一昨年の11月に空港占拠があり、ブータンの視察団が1週間近く足止めされたあげく
結局、マレーシアに来ることが出来なかった苦い経験があるのだ。
もし14日の段階で空港周辺が危なっかしい場合は、15日中に中継地点のダッカへ
移動したらどうか、と考えたのだが、飛行機がバンコクから飛ばなければ
ダッカで待っていてもしょうがないということに気付いた。
腹を括るしかないようだ。
そこへ行くと高野氏はやはり百戦錬磨。バンコク情勢など全く意に介していないようで、
「13日から正月(水かけ祭り)に入るので、皆田舎へ帰るのではないか?」
などとのたまう。なるほどねー。
【ニューデリー時事】米地質調査所によると、ヒマラヤ山脈の王国ブータンで21日午後3時(日本時間同6時)前、首都ティンプーの東180キロを震源とするマグニチュード(M)6.3の地震があった。国営ブータン放送によると、東部のモンガル、タシガンなど3県で、がけ崩れなどにより少なくとも10人が死亡した。
タシガン県にいる地元報道関係者によれば、複数の民家や寺院、仏塔、伝統建築の県庁舎などが損壊したほか、幾つかの場所で道路が寸断された。大きな揺れの後、余震とみられる比較的小さな揺れが続いた。
ブータンを管轄する在インド日本大使館や国際協力機構(JICA)ブータン事務所によると、在留日本人は全員、無事が確認された。(2009/09/21-23:52)
早速、ティンプーの提携先にメールしたところ、
提携先に、被害はなく無事だとの返事があり
ほっと胸をなでおろした。
しかし東の方では道路が寸断されたとのことで
かなり復旧に手間取るのではないだろうか。
亡くなられた方の冥福を祈るとともに一日も早い復興を願う次第だ。
そういえば、『今年は自然災害のある年だ』と
提携先のSさんが1月に言っていたのが当たったことになる…
さてこのポブジカという場所、実は1月に訪問しているので
写真を紹介したいと思う。
まずオグロヅル観察センターがこれ
中には、様々な資料とともに固定型の望遠鏡があり室内から
鶴の様子を観察できるようになっている。
相変わらず不思議なファッションでこのセンターを訪れた中田英寿氏
そして遠くてちょっと見にくいがオグロヅルも観察できた。
最後のはセンターに飾られていたポブジカの生態地図。
中心の平野部に鶴の姿が描かれている。
北の林にはヒョウの姿、そして南の林にはトラが描かれている…
地元の人に聞いてみると、そんなにしょっちゅうは出ないとのことだ。
時々は出るってことか。
今回の滞在は、最初から最後まで体調面で苦しかったが
逆に大事な調印式が到着翌日にあったのは助かった。
二日目はまだそれほど酷くなかったし…
そして帰りの便の経由地バンコクでトンヤムグーンを飲んで
汗をだらだらかいているうちに、すっかり体調が戻った。
「ブータンの食事は同じ辛いでも体内に残るのでは?」
とか
「ブータンの食事のチーズはトウガラシの刺激をくるんでしまい、
胃腸を刺激しないので下痢をしない代わりに、発汗も促さないのでは」
などと言う、非科学的な会話を、同行した大手製薬会社の研究者
N博士とかわしたのだった。
ブータンはなにせ神秘の国であり、経験なチベット仏教の国なので
つい、そんなことがあるような気がしてしまうのだ…
写真は調印を立ったまま始めてしまった大臣に「座ろう」とも言えず、
二人で立って調印をしている農業大臣と私である。
微笑ましいと言えば微笑ましいと書いておこう。
一番かっこいセリフはたぶんこれだろうか。(記憶だけで書いているので…)
薩長連合が成り、倒幕戦の後どんな政府を作るか?という実務的なリストアップ作業を
竜馬が実施したのだが、このリストを見た西郷隆盛が竜馬の名前がリストに
ないことを不審に思い問いただすと、あっさりと閣僚として出る気がないことを表明する。
では何をするか?という問いに「世界の海援隊でもやりますかな?」と語るところだ。
自分の成し遂げた大事業(連合)によって政治家としての栄達を図ろうとせず、
さらに大きな世界へ自由の羽を広げようという気がまえに満ちたスケールの大きな、
まさに竜馬ならこんなことを言うだろうという、抜群のセリフである。
ちなみに武田鉄也の気持はわかるが、あの程度のグループに『海援隊』という
ネーミングはやっぱりいけない。うん。
このほかにも(この本の)竜馬は魅力あふれる数々の言葉を生んでいる。
後に、ともに暗殺に倒れる盟友、中岡慎太郎との土佐藩江戸屋敷における
出会いの場面にも地味だが印象に残るセリフがある。
日本が未曾有の危機に面している時代、心ある尊王攘夷の武士たちはみな思い切った
行動を起こそうとしているのに、あなた(竜馬)は剣術修練のために江戸へやってきて、
日本の危機になど全く頓着していないことが我慢できない、と中岡は竜馬を糾弾する。
それを受けて竜馬が語るセリフが
「おまんは偉い。土佐のはずれの庄屋におっても、肝に日本を乗せちゅう」
(腹だったか?いや肝だったような気がする)
そして竜馬はさらに「おれはお前らのように頭がよくないのでぼちぼち行く」
と狂奔する時代の中にあっても周りに影響されずに自分のペースで進むことを
宣言するのである。
さて、つい最近この竜馬のセリフを使いたくなるような場面に遭遇した。
ブータンのお客さんが2名、マレーシアの当社研究所を訪問してくれた時のことである。
1名が肉が苦手ということでマレーシアのシーフード中心の鍋料理に招待した。
あまり頼み過ぎて残すのはよくないので、気をつけたつもりだったが
やはり食べきれず、少し残ってしまった。
そのことを「ちょっと罪悪感を感じますね」と言う言葉で弁解したトシに返って来た
言葉は「ソマリアの人たちのことを考えるとね…」というものだった。
そして二人は本当に辛そうな顔をして黙ってしまったのである。
「おまんらは偉い、世界のはてのような国にいても、肝に世界をのせちゅう。」と
きっと竜馬は感激しただろうと思うのだ。
そして竜馬ではないが私は本当に大感激したのである!