今年は、音楽よりもなんだかマレーシア映画ばっかり観ている感じで、ちょっとずつ作品を紹介していこうと思う。
それで、今年の作品としてボクが最も期待していた『Sepi』から。最近ビデオ化されたばかりだ。
本作は、インド人(インド系マレーシア人ではない)のカビール・バティア監督によるもの。前作の監督にとって長編デビュー作『Cinta(愛)』(リビューはこちら)は、ボクが僭越ながら映画評も書かせていただいた『THATS ENTERTAINMENT FROM ASIA 2008アジアのエンタメの流行がこれでわかる!』で、マイ・フェイバリットに選んだ作品だ。
本作もカビール監督らしく、美しい絵とテンポのよさで“マレー語映画”と構えなくても鑑賞できる出来となった。
さて、タイトルの意味は“孤独”。喪失感を伴ったニュアンスもある。
マレー系には、歌の世界でもそうだが、けっこう悲恋や悲嘆に暮れる終わり方が好きで、前作で何かやさしさに包まれるような叙情で“愛”を描いたカビール監督が、“孤独”をどう料理するのかがボクの期待した理由だ。
本作は、交通事故の現場に居合わせた30歳を過ぎて結婚も目の前にちらつくパティシエのアダム(アフドゥリン・シャウキ、Afdlin Shauki)、妻を交通事故で亡くした悲しみに暮れるスフィ(トニー・ユソフ、Tony Eusoff)、三角関係に揺れる演劇科の女子大生イマアン(ズラ、Zura)を巡る3つの物語。
前作では、どこかで多少の接点がある5組の男女の物語が同時進行する形と同じであるが、アダム、スフィ、イマアンの三人は偶然同じ時間と場所、そして事故という記憶を共有したという設定だ。
作品は3人が交通事故の場面から始まり、そしてそれぞれ恋をするのだが、思いは成就しない。ストーリーの詳述は避けるが、アダムは目の前に現れた女性に、スフィは妻を失った悲しみを忘れるためにジョギングの途中に出会った人妻に、イマアンは恋人がいるものの、猛アタックを賭けてくる学友との間で煮え切らない思いを募らせる。
3人が思いが伝わらないことに感じるもどかしさを残し3つの物語は小休止。
再び交通事故の場面になる。
うーん、個人的には、実はここで3人が孤独の余韻のまま終わってもいいと思うんだが、監督はきちんと結末をつけている。アダムの物語はよくあるハッピーエンドだが、スフィには叶わない思いに対するしみじみとした情緒が漂う結末、そしてイマアンには意外な事実が明かされる。
はっきり言うと前作で5つの男女の物語が生んだ効果とは異なり、本作の3つの物語は、共鳴しないのが残念だ。交通事故の場面に居合わせた3人は、運命でもつながっていないし、途中では孤独を共有するが、結末ではどんな思いを共有したのかが見えない。
もしかしたら当地の『Gangster』(05年)を意識したのかもしれない。この作品も3人の男(ロッシャム・ノールが3役をこなした)がひとつの交通事故という偶然でつながっており、3人とも悲劇の運命を迎える。
そういった作品があるので、本作は後味を意識的に避けた部分もあったのではないか。
構成的にはボクの好みには合わないが、3つの物語の設定も進行も無理がないし、特に演出が自然で当地の映画でありがちな食傷を催すものではないところにこの監督らしさが現れていることは大いに評価したい。
特にアフドゥリン演じるアダムとアダムが思いを寄せる女性(バニーダ・イムラン、Vanidah Imran)が、厨房で小麦粉だらけで交歓するシーンがあるのだが、普通ならば観ているほうがちょっと恥ずかしくなるが、美しい場面に仕上げているとことが白眉。
話はそれるが、イマアン猛アタックをかける男性をソウル・コーラスグループのRuffedgeのイケ面、サイン(Sein)が演じているところなんかが、女性ファンには観どころか。アフドゥリンも“デブ優男”の魅力発揮で、俳優としても旬の観がある。
概して絵もテンポがよくて、心地よくストーリーが流れていくところにかビール監督のよさが十二分に出ているのだが、前作と同様に挿入歌がてんこ盛り過ぎるのがいただけない。というかテンポのよさは、挿入歌で場面を流していることに起因している部分が大き過ぎる。
やっぱり、挿入歌はここぞと言う場面で使って欲しい。正直言って1曲も場面が思い浮かぶ効果を生み出していない。
それでも「マレー語の映画なんて」と敬遠する向きにお勧めしたい質を備えた作品だ。
タイトルとは反対に人間は孤独でないことを描いた作品である。
蛇足だけれどもビデオDVDのジャケットは映画のポスターとは似ても似つかないデザイン。 しかも贋物とも思わせるセンスのなさ。一度、版権をDVD制作会社に渡してしまうと、もう作品が監督の手が届かないものになってしまうのはなんとかならないものか。