麻生あかりのYANGON日記 Vol.1
第1回 ミャンマー人と英語
ミャンマー人は昔イギリスの植民地だった事があるため、高齢の人達は英語を話すことが出来る。その後植民地化から開放されると、今までの反動からか皆英語を使わなくなってしまったので、その下の世代は英語を話せる人が少ないそうだ。しかし、結局そうなるとグローバルな今の世の中、やはり良くないと言うことで最近はまた英語を教える学校が増えてきているそうだ。と言うわけで今ミャンマーは、「ええっ、こんな老人が???」と思うほど高齢な人がいきなり英語をべらべら話し始めたり、「ええっ、こんな子供が???」と思うようなやっと歩き出したばかりの子供が生意気にも綺麗な発音の英語を話したりする。
以前友人(ミャンマー人)の家に遊びに行き、その友人のおばあさんにお会いした事があるのだが、そのおばあさんは日本人である私が珍しかったのか、私の前に椅子を運ばせて座ると、ベラベラベラ〜〜と英語で話しかけてきた(90歳くは軽くいっていると思うのにだ)。私は日本人である為(言い訳)、彼女の流暢な英語がほぼ分らずみっともなく狼狽するのみであったが、恐らく戦争中の日本軍のことを話していたのだろうと推察する。(あくまでも推察)その時はわ〜植民地時代の名残が今でもこんな形で残っているのね・・・と、何とも言えない感想を抱いたものだった。
さて、話は子供のほうに移る。先日友人の子供の誕生日会に呼ばれた。私は子供ではない(念のため)が、せっかく呼ばれたのだからと誕生日会にホイホイと出かけたのであった。子供達は小学生くらいが殆どで、皆日本人学校に通っている為会話はもちろん日本語が主体である。一応大人である(念のため)私は、子供たちが雄叫びを上げながら走り回る様を見つめつつ、控えめに壁際に座っていたと思いネエ!(いきなり江戸っ子風)。近くで友人の妹の子供(ミャンマー人同士の夫婦の子供)が風船で1人遊びをしていたのだが、彼の遊んでいた風船がこちらに飛んできた。(ちなみに彼はまだ二歳くらいなので小学生の雄叫びごっこには入れてもらえない。)彼は私が彼の風船を捕まえるとこう言った。
「PLEASE GIVE ME THAT!」
その瞬間顔に縦線が入った私は
「イェッ イエス・・・・」とみっともなくどもりつつ彼に風船を渡す羽目になったのだった。まっ、負けた、2歳児に完敗だ。よく分らん敗北感に包まれながら私は思ったね。
「なっなぜ2歳児が英語を話すんじゃ〜〜!しかも両親ともにミャンマー人じゃないか〜〜。」
「ミャンマー人ならミャンマー語を話せ、話してくれ〜〜。」
しかも、しかも彼の名は・・・アンドリューであった。そんな様子を見ていた友人はかわいそうに思ったのか、私の側に来て言った。
「あの子、今英語習っているのよ。ミャンマーも英才教育が流行り出しててね。」
2っ2歳にして英語を習うだとぉ?なっ生意気にもほどがあるわい。何が英才教育じゃっ。子供は外で雄叫びをあげるくらいでいいのじゃっ!!
ぜぇ〜ぜぇ〜〜肩で息をしながら、だけど私は思ったね。今日び英語くらいは小さい内から話せるようにしておいた方がいいのかもれん。それにしても2歳児に敗北感を味あわせられるとは・・。今までの怠慢な生活をアンドリューによって思い知らされたのであった。
子供にお金をかけて良い教育を!と思う親心は日本もミャンマーも同じなのだな・・・と思った出来事でした。
●麻生あかり
日緬合作映画「血の絆」の映画撮影後、本格的に語学留学をするため渡緬。その後結婚し、現在ミャンマー在中。