昨日は、サッカーのスルタン・セランゴール杯という特別イベントがあった。
同杯は、01年から行われているセランゴールとシンガポールのエキジビション・マッチである。なぜ、この2つのチームの取り合わせかというと、1920年代から歴史のあるマレーシア・サッカーにはシンガポールが参加しており、切磋琢磨していた時代が長かったからだ。シンガポールがマレーシア・リーグから脱退したのは、95年のこと。両雄は70年あまりも名勝負を続けてきたのだ。
記録によるとマレーシア杯とその前身のマラヤ杯で両雄は23回決勝で対決している。勝敗も拮抗しており、セランゴールの11勝10敗2分。これ以上のライバルもなかろう。
昨日は両地域のベテラン・チームと現役選抜が対戦した。現役選抜はシンガポールはSリーグから、セランゴールは同じセランゴールを拠点とするMKランドの選手を加えたメンバーとなった。新聞では8万人の観衆が集まったという。会場のシャーアラム・スタジアムのキャパが8万なので、満員ということはありえない数字だが、やはり数万人が両雄の対戦に心を熱くしていることは、両国サッカーの偉大なる遺産だ。
ボクもシンガポールが参加していた時代のことを少しばかり覚えているが、やはりこの頃のサッカーの盛り上がり方はすごかった。やはり隣国がからむと燃え方が違う。とくにシンガポールの方が経済でマレーシアを凌駕し始める時代になると、マレーシア人観衆のコンプレックスが入り混じった感情の爆発の程度はすさまじかったことは想像できるだろう。
そんな情況で試合をしてきたシンガポールが強豪になれたことも賞賛に値することだ。やはり、シンガポールは客観的に観れば、いびつな社会、国家だ。そのシンガポールがサッカーでマレーシアと伍して来れたことの意味は大きかったのではないかと思う。
95年に両国が袂を分かつこととなったのは、八百長事件が原因だった。裏を返せば、八百長を仕掛けるほどローカル・サッカーは盛り上がっていたのだ。八百長が起こるほどの盛り上がりと熱さが、結果として両国のサッカーを引き離してしまうというのはやはり皮肉だった。
それはともかく。現役選抜チームの対戦は3-1でセランゴールが勝った。ベテラン戦は2-1でシンガポールの勝利。ベテラン勢では、東南アジアのサッカー選手としてはじめて欧州でプレーしたシンガポールの伝説の選手フェンディ・アーマッドが2得点したそうだ。
やはり、両国のシンガポールの話に戻るが、もう一度同じリーグで切磋琢磨の時代にならないものか。少なくとも昨晩の数万人はそれを望んでいるのではないかと思う。
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フェンディアーマッドってわりと最近の選手ですよね。
僕の勘違いでなければ、ちょっと童顔の中肉中背の選手だったと
思うのですが、彼がヨーロッパでプレイしていたとは知りませんでした。
セランゴールか、クアラルンプールでもプレイしていなかったっけ?