僕が20歳の時から30数年通い続けた、江古田の「小料理屋 登美」が、11月30日をもって閉店することになりました。
2日間に分けて常連の仲間と撤去作業をし、昨日、入居時のようにきれいさっぱり、すべてなくなりました。
21才の誕生日を1週間後に控えた日に、初めて登美の暖簾をくぐったとき、僕はまだ東京の右も左もわからない、単なる田舎者でした。
ドアを開けた瞬間、常連とおぼしき大人の方々にギロッと睨まれました。
狭くて縦長のカウンター越しから、ママの「いらっしゃい」という優しいかけ声がなかったら、僕は大人たちの凄みを効かせた睨みにひるみ、二度と江古田の町には行かなかったことでしょう。
一席だけあいているカウンターに腰掛け、お客のいなくなった店で、閉店時間までママとお話をしました。自分の夢のこと、ふるさとのこと、亡くなった父のこと、バイトのこと…。ママは、そのすべてを丁寧に聞いてくれて、翌週の誕生日の日にまた来るといって、店を出ました。
1週間後、本当に覚えてくれているのか心配しながら、おそるおそる店に入ったら、ママは常連さんたちと一緒になって21歳の誕生祝いをしてくれました。本当にうれしかった。
あれから30有余年、東京の実家のように、登美に通い続けました。
いろんな出会いがあり、いろんな別れがあり、笑い・涙・怒り・喜び・悲しみ…すべての感情を登美は吸い込んでくれて、また明日から生きる力を与えてくれました。登美がなかったら、ママとの出会いがなかったら、仲間との出会いがなかったら…今の自分は想像もできません。
僕という人間を作ってくれた登美が、もうありません。
店の幹事長として、いろんな手続きや手配をする間は、まだ気を張っていたんでしょう。でも、全部をかたづけ、一緒に作業をした登美の仲間と最後の晩餐をし、帰りの江古田駅のホームに降りたとたん、次から次から涙があふれ、止まりませんでした。
ママは、まだ病気と戦っています。そんなママを、これまで登美を支えてきた仲間たちと一緒に支えようと思ってます。
でも、もう、登美はありません。
母の胎内のように居心地のいい、そして人生を教えてくれた登美は、もう、ありません。
本当に、ほんとうに、ありがとうね、登美。
15人も入れば満員で身動きもとれないくらい狭い店だったけど、どんなに広い店よりも多くのことを教えてくれた、あなたに、心から感謝します。
さようなら、登美。
ありがとう。登美。
はじめまして、姪のアキと申します。
叔母には子供がおらず、何よりも仕事を生き甲斐にしていたので
身内の私も残念です。
長年ご贔屓にして頂きありがとうございました。
はじめまして、アキさん。ママの姪っ子さんでしたか。
閉店の時は、ほんとに辛かったです。
でもそれ以上に、ママの体調の方が大切で、本当に心配でした。
その後ママは、見事に病魔と闘い、今はとても元気のようで安心してます。
登美で知り合った仲間達も、入れ替わり立ち替わり、ママのご自宅へご機嫌伺いに行っています。僕も、今月中にまた伺う予定です。
登美には、どんなに感謝しても感謝しきれません。
またいつの日か、ママと、登美の仲間達と一緒に、再会できる日を楽しみにしています。