昨日行なわれたAIM(マレーシア音楽産業賞)08でもお披露目されたが、民族の壁を越え、マレーシアン”として結束していくことを謳ったプロジェクトが発足している。
『結束のためのマレーシア人アーティスト(Malaysian Artists for Unity)』と題されたこのプロジェクトは、さまざまな人種のマレーシア人アーティストが参加し、マレーシア人として結束することをメッセージとしたオリジナル・ソングとビデオクリップを制作し、テレビやラジオといった既存のメディアとインターネットで広く公開していくこと目指している。
その第一弾として、発起人であるシンガー、俳優のピート・ティオ作曲の「Here In My Home」と、ヤスミン・アーマッドとホーユーハン監督が制作したプロジェクトのビデオクリップが公開されている。
プロジェクトのビデオはこちら。
「Here In My Home」の音源はこちら。
ビデオに参加しているのは、アフドゥリン・シャウキ(Afdlin Shauki)、コメディアンのハリス・イスカンダール(Harith Iskandar)、アウィ(Awie)、ジェイソン・ロー(Jason Lo)、レシュモニュ(Reshmonu)、サッカー解説と指導者のシャビー・シン(Sheby Singh)、ニン・バイズーラ(Ning Baizura)、ヤスミン監督の映画『セペ』に主演したン・チューセン(Ng Choo Seong)とシャリファ・アマニ(Sharifah Amani)、マヤ・カリン(Maya Karin)、エア・アジアCEOのトニー・フェルナンデス(Tony Fernandes)、ジャクリン・ビクター(Jaclyn Victor)、イダ・ネリナ(Ida Nerina)、マレーシアNo.1モデルのアンバー・チィア(Amber Chia)、アティラ(Atilia)、ニッキー(Nikki)らと多彩。
プロジェクトのホームページでは、無料ダウンロードの音源もアップされる予定。
このブログでは触れてこなかったが、3月に行なわれた総選挙では与党勢力が大幅に後退。その背景には、昨年に起きたインド系団体の大規模な抗議行動などマレーシアの国是とするマレー系優先のあり方に対する疑問が投げかけられていることがある。
表現する言語は違えどマレーシア人であるアーティスト達が人種差別反対や民族を超えた連携をアピールするには、これ以上ないタイミングだ。
マレーシアの芸能やポップカルチャーは、言語や人種で分断されていることは否めない事実。その根源は、第二代ラザック首相時代の70年代に導入されたマレー系優先政策のブミプトラ政策”に起因するという意見をよく耳にする。確かに50、60年代に黄金時代を築いたP.ラムリーの映画は、ブミプトラ政策以前の産物で、すべての民族が楽しんでいた。
個人的には、ブミプトラ政策に全部を押し付ける意見には首肯はできないが、多民族社会での微妙な感情が、芸能やポップカルチャーにも影を落としたもの察する。
これからこのプロジェクトが、政治運動としてマレーシア政治の民主化にも影響するとは言わないが、政治での民族平等に向けた改革とマレーシアを構成する民族による文化のボーダーレス化が同調した歩みになるのではないか。
昨晩のAIMでもそういった空気の演出に成功していた。
確かに国語はどの国でも重要で、言語なしには文化は創生できないけれど、この国は政治の力が文化に介入する動きが強すぎる。政府は、人が暮らし、呼吸する社会の空気を作品に昇華するアーティストが文化を創造する力を過小評価するべきではない、と思う。
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バグース!!ですね。
彼ら、第一線で活躍するアーティストに期待!!
ネギシさん、すばらしい記事を有難うございます。
ヤスミンのブログにも紹介されていました。
http://yasminthestoryteller.blogspot.com/
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気鋭のアーティスト達が確かにすばらしい動きであることは確かですが…。
でも、少なからずマレーシアのマレー系アーティストが政府与党のお抱え的な存在になっているのも事実。杞憂かもしれませんが、そういったアーティスト達が、このプロジェクトに“野党的”なにおいを感じとって、逆に芸能界が分裂してしまわないか…。
発起人のピートは、ちょっと政治的に与党批判ととれる発言をしているので、ちょっと不安材料。
これからプロジェクトを通じて出てくる作品が、政治色を出さず、純粋にメッセージを発信しするものであり、大衆の共感が得られればいいものだと思う次第です。