今回は恐れ多くもお世話になっているAisaの所属ルポライターである高野秀行さんからトラックバックさせいただいてお題をちょうだいいたします。
中国のお話は、イデオロギーが女性の服装を変えた例だが、マレーシアの場合は宗教が女性の服装に影を落とす。
各民族の話にするのもおもしろいのだが、今回はマレー系について。
マレーシアのマレー系は、イスラム教ということになっている。
もちろん広い意味のマレー系は、ボルネオ島の東マレーシアの先住民、マレー半島のオランアスリとよばれる原住民もあり、イスラム教徒でない人も多い。
ただ、自分をすんなりマレー人と呼べる人は100%イスラム教なのだ。
どうしてそうなっているかについては、移民である中国系やインド系に対して政治上の優位を確保する過程で「マレー語を話し、イスラム教を奉じる」ことをマレー系の定義としてきたという説明でご勘弁いただこう。
それで本題だが、マレー人の服装はここ10年あまりで宗教的に保守化している。
一番目に付く変化は、頭髪を隠すトドゥン(スカーフ)が増えたこと。
街に溢れるジーンズにTシャツ姿でトドゥンがやはり外国人には奇異に映るだろう。
10数年年前は、せっかく「ジーンズはいているのにトドゥン?」という意識があったように思う。仕事のフォーマルな洋服や民族服にトドゥンでも、遊びに行くのにトドゥンをかぶらない女性も多かった。あくまでもトドゥンは、TPOのアイテムのひとつだったと思う。
それで、どうしてそうなったかというのは、簡単に言えば10年前のボスニア紛争以来、西洋対イスラムの構図がイスラム教徒のアイデンティティーの強化にもつながってきたようだという説明で勘弁してもらおう。(なんだか先を急いでいるようだとお察しか…)
マレーシア国内において起きた服装に関する大きな事件は、97年宗教当局によるミスコン参加者検挙事件だ。
これは、セランゴール州のイスラム宗教警察(戒律に関する違反を取り締まる権利があるので警察と訳されているようだ)が水着になったマレー系のミスコン参加者を逮捕したことだ。
この事件が起きた時マハティール前首相は、海外での3カ月の長期休暇を取っていた。
ちなみにマハティール前首相は、自身の引退を念頭に置き、この長期休暇をアンワール元副首相に対する首相業予行演習にしていたようだ。
前首相は帰国してからこの事件について、宗教当局の独断について不快感を表していた。
前首相としては、もっと穏便なイスラム教の適用を望んでいたフシがある。
けっしてミスコン女性について「けしからん」とは発言しなかった。
それ以降、ミスコン主催者はイスラム教徒の参加を不可とし始めた。
マレーシアでは、よくみられる自主規制というヤツ。
行政的にはけっして禁止できる法律などは存在していないのだ。
やっと結論に近づいてきた。
美人というのは、国の顔である。
ミスコンは国のイメージを決定付ける代理戦争だ。
その国の美人代表が少なくとも多数派民族から選ばれないのは、国のイメージ戦略に関わる由々しき問題だと思う。
回りくどいが、マレー美人は、マレーシアにこないと見られないということだ。
そこで、こんなものを見つけた。
マレーシア芸能界一の美人、エラ・ファジーラ(Era Fazira)の05年カレンダー。
彼女は既婚(ダンナはKRUの次兄ユスリー)なのだが、まだまだ容姿で稼ごうというところがエライ。当地では大判写真カレンダーの出版自体も希なこと。
実は彼女、93か94年、ミス・ユニバースのマレーシア代表だった人だ。
彼女以降マレー系のミス・マレーシアは出ていないので、「最後のマレー系ミス・マレーシア」なのだ。
それで服装の話に戻ると、マレー系は肌が出せない分、冬の衣装を着てみたいという願望があるようだ。当地にいると見るだけでも暑い。
そう、このカレンダーの入手は、KRUオンラインショップのサイトから。
http://www.kru.com.my/KRUMatrix/VirtualMall/ShowContent.asp?p=prod&product=527
6枚組みでRM12。
かなりお値打ちなのでは。
(22日中の更新に間に合った…)