アジアンハートビート〜Asian Heart Beat〜


そむちゃい吉田の音タイ夢 Vol.3

Posted in そむちゃい吉田の音タイ夢,タイ by Asian Heart Beat on the 4月 28th, 2007

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第3回 クーデターとタイの人々

 1992年5月17日 わたしは初めて訪れたバンコクにいた。それが初めての一人旅であり、約3ヶ月に渡ってネパール、インドネシア、フィリピンとまわる旅の途中だった。夜、シーロムのパッポンで下手な英語を並べていい気分になっていたわたしは、前夜にも同じ店で朝方まで飲んでいた。2回目にはもう常連客のような気分だった。それは、タイ人たちが商売であっても、それを忘れさせる人なつこさとその場を楽しもうという気質を持ち合わせていたからだろう。夜12時になるころ。バタバタと店じまいをはじめる彼らに、なぜきょうは早く閉めるのかと聞いたが、お互いに語彙の少ない英会話では、答えは要領を得ない。「ボクシング」答えてくれたウエイトレスは、考えあぐねた挙げ句にそう答えた。全くわけが分からなかった。ムエタイの国だから、どこかでタイトルマッチでもあるのか?
それを見るために早仕舞い? などと頭の中に「?」マークがいっぱいのままホテルに戻った。それから数日後、パタヤビーチのゲストハウス。テレビに国王陛下の前に二人の男性が、横座りのまま手を合わせる姿が映っていた。そして、バンコクを出る空港でテレビ局のカメラマンと思しき人が手にしていた日本の新聞には、軍による民衆への発砲。国王による調停と写真付きの記事。タイ国内では、軍によって報道管制が敷かれ、新聞もテレビも王宮広場周辺で起きた悲劇を伝えられなかったのだ。数週間に及んだ民衆のデモを力で抑え込もうとして起きた悲劇であり、血の惨劇と言われている。

 あれから15年。アジア通貨危機を乗り越えて、アセアンのリーダーとまで言われるようになったタイで、またクーデターが起きるとは誰もが予想していなかった。政権を追われたタクシン前首相も「まさかと思った。」そうだ。しかし今回は、一人の負傷者も無く、いわゆる無血クーデターとして成功した。それは、前回とは全く正反対の目的だったためだろう。前回、1992年は軍が民主化を求める動きを抑えようとして悲劇が起こされた。今回は、民主主義をかさに利益誘導を計るタクシン氏に抗議する民意を軍が代行して行った。端的に言えばこうなるのだが、果たしてそれが全てだろうか。

 おとなしくて、従順で、しかし陽気なタイの人々。彼らは絶対王政のもとで数世紀を生きて来た。スコータイ、アユタヤと何代もの王がこの国に君臨している。王朝が変わる時には、やはり軍隊によるクーデターがあった。アユタヤ王朝がビルマ軍によって陥落したあと、タークシン王によるトンブリー王朝が打ち立てられる。しかし、1代限りで現王朝に至るラーマ1世によって、取って代わられる。タークシン王が精神を患ったためだとか、謀略があったなどと諸説あるが、これも武力を持つものによるクーデターには違いない。タイに限らず、王となり国を治めて来たものは武人であった。平和な世の中が何世代も続いて、やっと武力が影を潜め文化の花が咲き始める。日本はその意味では、鎖国のうちに平和な徳川時代は賢明だったと言えるのかも知れない。近代に入り、立憲君主制となった1832年のあとも、クーデターは25回を数える。タイが他国による支配を免れて来たのは、豊かな農作物があった事とは無関係ではないはずだ。それが故に民衆は飢える事が無く、その意味で統治者たちは他国と比べてはるかに政権の維持は楽だった。しかし、好事魔を多しである。国が豊だからこそ、その利権を巡る争いが絶えない。近年にはこれに工業も加わり、利権は更に膨れ上がっているのだ。タクシン前首相は、一見ビジネスマン的手法で政権を運営していたと思われている。しかし、彼は警察官僚の出身。その種類は微妙に違うが、力をバックに利権を確保するという事に関しては同じだ。そして、どこかの超大国がしていることも、規模が違うだけで全く同じ構造ではないだろうか。

 クーデターによる新政権を即座に承認したプミポン国王だが、昨年12月5日の誕生日のスピーチでは賢明な注文を付けている。「足るを知る経済」その確立を望むと。国王は、タクシン前首相が持ち込んだ成果主義、ビジネス手法的国家運営をもともと快く思っていなかった。政権を担当する者は、滅私奉公でなくてはならないとも言われた。この度のクーデターにも、背後には利権の奪い合いがある事も見抜いているのだろう。今、まさに利権を巡っての足の引っ張り合いが繰り広げられているタイ。そんな「持てる人々」を「持たざる人々」、一般庶民は諦めにも似た感情を持って傍観している。それは、スコータイに初めて王朝が開かれて以来、何も変わっていないのかも知れない。そのような中で生きていくには、自らをしっかり持って家族を養うために仕事に集中したり、学んだりするものだろう。しかし、教育制度が不十分だったこの国では、そう考える素養も育ちにくかった。だから、「マイ・ペン・ライ。マイ・ミー・パンハー(大丈夫。問題ない。)」そう自らに言い聞かせて、開き直って生きる事しか出来なかったはずだ。だがしかしである。タイの人々が素晴らしいのは、ここで落ち込まず、どうせ望みが無いのなら、何事も楽しく生きたほうがいいと考えた事だろう。明日はどうなるかわからない。だから、今を楽しもうじゃないか。まさしく究極の楽観主義者たちと言えるのがタイの人々なのかも知れない。

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▲バックパッカーの聖地カオサン ここでも1992年には軍と民衆との衝突が繰り広げられた。

(文・写真:そむちゃい吉田)

●そむちゃい吉田さんの著作はこちら
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大人のタイ極楽ガイド  大人のイラスト会話タイ語

●そむちゃい吉田
略歴: 1963年5月生まれ
高校卒業後、バンドでプロを目指して都内でライブ活動を続けるも断念。同時期にはXジャパンやShow-Yaなどがアマチュアとして廻っていた。その後、新潟の山で隠遁生活を決め込み、冬はスキーペンション、夏はバイトと言う生活を7年以上続けていた。
そんな中の1992年4月25日 軍隊が民主主義デモへ発砲し、多くの死傷者を出している最中のバンコクを初めての一人旅で訪れる。その一度でタイの魅力に取りつかれて以降、数ヶ月に一度訪タイを繰り返す。
1999年4月25日。世紀末の日本から逃れるため渡タイ。  友人らと小さな会社を興し、細々とバンコクに暮らす。
2002年 バンコク情報誌「Daco」でのルークトゥン特集を監修
2004年3月、タイ女性と入籍。
2004年末、久保田麻琴プロデュース「Hotel Bangkok」(キングレコード)取材協力
2005年末より日本で出稼ぎ中。

【関係書籍】
・大人のタイ極楽ガイド 執筆監修 2006年6月
・新版 大人のイラスト会話タイ語 編集 2006年2月
・楽園生活(ムック) 取材協力 2004年12月   
 いずれも実業之日本社より
・心にいつも、る〜くとぅん♪ バンコク情報誌「Web」にて隔号連載中

開店休業状態ながら、ウェブサイト:ルークトゥン・タイランド!もある。  
(http://loogthungthailand.fc2web.com/)

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