やはり独立記念日を迎えた時期であったこともあって、『15・マレーシア』(サイト)の社会問題を扱った作品へのコメントによる反響が、時には討論にもなって盛り上りをみせている。
ヤスミン・アーマッド(Yasmin Ahmad)監督『Sepet』に主人公の親友キョンとして出演し、CM業界に身を置くLinus Chungの『House』は、インド系の家庭が家を失ういきさつを描き、貧困の問題に目を向けた。
多くの大手企業のCMを手がけるCM業界の売れっ子、ダスモンド・ウン(Desmond Ng)の『The Son』は、学校での暴行事件の目撃者となったひとりの少年の話。父親が運転する車で警察署に出頭するまでの時間を描写している。
やはり、どちらの作品にもコメント投稿者からは、設定に関する疑問が投げかけれられていた。
『House』では、主人公のインド人少年が、宿題の工作で作った“夢の家”をマレー系と華人系と級友に壊されるシーンがある。象徴的に「マレー人と華人が、インド人の家を壊している」ととらえて拒否的な反応も見られたが、貧困、民族格差の問題をあらためて考える機会になったという反応が大半だ。
また、『The Son』では、暴行を加えたのが華人系、被害者がマレー系という設定に対し、「華人は、こいうった暴力に訴えることはしない」などの自分の所属する民族の立場を擁護する反応も多い。やはり、まだ刺激的過ぎる部分もあるようだ。
それでも、「5月13日事件(1969年のマレーシア史上最悪の人種間暴力事件)」を繰り返さないためにどうすればいいのか、民族融和について考えを綴ったコメントも多い。
こういった民族間の微妙な問題について、とかく特定の民族が被害者と加害者とはっきりわかる設定すること自体、映画・テレビの検閲の対象となってきた。つまり、政府はニュースならいざ知らず、創作物では民族間格差や民族間が反目する問題は表現するべきではないという態度を貫いてきた。
でも、反応を見ていると見る側は、政府に子供扱いされているレベルではないこともわかる。きちんと作品が意図しているメッセージを読み取ろうとし、考えようとしている。
表現の自由のための風穴が空くのは、もう一歩だ。
蛇足ながらちょっと付け加えると『The Son』の最後にテレビ画面に登場する人は、政治家のザヒッド・イブラヒム氏。氏は、前アブドゥーラ政権下で昨年強権的な国内治安法(ISA)をジャーナリストなどの民間人に適用したことを抗議し、首相府大臣・法務担当の職を辞した人。その後、野党連合・人民同盟の人民正義党(PKR)に加入した。
一昔前だったら、発表もおぼつかなかった作品である。