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アジアンハートビート〜Asian Heart Beat〜

アジアンハートビート〜Asian Heart Beat〜


人の生き死にについて、ヤンゴンで思う

Posted in ミャンマー,麻生あかりのYANGON日記 by Asian Heart Beat on the 10月 6th, 2009

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最近友人の父が亡くなった。
友人の父に限らずミャンマーでは入院してその後亡くなる場合
あっという間である。
一言で言えば医療がまだまだ遅れていると言えるが、
お見舞いに行ったとき、粗末なベットに点滴というどこの国でも
同じような状況の病室を見、それから1ヶ月もしないうちに
亡くなったと言う事を聞いたときに、なぜか祖父を思い出した。

私の祖父は高齢で亡くなったがやはり呼吸器をつけて
最後には誰の事も判別できなくなっていた。
親類は私の父に尊厳死にするかどうかの選択を一任していたが、
一人の人の死をいくら息子だからと言って簡単に決められるものではない。
心では皆もういいよ・・・と思っていたかもしれないが、いざ決めるとなると
その決断の重さがずしりと肩にかかってくる。
私はその決断の重さを引き受けざるを得なかった父を真近に見ていたので
その息苦しいような重圧をよく覚えている。

恐らく、ミャンマーで亡くなる人の10人に7人は日本の医療では
回復の見込みがあると思われる。
医療ミスもしばしば起こるような事をよく聞く。
けれど・・・。子供のいる年齢になって初めて私は思うのである。
もし自分が年老いて入院せざるを得ないような状況になったときに
果たしてどちらが幸せなのか?
日本では恐らく高齢で亡くなった場合、家族の人に言葉を残して亡くなる様な死に方
はかなり少なくなっているのではないだろうか。
それに比べてミャンマーは、癌になってももう手遅れの場合が多く
家族も確実に覚悟する時間と本人にも家族との別離のための時間が残されるケースが多い。
医師も本人の意思でどうせ死ぬなら家で死にたい・・・と言う患者がいるとあっけないほどあっそう、と言う感じでそれ以上の無駄な努力をしようとはしない。
痴呆症の老人も見るのが稀だが、それは恐らくその前に何らかの病気で亡くなっているか、痴呆症になって長生きする人が少ないからではないかと思われる。

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人間の尊厳死。日本では今その話題がよくあがるが、ミャンマーでは人間の尊厳死を考える時間がないままに人が死んでいく。
時々私は本来これが自然なのではないだろうか、と思う。
高齢になって体を切り刻んで寿命をあと数年延ばすことの価値と、
そのまま眠るようにそれが寿命と家族と数ヶ月過ごす時の価値、一体どちらの価値が高いのだろうか?

確かに私の友人で子供も小さくまだ30代であっけなく亡くなってしまう人もいた。
そういう人の場合もしミャンマー以外の国だったら・・・と死を惜しむ気持ちがとても強かったし、もしそれなら自分の親だったら・・・どういう状況でもやはり長く生きてほしいと思ってしまうのが子供のエゴであろう。
けれどである。親になった私は今思う。
もし、私が歳を取って病院に入る場合、自分の子供の顔や夫の顔を忘れてしまいながら
生き続けるよりも、少し早くても病気になったのがこれが寿命だ、と思いたい。

私がこう書く事は恐らくとてもエゴイスティックで、
「じゃあ若いときに病気になった人はどうなんだ?」と言われると返す言葉もない。
ミャンマーの村では今でも乳幼児の死亡率がとても高く、私のベビーシッターの出身村では今でも10人に3人くらいしか成人しないそうである。
そういう点に目を向ければもちろん日本の医学は優れていてすばらしいのはいうまでもない。
でも・・・最近の私には自分や自分の親が歳をとってきたからであろう、
でも・・・と言う言葉が続くのである。

どちらがいいとはっきりと言う事はできない気がするのだ。
もしもこの先私がずっとミャンマーで暮らし、歳を取っていくならば、最後を迎えるときが来るならば・・・私はもしかするとミャンマーの地で死ぬ事を選んでしまうかもしれない。

ミャンマーで一番長く過ごした日本人の女性が数年前になくなった。
私はその人のお孫さんと親しいため、その祖母が言い残した事を偶然聞いた。
「死ぬなら、ミャンマーで死にたい。でも、骨は日本に埋めてくれ・・・」

今だから書ける、サイクロンのお話

Posted in ミャンマー,麻生あかりのYANGON日記 by Asian Heart Beat on the 9月 15th, 2009

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サイクロンが来たあの夜。
その夜に限って私の夫は外国にビジネストリップに出かけ、
夜は彼の実家に同居とはいえ女性だらけ。
夜の八時にぷつっと停電したのが始まりだった。
あの時はまだこんな大惨事になるとは全くもって予想していなかった麻生は、
「せっかくDVD借りてきて一人でゆっくり見ようと思っていたのに〜〜」と
腹立たしい思いをしながらすることも全くないので、9時には眠ってしまっていた。
皆さん早っと思うかもしれませんがね、夜停電すると本当に本当にすることがないんですよ。

それで早々と爆睡していた私は12時過ぎにふっと地の底から聞こえてくるかのような
ゴ〜〜〜〜と言う音で目が覚めて窓の外をのぞいてみると・・・。
なんと雨が上から降ってくるのではなく、左から右に降っているではありませんか!!
しかも庭に植えてあるやしの木がぎゅ〜〜〜とこれもまた無重力の世界にいるかのように右に生えている・・・。
そして私の目の前でバキバキ〜〜〜・・・・。折れましたね。ハイ。
その時点で私の目は完全に点になり、頭は真っ白になったまま呆然とその光景を朝まで
見続けておりました。
朝になって自分の部屋からリビングに出てみると何と、家の中はざあざあと雨がふっておりました。
屋根が吹き飛んでいたのです。
その状態が昼ごろまで続き、外にも出られなかったのですが、やっと収まって
庭に出てみると・・・。

サイクロン直撃後、家の庭を見てみると・・・

写真のとおりの有様になっていたのでした。。門に木が倒れて外にも出れません。
そのまま家に閉じ込められること3日間。その間電気はもちろん、井戸からのくみ上げ式なので
水もこず、料理は炭火で。電話線は切れ、携帯電話はと言うと充電ができずにこれもまた使えず。
ああ〜〜いくら発達して便利になった道具もこれじゃあただの子供のおもちゃにもならんぞ!!と
携帯に八つ当たりしても何も変わらず・・・。
その後色々な人から手伝ってもらい門に倒れた木を切り倒し外に出ると・・そこは
ヤンゴンではなくうっそうとしたジャングルが広がっているだけでした。
この瞬間私たちはこれはもう一刻も無駄にできないとすぐにホテル探しを始めたのでしたが・・・
これがまた急な値上げ、ガソリンもまるで日本での石油ショックのよう(いや私は実際にあったわけではありませんが)
ガソリンを入れるのに5時間待ちで一日2ガロンしか入れられません・・・・。
ようやくホテルを色々な知り合いにあたってゲットし、3日ぶりにお湯でシャワーを浴びた瞬間、「ああ〜私今やっと人になった気がする・・・」と水のありがたさを実感したのでした。
子供も小さいのでそのまま水と電気が普及するまでの2週間を結局ホテルで過ごすことになりましたが、家に電機が戻った瞬間は本当に家中の人が盛大に拍手をしたものです。
その後自分たちが人間として生活することができるようになってから初めて、どれほどの被害をほかの人たちが受けたかを知り、自分たちがそれでも家族全員無事でラッキーだったと言うことを知りました。
私の家でも義理の妹はすぐにお金をかき集め、村ごと沈んでしまった人が避難しているところに物資を運んだり、もう着ない服、靴など生活雑貨を何袋も送ったりしました。

被害を受けた当時、ホテルに泊まっている私にジャーナルの記者がインタビューに来てこう聞きました。
「なぜあなたは日本に帰らないのか?」
家はもちろんのこと、家族全員を失っている人がいる中で私がインタビューを受けたのは自分の泊まっているホテル。
その事を恥ずかしく思いながら私は答えたのを覚えています。
「私は今ここに一人ですんでいるわけではありません。夫は外国に行っていませんが、夫の母と妹も一緒に住んでいて、彼女たちは私の子供がまだ小さい為、あらゆるコネを使ってホテルをとってくれました。
今ホテルで暮らせるのも恐縮の限りなのに、ある意味彼女たちを捨てるようにして私と子供だけ日本に帰れると思いますか?確かに伝染病とか色々なことが懸念されていて、できれば帰国するように大使館からも薦められていますが、じゃあ、ミャンマー人はどこに帰ればいいのですか・・・。」
あとでジャーナルに私のインタビューの記事が載っているのを読んで、なんて偽善的なことを自分自身言っているのだろう・・と
思ったものですがあの時はとてもとてもいっぱいいっぱいだったので何も考えられませんでした。。。

そして一年以上たって今。
今でも洗顔するときは水をためて使っています(笑)
ろうそくの買え置きもかかしません。
懐中電灯なんて一部屋に1つあります!!
そして電気のありがたさ水のありがたさを今でも痛感しています。
それからあの当時義理の母が言った事。
「自分たちのできる範囲でやれることを迅速にする」
あの当時貧乏な人も裕福な人も自分たちにできる範囲で本当によく
被害にあった人たちに協力して物資を送ったりしていました。
馬鹿みたいなことを書いていると思われるかもしれませんが、
私はその行動を目の当たりに見て、「これって人間にしかできないよな・・・」
と思ったのでした。

サイクロンに関しては書くことがありすぎてまとまりがつかないので
これくらいにしておきます。あの当時日本からも色々と物資を送ってくださったり
たくさんの人々から励ましのお言葉をいただいたりしました。
本当にありがとうございました。
ここに改めて御礼を申し上げさせていただきます。

麻生あかり

2007.5月のFM AHB 日本の楽器、箏(琴)とギターが炸裂

Posted in FM アジアンハートビート,日本 by Asian Heart Beat on the 4月 28th, 2007

 FM AHB初登場となる、日本の音楽を紹介。
 とはいっても、レーベルはドイツのAcoustic Music Recordsなので、日本発ヨーロッパ経由のアジアンミュージックといえるかも知れない。

 ここ数年、日本国内でも和楽器が注目されるケースが増えてきた。初めは津軽三味線をメインストリームとしたパフォーマンス性にフォーカスされることが多かったが、浸透して行くにつれ、伝統的な音楽から、新しいチャレンジを行っているアーティストにいたるまで、様々な切り口で取りあげられるようになってきている。自分たちの国の楽器を再認識するというのは、いたって健全なことだろう。

 さて、今回はそんな伝統的な和楽器の世界で活躍する箏奏者が、インプロの世界で活動するギタリストとデュオを組んだことで、二人の音楽性が炸裂、とても面白く、かつ刺激的な音へと変貌をとげた、箏(こと)とアコースティックギターのデュオ:AKI & KUNIKOを紹介。
 箏は13本の絃を柱(じ)という可動式のフレットでチューニングするのだが、縦横無尽に展開するAKIのギターに触発され、ライブを重ねていくにつれ、今までの殻を破りどんどん進化していった帯名久仁子(箏)の演奏にも注目。特にライブ音源「Trust」は圧巻の一言に尽きる。番組はファーストアルバム『Ha』を取りあげるが、最近のライブではさらに進化した音を聴くことができる。

AKI & KUNIKOサイト

ON AIR 放送局
5月5日(土)23時〜30分 調布FM(83.8MHz)
▼エリア(近郊は一部地域)
調布市・世田谷区・狛江市
府中市・三鷹市・稲城市
川崎市多摩区
5月7日(月)23時〜30分 FM西東京(84.2MHz)
▼エリア(近郊は一部地域)
西東京市・練馬区・武蔵野市
東久留米市・小平市・小金井市
いずれも音楽評判堂にてON AIR

Pick up(太字はON AIR曲)

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インスト
2005年
Acoustic Music Records

1. Ha
2. Jimi’s Spirit Of Acoustic
3. Suna No Shiro
4. Flash Back
5. Myo-giji
6. Kimigayo
7. Trust
8. Forest In Love

そむちゃい吉田の音タイ夢 Vol.3

Posted in そむちゃい吉田の音タイ夢,タイ by Asian Heart Beat on the 4月 28th, 2007

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第3回 クーデターとタイの人々

 1992年5月17日 わたしは初めて訪れたバンコクにいた。それが初めての一人旅であり、約3ヶ月に渡ってネパール、インドネシア、フィリピンとまわる旅の途中だった。夜、シーロムのパッポンで下手な英語を並べていい気分になっていたわたしは、前夜にも同じ店で朝方まで飲んでいた。2回目にはもう常連客のような気分だった。それは、タイ人たちが商売であっても、それを忘れさせる人なつこさとその場を楽しもうという気質を持ち合わせていたからだろう。夜12時になるころ。バタバタと店じまいをはじめる彼らに、なぜきょうは早く閉めるのかと聞いたが、お互いに語彙の少ない英会話では、答えは要領を得ない。「ボクシング」答えてくれたウエイトレスは、考えあぐねた挙げ句にそう答えた。全くわけが分からなかった。ムエタイの国だから、どこかでタイトルマッチでもあるのか?
それを見るために早仕舞い? などと頭の中に「?」マークがいっぱいのままホテルに戻った。それから数日後、パタヤビーチのゲストハウス。テレビに国王陛下の前に二人の男性が、横座りのまま手を合わせる姿が映っていた。そして、バンコクを出る空港でテレビ局のカメラマンと思しき人が手にしていた日本の新聞には、軍による民衆への発砲。国王による調停と写真付きの記事。タイ国内では、軍によって報道管制が敷かれ、新聞もテレビも王宮広場周辺で起きた悲劇を伝えられなかったのだ。数週間に及んだ民衆のデモを力で抑え込もうとして起きた悲劇であり、血の惨劇と言われている。

 あれから15年。アジア通貨危機を乗り越えて、アセアンのリーダーとまで言われるようになったタイで、またクーデターが起きるとは誰もが予想していなかった。政権を追われたタクシン前首相も「まさかと思った。」そうだ。しかし今回は、一人の負傷者も無く、いわゆる無血クーデターとして成功した。それは、前回とは全く正反対の目的だったためだろう。前回、1992年は軍が民主化を求める動きを抑えようとして悲劇が起こされた。今回は、民主主義をかさに利益誘導を計るタクシン氏に抗議する民意を軍が代行して行った。端的に言えばこうなるのだが、果たしてそれが全てだろうか。

 おとなしくて、従順で、しかし陽気なタイの人々。彼らは絶対王政のもとで数世紀を生きて来た。スコータイ、アユタヤと何代もの王がこの国に君臨している。王朝が変わる時には、やはり軍隊によるクーデターがあった。アユタヤ王朝がビルマ軍によって陥落したあと、タークシン王によるトンブリー王朝が打ち立てられる。しかし、1代限りで現王朝に至るラーマ1世によって、取って代わられる。タークシン王が精神を患ったためだとか、謀略があったなどと諸説あるが、これも武力を持つものによるクーデターには違いない。タイに限らず、王となり国を治めて来たものは武人であった。平和な世の中が何世代も続いて、やっと武力が影を潜め文化の花が咲き始める。日本はその意味では、鎖国のうちに平和な徳川時代は賢明だったと言えるのかも知れない。近代に入り、立憲君主制となった1832年のあとも、クーデターは25回を数える。タイが他国による支配を免れて来たのは、豊かな農作物があった事とは無関係ではないはずだ。それが故に民衆は飢える事が無く、その意味で統治者たちは他国と比べてはるかに政権の維持は楽だった。しかし、好事魔を多しである。国が豊だからこそ、その利権を巡る争いが絶えない。近年にはこれに工業も加わり、利権は更に膨れ上がっているのだ。タクシン前首相は、一見ビジネスマン的手法で政権を運営していたと思われている。しかし、彼は警察官僚の出身。その種類は微妙に違うが、力をバックに利権を確保するという事に関しては同じだ。そして、どこかの超大国がしていることも、規模が違うだけで全く同じ構造ではないだろうか。

 クーデターによる新政権を即座に承認したプミポン国王だが、昨年12月5日の誕生日のスピーチでは賢明な注文を付けている。「足るを知る経済」その確立を望むと。国王は、タクシン前首相が持ち込んだ成果主義、ビジネス手法的国家運営をもともと快く思っていなかった。政権を担当する者は、滅私奉公でなくてはならないとも言われた。この度のクーデターにも、背後には利権の奪い合いがある事も見抜いているのだろう。今、まさに利権を巡っての足の引っ張り合いが繰り広げられているタイ。そんな「持てる人々」を「持たざる人々」、一般庶民は諦めにも似た感情を持って傍観している。それは、スコータイに初めて王朝が開かれて以来、何も変わっていないのかも知れない。そのような中で生きていくには、自らをしっかり持って家族を養うために仕事に集中したり、学んだりするものだろう。しかし、教育制度が不十分だったこの国では、そう考える素養も育ちにくかった。だから、「マイ・ペン・ライ。マイ・ミー・パンハー(大丈夫。問題ない。)」そう自らに言い聞かせて、開き直って生きる事しか出来なかったはずだ。だがしかしである。タイの人々が素晴らしいのは、ここで落ち込まず、どうせ望みが無いのなら、何事も楽しく生きたほうがいいと考えた事だろう。明日はどうなるかわからない。だから、今を楽しもうじゃないか。まさしく究極の楽観主義者たちと言えるのがタイの人々なのかも知れない。

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▲バックパッカーの聖地カオサン ここでも1992年には軍と民衆との衝突が繰り広げられた。

(文・写真:そむちゃい吉田)

●そむちゃい吉田さんの著作はこちら
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大人のタイ極楽ガイド  大人のイラスト会話タイ語

●そむちゃい吉田
略歴: 1963年5月生まれ
高校卒業後、バンドでプロを目指して都内でライブ活動を続けるも断念。同時期にはXジャパンやShow-Yaなどがアマチュアとして廻っていた。その後、新潟の山で隠遁生活を決め込み、冬はスキーペンション、夏はバイトと言う生活を7年以上続けていた。
そんな中の1992年4月25日 軍隊が民主主義デモへ発砲し、多くの死傷者を出している最中のバンコクを初めての一人旅で訪れる。その一度でタイの魅力に取りつかれて以降、数ヶ月に一度訪タイを繰り返す。
1999年4月25日。世紀末の日本から逃れるため渡タイ。  友人らと小さな会社を興し、細々とバンコクに暮らす。
2002年 バンコク情報誌「Daco」でのルークトゥン特集を監修
2004年3月、タイ女性と入籍。
2004年末、久保田麻琴プロデュース「Hotel Bangkok」(キングレコード)取材協力
2005年末より日本で出稼ぎ中。

【関係書籍】
・大人のタイ極楽ガイド 執筆監修 2006年6月
・新版 大人のイラスト会話タイ語 編集 2006年2月
・楽園生活(ムック) 取材協力 2004年12月   
 いずれも実業之日本社より
・心にいつも、る〜くとぅん♪ バンコク情報誌「Web」にて隔号連載中

開店休業状態ながら、ウェブサイト:ルークトゥン・タイランド!もある。  
(http://loogthungthailand.fc2web.com/)

2007.4月のFM AHB ボリウッドの底力!

Posted in FM アジアンハートビート,インド by Asian Heart Beat on the 4月 17th, 2007

インドの音楽業界といえば、映画とは切っても切れない蜜月関係にあり、ヒット曲は常に映画から生まれるといっても過言ではないほど。
ハリウッド映画になぞらえてボリウッドとも呼ばれるくらいの映画大国で、テレビが普及した現在でも大衆のハートをつかんでやみません。
さて、今回はそんなインドの音楽事情の中から、日本でも大ヒットした「ムトゥ踊るマハラジャ」の音楽監督として知られる、A.Rラフマーンの音源を紹介します。

ON AIR 放送局
4月21日(土)23時〜30分 調布FM(83.8MHz)
▼エリア(近郊は一部地域)
調布市・世田谷区・狛江市
府中市・三鷹市・稲城市
川崎市多摩区
4月23日(月)23時〜30分 FM西東京(84.2MHz)
▼エリア(近郊は一部地域)
西東京市・練馬区・武蔵野市
東久留米市・小平市・小金井市
いずれも音楽評判堂にてON AIR

Pick up(太字はON AIR曲)

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Rang De Basanti
言語:英語他
2005年

1. Ik Onkar
2. Rang De Basanti
3. Paathshala
4. Tu Bin Bataye
5. Khalbali
6. Khoon Chala
7. Paathshala-Be A Rebel
8. Luka Chuppi
9. Lalkaar
10. Roobaroo

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The Rising – Ballad of Mangal Pandey
言語:英語他
2005年

1. MANGAL MANGAL (2.29) – Kailash Kher
2. MAI VARI VARI (4.51) – Kavitha Krishnamurthy, Reena Bharadwaj
3. HOLI RE (4.51) – Aamir Khan, Udit Narayan, Madhushree, Srinivas, Chinmaye
4. RASIYA (5.55) – Richa Sharma, Bonnie Chakraborty
5. MANGAL MANGAL (AGNI) (2.25) – Kailash Kher
6. TAKEY TAKEY (4.31) – Sukhwinder Singh, Kailash Kher, Kartick Das Baul
7. AL MADDATH MAULA (5.55) – AR Rahman, Kailash Kher, Murtaza, Kadir
8. MANGAL MANGAL (AATMA) (4.19) – Sukhwinder Singh, Kailash Kher

アジアの犬たち。その名もアジワン!

Posted in タイ,ベトナム,ミャンマー,ラオス,中国,台湾 by Asian Heart Beat on the 4月 12th, 2007

アジアの国々へ行くと、自由気ままにうろうろするワンコたちを目にする。
一日中くさりにつながれて、不自由きわまりない日本に比べたら、アジアの国々はまさにワンコの天国。
そんな彼らを「アジワン」とネーミングし、のんきでコミカルなアジワン達の日常を、写真とイラストエッセイで綴った新刊が人気だ。

著者は、明治の愛犬家:平岩米吉の生涯をおった『愛犬王ー平岩米吉伝』小学館ノンフィクション大賞を受賞した片野ゆかさん。犬と言えばこの作家というほど、犬と人間との関わり合いに造詣が深い。そんな著者がアジアに行っては、旅先で出会った「脱力系ワンコ」たちを中心に全頁フルカラーでアジワンの魅力をたっぷり伝えてくれる。
アジアの犬たち。その名もアジワン!

アジア好きには「あー、この風景あるある!」
ワンコ好きには「わー、この犬かわいい!」
と思わずニンマリの一冊だ。

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アジワン―ゆるりアジアで犬に会う
定価:1,300円+税
単行本: 150ページ
出版社: ジュリアン
ISBN: 4902584441

●片野ゆか
1966年東京生まれ。台湾、タイなどを中心としたアジアエリアのグルメ・食文化、人と犬の生活をテーマにしたもの全般について取材・執筆。
『愛犬王–平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。
ブログ『片野ゆかの台湾と遊ぼう』
http://www.taiwankanko.com/yuka/

麻生あかりのYANGON日記 Vol.3

Posted in ミャンマー,麻生あかりのYANGON日記 by Asian Heart Beat on the 4月 12th, 2007

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私の夫は歌手である。
そして夫の母はミャンマーで物凄く有名な歌手である。
さらに夫の妹もまあまあ有名な歌手である。
なので、一般的に芸能一家と言えるだろう。

そんなこんなで、夫にライブショーの依頼があると私も一緒についていく。

ミャンマーにいると「なんでも夫婦同伴」をよ〜く目にする。
夫の仕事であろうと、奥さんがついていくのが当たり前なのだ。

歌手が地方に巡業に行く場合でも奥さんは当たり前のように付いていき、オーガナイザーは奥さんの為のホテル代、食事代も持たなければならない。
ミャンマーではマネージャーという存在が存在しないため、恐らく奥さんはマネージャーの仕事兼任と言う感じになっているから…、と言えなくもない。

まあ、さすがに巡業にまでは付いて行かないが、私の住んでいるヤンゴン市内であれば、夫の方も当然のように私が付いてくるものだと思っているので、冷やかし半分についていく。
夫は自分が歌うステージでなくても、歌手仲間から招待される事が多いから、ステージショーに行く機会は自然と物凄い数になる。

そうやって沢山の場数を踏んでいるうちに、私はあることに気がついた。
というか、イヤでも気がつくだろう。
それは、どの歌手も、ものすご〜〜〜く持ち歌が少ないと言う事。
少ないなんてものじゃない。毎回毎回行くたびに同じ歌ばっかり歌っている。
あまりに不思議なので夫に聞いてみると

夫「だって有名な歌じゃないとお客さんは喜ばないから・・・。」

私「・・・」

それじゃいつまでたっても新曲を覚えてもらえないじゃん!(あかり心のシャウト!)

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そんなことで、最近では、まあまあ有名な歌手が歌う歌だったら私でも「ああ〜知ってる〜」と口ずさむことが出来るようになってしまった。

だけどさ、お客さんだって飽きると思うんだけどな・・。
毎回毎回同じ歌を歌ってたら新鮮味が全くないじゃん。

それでもミャンマー人特有の気質【その日皆が楽しければ良いじゃん!】の精神に従って、誰も新曲を歌わず、同じ歌手が同じ歌の繰り返しを続けるのであった。

これじゃあ、新人だって育たないよな・・・(ボソっ)

今日も私は夫のステージに付いていき、
「これでいいのかぁぁ〜〜???」と、
1人悶々とするのであった。

●麻生あかり
日緬合作映画「血の絆」の映画撮影後、本格的に語学留学をするため渡緬。その後結婚し、現在ミャンマー在中。

AHBサイト完全リニューアル!

迅速な情報更新や、情報提供の利便性を上げるため、Asian Heart Beatのウェブサイトをブログ化いたしました。
ブログ化に伴い、過去のデータを移植。
AHBのシンボルカラーでもある、赤と黒のツートンカラーを踏襲しつつ、すっきりとお洒落な雰囲気での新装開店です。
今後もアジアの様々な情報を皆様にお届けしてまいります。
どうぞお楽しみに。

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Asian Heart Beat編集部スタッフ一同

マレーシアで見廻すアジアの暦 仲秋、光の祭り、断食明け

Posted in マレーシア by Asian Heart Beat on the 4月 12th, 2007

(文・写真:アサネギシ
 マレー系、中華系、インド系というアジアの三大民族が住むマレーシア。一国にいながらにしてアジアのお祭りを見ることができるのが楽しい。今月21日はインド系ヒンドゥー教徒の光の祭り『ディーパ・バリ』、続いて24日はマレー系を中心とするイスラム教徒のラマダン(断食)月明けの大祭『ハリラヤ・プアサ』という2つの宗教にとって最大のお祝いが同時期に重なるのだ。日本で言ったら文字通り“盆と正月が一緒にきた”ような感覚だろうか。地元では、 “ディーパ・ラヤ”という造語もできて、民族の壁を越えてお祭りムードが盛り上がっている。ちなみに飛び石休暇の谷間となる23日も臨時休日が宣言され、 5連休となっている。

 こうしてお祭りが重なる理由は、イスラム教、ヒンドゥー教とも新月をもって新しい月の始まりとする太陰暦を採用しているため。ちなみに今月6日の満月は、中華系が名月を眺め、月餅(ゲッペイ)を食べて仲秋節を祝った。名月が欠けるのと同時にラマダン月が終わりを告げる。アジアは、まだまだ月とともに暮らしているのだ。

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▲10月に入り、街中の至る所がお祭りムードに

 ディーパ・バリは、善の象徴である光が悪の闇に打ち勝ったことを祝うもの。インド本国では「ディワリー」と呼ばれ大きな祭りではないが、南部出身のタミール人が多数のマレーシアではディーパバリが最大の祭りとなっている。ディーパ・バリはインドと異なる点も多いが、善を演じるのは神クリシュナであることと、光の祭りであることは一致している。ヒンドゥー教二大神の一人ヴィシュヌが化身した人格神クリシュナについては、叙事詩ハリヴァンジヤで英雄として悪を倒す逸話が多く描かれており、正義の象徴として民衆に愛されている。ディーパ・バリの朝には沐浴を行い、頭に香油をつける習慣がある。また、家の中や庭に小さな灯油ランプを置き、正義の象徴である光を灯す風景が見られる。また、両親や親戚を訪れ、団欒を楽しむ時でもある。

 ハリラヤ・プアサは実際に新月の観測を行ってから宣言されるしきたりで、今年は24日の予定。ハリラヤ・プアサは1年で最も困難なラマダン月の終了を祝う日で、ディーパバリと同様に最大の祭りであるが新年ではない。こちらは世界中のイスラム教徒共通の最大のお祭りである。ハリラヤ・プアサが宣言された翌朝は新調したバジュ・ムラユ(マレー民族服)を着て、多くの人がモスクに礼拝に出掛ける。そして昼からは普段離れて暮らしている両親や親戚の家を訪れ、歓談や飲食を楽しむ。子供達の楽しみは、日本のお年玉のように袋入りで配られる小遣い、ドゥエ・ラヤだ。

 この時期、王室から閣僚といった社会的地位がある人から庶民まで自宅を開放するオープン・ハウスというマレーシアらしい習慣がある。多民族社会のマレーシアは、こういった機会に外国人や民族の違う友人を招き、料理や菓子でもてなして自分たちの民族の習慣を紹介する機会としているのだ。多民族社会の調和の秘訣は、こんなところにもあるのかもしれない。また、庶民でも誰の家が一番お客を招いたかを競い合っているようなところもあって、ほほえましい。

 この時期、ぜひマレーシアのお祭り情緒を味わってもらいたいものだ。

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この秋、マレーシアの高級茶葉日本初上陸! 

Posted in マレーシア by Asian Heart Beat on the 4月 12th, 2007

 マレーシアの大手紅茶メーカー、BOH TEA(ボー・ティー)の最高級ブランド「ガーデン・ティー」がこの9月より日本で発売されることになった。
 ボー・ティーはマレーシア有数の避暑地、キャメロニアン高原で栽培される良質な茶葉を使用した紅茶が特徴で、あのオリエント急行の東南アジア路線での車内ティーとして公式採用されるほどの格調高いブランドだ。
 日本の代理店をつとめる大信実業(株)によると、近年のティー・ブームは一般的に定着してきつつあり、リーフで紅茶を楽しむユーザー層に幅広くアピール出来るアイテムとして、まさにまんをじしての発売になるそうだ。全6アイテム中4アイテムの日本販売が決定しており、50g・840円〜主に紅茶専門店や、外国食品を豊富に扱う食品専門店、また有力スーパーなどで購入できる。

お問い合わせ
大信実業(株)営業部
TEL :03-5250-3951 (山口・伊勢戸・影島)
 
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▲オリエント急行にも使われているBOH TEA(ボー・ティー)

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