分ほど歩いたところでハタと足が止まった。どっちだったっけ???
なにしろ30年ぶりだ。開発の波も押し寄せている。街道に近い大きな道だったらなんとなくわかるかもしれないが、新興住宅と昔ながらの旧家が入り乱れ、通学路である裏道はいっそう複雑になっている。
たしか20分も歩けば着くはずだが、迷えば迷うほど、同じ場所をグルグル廻っているばかり。しょうがなく、多少広めの道へ戻り、倍以上の時間をかけてようやく目的地に到着。「よいなこっ着いたどー(※)」と、肩で息を切らせながら友人に挨拶し、なんとか墓参りを済ます。さっき買った冷たいはずのお茶は、すでにぬるま湯を通り越して、泡だらけのよくわからない液体になっている。
今度は父の墓参りだが、中学校をはさんで正反対方向にあるので、ゆうに3kmはある。しかしながら、炎天下と二日酔いに空腹感も押し寄せ、すでに身体は極限状態。陽を遮るものがない信号待ちでは、クラクラしたので思わず座り込んだら吐き気がしてきた。「やべぇー。急性熱中症かぁ? 墓参りに来てあの世にいった日にゃぁシャレにもならんなぁ」とか、「日頃から運動しとけばよかったなぁ」とかいう、あまり意味のない反省が頭をよぎりながらも、立ちくらみを誤魔化しつつ体勢を立て直し、ゆっくりと歩き始める。
ついに吉野中に到着。正門の前に立つと、心地いい風が頬をかすめる。ここで3年間過ごしたんだ、あのときの友達と今日会えるんだと思うと、少しだけ生き返った思いになる。校庭の作りとかはずいぶん変わったものの、やっぱり母校。あちこちに昔の面影は残っている。校訓である「やればできる」の碑を見据えると、なぜか勇気が湧いてくる。
あとは父の墓参りを残すのみ、と思いきや、にわかに空模様が怪しくなる。「降れ、降れ、降ってくれー」というマジな雨乞いも天に届かず、お日様はすぐニンマリ。亀のような歩みで最後の力をふりしぼり、なんとか任務を終了。
さらに15分ほどかけて街道まで出て、たまたま通りがかったタクシーに倒れるように転がり込む。いったんホテルに戻り爆睡。何度目かの目覚ましで起きたのは、同窓会30分前だった。
※「やっと着いたよー」の意。
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彼は、きっと喜んでいてくれると思います。私は、彼の眠る場所と父や祖父母の眠る場所が同じ敷地内なので、挨拶に行く機会は、Yoshiより多いはずですが、ここ30年間で4回しか帰省していないため本当にご無沙汰しているのが心ぐるしいです。
今思うと、当時の仲間内で音楽センスが一番あったのは、彼だったような気がします。Yoshiが音を創る時きっと彼はそばで見てると思うよ。私がカラオケで半音ぐらい外した後必ず「妹」の音を外したときのこと思い出すもんねぇ。
「吉野」は司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」のはじめにの章を読んで頂くと「吉野」と吉野に育った子達の育ち方が少しだけ解ってもらえそうな気がします。
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吉野は、人切り半次郎こと桐野利明ゆかりの地として知られていますね。元々は薩摩藩の開墾地で、かなりの貧農地域だったらしいけど、吉野小には、島津の殿様が植栽した木がまだ残ってるらしいです。
彼に最初に教えてもらった曲が、その「妹」。以来30数年、曲を書くときも、常に彼が隣にいるような気がしてます。今でも、彼が作った「きらめき」っていう曲は口をついて出てくるよ。
今、風の「あいつ」が終わりました。
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yoshiさん こんにちは
最近、プライベートも仕事も充実している
って感じがひしひしと伝わってきます。
全くの私事で恐縮ですが、
うちの日本本社が大崎に移転したんですが
湘南新宿ラインで一駅の西大井というのが
僕の幼稚園-小学校-中学校時代をすごした
心のふるさとなんです。
小学校時代の同級生たちもたくさんいて
日本に居さえすれば会えるのに。。。
今後しばらくはマレーシアベースの生活になります。
そこが唯一残念なところなんです。
yoshiさんの帰省、同窓会写真を見ていて
ちょっとうらやましくなりました。
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こんにちは、ご無沙汰してますー。
僕も、この年になるまで同級生の暖かさをこんなに感じたことはありませんでした。高校時代の仲間こそ、数年に一回くらいは会う機会がありましたが、それ以前の幼なじみというと、同じ日本の中とは言え東京と鹿児島はあまりに遠すぎますからね。
でも、これが10年前だったとしたら、今回のような感激はなかったと思います。仕事や子育てに追われ、しゃかりきになってる年頃なので、おそらく自慢話や苦労話が中心となって、自然体で懐かしむことができなかたんじゃないかと。同級生は、ごくたまに自然体で会うからこそいいもんだし、自分への刺激にもなるんだと思いますよ。まさに「ふるさとは遠くにありて思うもの」です。
ああ〜っと、肝心の同窓会の模様をまだアップしてなかった…。一両日中にアップしますねー。
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こんばんわ!こちらには初めておじゃましますです。
yoshiさん、帰省する機会がないとお墓参りもなかなかですね。
今じゃ吉野メインストリートはずいぶんと変わりましたね。
下界まで降りてかなくても生きていける地域となりましたよ。
25年ですね、彼が突然逝ってしまってから。
私事ではありますが、彼が逝く前の夏、私の兄の親友が(土曜の夜に我が家で、私や父や兄とマージャンなんぞに興じていたのですが、翌月曜の早朝でした。)
帰らぬ人となり、その2ヶ月後父も急逝しました。父もまた、心臓発作であっというまでした。そして、翌春、
大好きだったクラスメートのN君の事故、ニュースを伝える電話の友の声と、
画面に流れる彼の名前を呆然と見ていたのを覚えています。
それぞれがいろんな思いをかかえてすごしてきた年月ですね。
でも、yoshiさんや角砂糖のVさん(わいはだいよ〜?の嵐だったお方でしょうか?)
たちと共に彼もまた一緒にいるのでしようね。
今年の同窓会は実にタイムリーでしたね。区切りのいい年代だったし、
妻恋コンサートも時を同じくして、開催されて、yoshiさんも取材してるし、
懐かしい青春時代を思い出しまた。またギターひきたくなったよ〜!
5年後の同窓会、お二人さん、残りの5人(ドラムとベース、キーボード二人?と彼と)
引き連れてギター抱えていらっしゃいませな。あと2ヶ月もしたら、4年後だ!!
あっそうだ。高校の時、彼の実家のお店で売っていたオーデコロン
(ちいさな瓶入りで、彼のお母さんの手作りのレースのケースに入ってる)
を、おくれ〜!とせがんだら、ちゃんとくれた。
でも当時の私のライフスタイルには無縁のものだったので、使わずじまい。
形見わけにと、角砂糖のVさんが届けてくれた、キーホルダーとともに、
なぜかいっしょに嫁入りして、いまだに手元にあるんだよ。
しかもタンスの引き出しとかじゃなく本棚にむぞうさに転がってる。
昼休みの音楽室や、教室でのたのしい日々、すっごいいい時間を共にすごせたんだなぁと
今更ながらに思いおこしています。
角砂糖の名前は覚えているのに、自分たちのバンドの名前はすっかり忘れていた・・(笑い)
こないだ、M雄に言われて、あーそんな名前だったね〜。。で
おまえわっ!!とおこられました。長くなりました。すみません。
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同窓会にでてあらためて自分の記憶の曖昧さとまぁそんな事良く覚えていたなという驚きを思った時間でした。また、けっして逃げていたわけではないんだけど、もっと正面から皆とつきあうべきだったなと少し後悔もしている自分を発見しました。
とにかく、次に彼に会う時には、胸をはって会える自分でいたいなと思えた夏でした。
きっと5年後は、丸みをおびた「角砂糖」で1曲は歌えるよう頑張ります。
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ようこそ、なぜかベス様!
吉野もずいぶん開けたようですね。昔は、山を下って繁華街に行く時は、「町にいけるー!」と喜んでバスに乗ったものでした。町に行くことが大きなイベントのようで、ワクワクしながらも、どこか誇らしげでもあったような気がします。山形屋が、とてつもなく大きなビルに見えていました。
25年前、住んでいるアパートにはまだ電話がなく、今でも通っている江古田の飲み屋さんが鹿児島からの電話連絡先でした。その日、いつものように飲んでいると、母が泣きながら電話をかけてきました。言葉が出ませんでした。
「一緒に上京して音楽の世界を目指そうよ」「でも今すぐは無理だ」「じゃぁ、先になんとか始めてみるから、機が熟したら出てこいよ」「わかった」という話をし、僕とドラムのやつで、先に東京で活動を始めようとしていた矢先のことでした。東京で一緒にギターを弾く夢は絶たれました。
それから15年ほど経ち、どうにか音楽の世界で食っていけるようになり、鹿児島へもゆっくり帰られるようになったので、まず彼のところへ報告に行きました。おそらく、石の下から「おせどー」と笑いながら叱ってくれたことと思います。
人の運命はどうしようもないことなのでしょうけど、残された者達には、あの笑顔がいつまでも生き続けています。
ギター、ぜひまた始めてくだされ。あの青い日々にはいつでも戻れますよ。