現在開催中の第20回東京国際映画祭(TIFF20)で、21日に行なわれた故ヤスミン・アーマッド(Yasmin Ahmad)監督『Talentaime』(邦題:タレンタイム)上映に併せで行なわれたトークショーの様子が公式サイト掲載されている。(記事はこちら)
やはり、実妹で監督作品の主人公のモデルとなったオーキッドさんの言葉は、ちょっとぐっと来てしまう。
それと『Talentaime』で音楽担当をしたピート・ティオ(Pete Teo)のインタビューも掲載されている。(こちら)
『Talentaime』の音楽以外に、昨年彼が発起人となった『結束のためのマレーシア人アーティスト(Malaysian Artistes for Unity)』と今年8月に公開されたウェブ上での短編映画公開プロジェクト『15マレーシア』についても語られており、彼の一流の表現者・活動家ぶりも伝わるインタビューとなっている。
日本人にとっては、彼のような文化人がマレーシアを語る記述を日本語で読めるという貴重な機会なので、ちょっとうまく伝わっていないのではという部分を補足していきたい。
ちょっと想像が穿ちすぎている部分や枝葉末節が過ぎたる部分があったらご容赦ください。
まず、『15マレーシア』の趣旨を尋ねる10番目の質問の回答。
>発端は昨年ミュージックビデオの演出をヤスミン監督と、『心の魔』のホー・ユーハン監督にやってもらったんですが、そのときにマレーシアの政治や国民性が右派寄りになってきているという話になったんです。特にマレー系の人たちにそういう傾向が強くて、このままだとナチ化するんじゃないかと不安があって、立ち上げたプロジェクトです。
ここでピートが言っているプロジェクトは、08年5月に彼が発起人となった『結束のためのマレーシア人アーティスト(Malaysian Artistes for Unity=MAFU)』のこと。
このプロジェクトは、同年3月に行なわれた総選挙で与党が39年ぶりに安定多数2/3の議席下回る歴史的後退を喫したことと、その背景に民族間の関係がギクシャクしたことを懸念し、ピートの呼びかけに友人のヤスミン監督やホー・ユーハン監督を初めとする多数のアーティストが集まり、テーマソング「Here In My Home」とビデオクリップを制作し、民族を超えた結束を呼びかけた。(ブログ内の記述、「アーティストによるマレーシアの結束プロジェクト始動!」、「再び『結束のためのマレーシア人アーティスト(MAFU=Malaysian Artistes for Unity)』について)
ここでピートが指摘している「マレーシアの政治や国民性が右派寄りになってきている」というのは、マレーシアの歴史でも最悪の出来事として記憶される69年5月13日の民族間の流血事件とその後の政治動向からの教訓だと思われる。「5月13日事件」以後、マレーシアは非常事態宣言で、約1年9ヶ月間議会を停止する事態となった。これは、確かに「ナチ化」とも呼べる事態であった。
ちなみに右傾化について「マレー系が傾向が強い」と発言しているが、ピートは、MAFUにマレー音楽・映画で活躍しているアウィ(Awie)が参加したことを特に喜んでいたことも思い出される。
次に『Talentaime』中でヒンドゥ11番目の質問の部分。
>『タレンタイム』では、主人公マヘシュのおじさんのガネーシ(インド系ヒンドゥー教徒)が隣家の人々(マレー系イスラム教徒)に殺されるエピソードが出てきます。
隣家の人々は、「マレー系イスラム教徒」ではなくて、「インド系イスラム教徒」の間違い。
さらにこの質問でのピートの回答部分。
>マレーシアは、いま、マレー系、中華系、インド系、この3つ政党がしのぎあっていますが、他の2つの政党から抜きんでるために相手を敵視する政策をとるんです。つまり人種、肌の色を持ち出すわけです。
かなり大雑把な政治状況の説明である。
直接民族名を冠している統一マレー人国民組織(UMNO)、マレーシア華人協会(MCA)、マレーシア・インド人会議(MIC)は、連立与党を構成している。もし、ピートのいう3つの政党が、これらの3党だったら「相手を敵視する政策をとるんです」というのは、一般の人にはちょっとピンとこない表現である気がする。
もちろん、マレーシアの政党は民族の利権を守る政党である範囲を超えていない、というのがピートの意味しているところであれば、ある程度は理解できる発言だ。
ただ、イスラム党(PAS)をマレー政党、民主行動党(DAP)をかなり大雑把に華人政党(インド系党員もいる)とみなせば、与党批判で「人種、肌の色を持ち出す」こともある気がする。
また、同じ回答でマレー系映画に言及した部分。
>マレーシアで映画というと、マレー系映画と固定観念がありますが、その内容はどんどん右寄りになっています。東京や釜山でヤスミンの映画を見せると、なぜマレーシアで問題視されるのかわからないといわれるけど、マレーシアでは物議をかもし出しているのはそういう状況があるからなんです。中華系の女の子とマレー系の男の子が付き合っているだけで問題視されるんですよ。気楽に恋ができないなんて異常な世界ですよね。
これは、政治的な右傾化もあるのだが、イスラム教の保守化(原理主義への回帰)も大きい感じだ。
ヒントとなるのは、12番目(最後)の回答部分。
>じつは60年代や70年代初頭まではこういう問題はなかったんですね。連立政権が誕生し、政治のゲームから様々な問題が出てくるようになったのがこの30年なんです。
「この30年」という部分は、79年の世界的事件、イランでのイスラム革命が思い当たる。確かにイスラム教徒のマレー系が宗教的に保守化していくのも、これ以降の傾向だ。私見ではあるが、イスラム教は政教分離の原則があいまいなことも特徴で、いかなる政治勢力も反イスラムのレッテルを恐れるきらいがある。
「マレー系映画が右寄り」という彼の見方は、政治だけの問題ではなく、宗教の保守化に対し、政治は容認、追従している現象を違う角度から見ていることなのだとも思う。
また、回答のなかでピートが指摘している「連立政権が誕生し、政治のゲームから様々な問題が出てくるようになった」という部分について。
連立政権、現在の国民戦線(バリサン・ナショナル)が誕生したのは、先に述べた「5月13日事件」以降、議会停止を経た後の72年のこと。当時の野党が政治的駆け引きにより、与党に鞍替えし、国民戦線が成立した。
忘れてはいけないのは、70年に現在の首相の父であるラザック政権が誕生し、マレー系などの先住民を優遇するブミプトラ政策を打ち出している。このブミプトラ政策が、民族間の文化の分断を促したという指摘は定説になっている。
また、71年の議会再開後には、民族間の微妙な問題に関する公開討論を禁じる令も出されている。ちなみに08年総選挙後、法曹界の集まりがイスラム法(シャリア法)と一般の法律のあり方を討論する機会を設けようとしたが、非公開とされた。主に抗議したのは、マレー系で、確かに右傾化が、「特にマレー系の人たちにそういう傾向が強くて」という部分は頷ける。
確かに民族間の隠微な対立感情が醸成されたのは、ピートの言うように国民戦線の結成に端を発している部分もあるが、その前後の動きの方が直接的な要因だったと思う。「さまざまな問題」は、政治ゲームではなく、国民戦線の結成を境に変化した政治に起因しているというのが彼の発言の意図であれば、指摘は的確だ。
また、再び「ここ30年」という部分にこだわってみると、81年にマハティール政権が誕生し、強権的な手腕での国を発展させたことと表裏をなした表現に対する重苦しい時代が続いていることも指摘しておきたい。
音楽家にとどまらず、芸術家・表現者として活動の場を広げているピートは、教養に裏打ちされた晴眼でマレーシアを見つめ、行動していることをあらためて感じた。
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アサ様、インタビューの背景解説、ありがとうございます。細かい部分が分かりやすくて、とても助かりました。
以下二つ、最近日本のMediaに出たニューウェーヴ関連のインタビュー記事のURLをお知らせします。
ホー・ユーハンへの制作姿勢などに関するインタビュー記事
http://www.cinemajournal.net/special/2009/Ho_Yuhang/index.html
ピート・テオへの15Malaysiaについてのインタビュー記事
http://www.auk-media.com/jp/news/?c=58 (日本語)
http://www.auk-media.com/en/news/?c=58 (英語)
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先日のヤスミン監督追悼イベントに参加してきました。
もうずっと涙が止まりませんでした・・・。
最初のピートの歌を聞きながら、これがヤスミンの胸を打った
ピートの歌なのか、と思うだけで涙が出てきました。
オーキッドさんのお話を聞けたこともとても嬉しかったです。
ヤスミンは本当にとても大切な作品を残して逝ってくれました。
民族間の問題は計り知れないほど深く、どれだけ見せかけの
Malaysia 1を掲げたって問題は解決しないと思いますが、
それでも、アーティストたちが立ち上がってくれると希望が
湧きます。
いろいろと考えさせられた追悼イベントでした。
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Noraさん、報告ありがとうございます。
ヤスミン監督にとっても特別な国のひとつだった日本で、お別れの時が終わったのですね。
オーキッドさん、姉妹でもヤスミン監督とはかなり違う外見の方なのですが、どの辺に作品の主人公のオーキッドの面影があるのでしょうか。
ボクは、ものすごく知りたいです。
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>>Noraさん
私もあの場にいました。私も仕事中にも関わらず、あまりの悲しさにカメラを抱えて泣き崩れてしまいました。ユーハン監督だけが泣かなかったのは、「全員が泣いてしまったら、Q&Aにならなくなる。観客に申し訳ない。」と思って必死に涙をこらえていたそうです。
(アサさん。あの日は、司会をしていた映画祭のプログラムディレクターも通訳者もヤスミン・ファンでもあるため、皆泣いていました。あのピート・テオでさえも。)
>>アサさん
> オーキッドさん、姉妹でもヤスミン監督とはかなり違う外見の方なのですが、どの辺に作品の主人公のオーキッドの面影があるのでしょうか。
良く思い起こして考えてみたんですが…本当に敬虔なモスリムであるにもかかわらず、とてもオープンマインドで、様々な出来事を偏見なく受け止める所、で、とてもお茶目な所でしょうか。でも、オーキッドのキャラクターには、やはりアマニさんの個性も加味されているように思います。
また、ヤスミン監督が以前おっしゃってましたが、映画のオーキッドのエピソードには、妹のオーキッドさんとヤスミン監督の経験を合わせた出来事が混ぜられているそうです。
それから、KL文化センターにいらしたSさんが言ってらしたのですが、もう、彼女は絶対にヤスミン監督の妹だ!という部分がおありでしたが、ちょっとこれはここには書けないので、また次にお会いした機会にでも(笑)。
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作品の中のオーキッドと妹のオーキッドさんはどうしてもつながらなくて、私もどの辺がモデルになったんだろう??と考えてしまいました。もちろん追悼の場だからというのはあるでしょうけど、とても物腰の柔らかい印象を受けました。shionさんがおっしゃるように、シャリファ・アマニの個性もずいぶん加味されているんでしょうね。
アサさん、
これからもいろいろと情報楽しみにしています!
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皆さま、オーキッドさんの様子を伝えていただいて感謝です。
しかし、旦那の浮気相手につかつかと近づいて行く劇中のオーキッドの強烈なキャラクターのモデルは、やっぱり監督自身なのかな。それとも白人のボーイフレンドを手玉に取りそうな、シャリファ・アマニのキャラなのか…。