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過去の新聞発行禁止について – アサ・ネギシのページ/Music Raja
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マレーシア・ライターの見聞録

過去の新聞発行禁止について

過去の新聞発行禁止について
『サラワク・トリビューン』紙の発行停止処分から一夜経ち、政府はデンマークの新聞にイスラム教預言者モハメッド風刺画の転載を禁止する処分を出した。また同紙の発行停止は、政府による解禁の通達があるまでという厳しいものになった。
 マレーシアは87年にも地元新聞への発行停止処分を下した過去があると書いたが、その詳細を調べてみた。
 
 きっかけは87年9月、教育相が中国語教育を受けていない中華系マレーシア人を中国語系小学校の管理職に任命したこと。ちなみにマレーシアでは、東南アジアでは各少数派民族の母語による教育が認められている数少ない国である。
 
 この処分に保護者たちは反発。10月には連立与党を構成するマレーシア華人協会(MCA)、ゲラカン党、野党の民主行動党(DAP)など中華系が多数派の政党や華人団体が人事撤回を求める抗議集会を行った。同15日には3万人の中華系児童が登校拒否を行う事態までに発展。この中華系の動きに対し、連立与党最大の統一マレー人国民組織(UMNO)青年部は、中華系団体に抗議する集会を計画し、事態はマレー系と中華系の対立にまで悪化した。
 当時のマハティール首相はこの事態に際し、あらゆる集会を禁止したほか、国内治安法により、106人を逮捕した。また、新聞も国内の安定を乱す責任の一端を負ったとし、英字紙スター、中国語紙星州日報、マレー語紙ワタワンを発行禁止処分にした。
 この事件が起きた87年は、マハティール政権最大の危機のひとつであったUMNO有力幹部ラザレイ氏とムサ・ヒタム氏との対立が顕著になった年だった。ちなみにアブドゥーラ現首相は、UMNO総裁選でラザレイ氏を支持し、国防大臣を更迭された過去がある。また両氏は翌年に46年精神党を旗揚げし、UMNOが分裂する事態となった。
 さらに付け加えるならば、マレーシア経済は84年から長い不況が続き、政治・社会不安を引き起こしやすい状況でもあった。
 87年の新聞発行禁止処分は、そういったマレーシアの政治・社会の安定基盤の揺らぎに際し、前首相が強権を持って国内の統一を維持するための手法であった。
 今回の『サラワク・トリビューン』紙発行禁止は、海外からの過剰な暴力的抗議運動の波及を水際でとどめる措置であり、国内の分裂を背景とした過去の同措置と性格を異とするものだ。
 しかし、欧米的民主主義に反するようにみえる言論の自由への制限も、綱渡りのようなこのかくも脆いマレーシアの安定が背景にある。
(岩波書店、荻原宜之著『ラーマンとマハティール』を参考にしました)

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