予告されていたマレー音楽界の女王、シティ・ヌルハリザ(Siti Nurhhaliza)の1年ぶり13作目の新作『Lentera Timur』がリリースされた。同作は『Sanggar Mustika』(02年)以来、6年ぶり4作目のイラマ(エスニック・ポップ、ここでは“モダン民謡”とさせていただきます)アルバム。タイトルの意味は“東方の灯”といった感じだ。
ジャケットも“オリエント色満載”といった感じで、マレーを越えたエスニックとエキゾティズムを意識したサウンドに期待を高めてくれる。
まだ解説というほど時間もとれないので、今回も感想ノートという形にさせていただく。
しかし、昨年のクリスマスも『Hadiah Daripada Hati』で感想ノート書いていたよなぁ。
年があらたまる前に書けることは書いておこう。
番号はアルバム収録のトラック番号です。
1.「Di Kayangan Kita」(曲:Johari Teh詩: Keon)
ジョハリ・テーという名前を聞いて、ニン・バイズーラを世に送り出した人というところまでしか思い出せないのだが、いままでシティのイラマ・アルバムは「Cindai」や「Balqis」といったインパクトがある曲で始まっていたことを考えるとちょっと肩透かしのようなモダン民謡っぽくない曲調。
ペルシャ起源の弦楽器ガンブスなんかが入ってエキゾチックな雰囲気を醸し出しているが、メロディ自体は現代的なマレーポップにあるパターンだ。
2.「Bintang Malam」(曲:Johan Nawawi 詩:Amran Omar)
往年の女性歌手ノラ(Nora)のダンナという説明しかできないので申し訳ないが、ジョハン・ナワウィによる曲で、牧歌的でいかにもムラユ(マレー)民謡といった雰囲気の曲。音の入れ方とアレンジは、モロにイラマ・シンガーの大御所ノラニザ・イドリス(Noraniza Idris)のテイストなのが気になる。
また、シティの歌い方は、ムラユ民謡的な節回しは押さえ気味。
3.「Cinta Ini」(曲&詩:Katon Bagaskara)
今回、唯一のインドネシア作曲家による曲。どう聴いてもモダン民謡の範疇にはない曲調で、インドネシア作曲家特有の日本の歌謡曲テイストを感じるのだが、どうだろう。
しかし、印象的なメロディーの佳曲ではあり、アルバム全体のトーンとは違うのだが、本作の売りになるのかもしれない。
ちなみに日本公演を実現(ボクもちょっと関わっていたけど)した民俗楽器デュオ、モーラム(Mohram)のモハールが横笛で参加している。また、相方の打楽器奏者ラムリーも1、2に参加している。
4.「Ada Masa Mata」(曲:M. Nasir 詩:Ad Samad)
最近では、ミシャ・オマール(Misha Omar)に「Nafas Cinta」というエスニック調の曲を提供しているマレー音楽界の鬼才M.ナシールによる曲。
ううぅ、鬼才はマレー圏を飛び越えて、シティにタイ民謡っぽい声の使い方で歌を歌わせている。でも、シティにしては今までにない歌い方なので一興だ。
5.「Bulan Yang Mesra」(曲: Khairil Johari Johar 詩:Zubir Ali )
本作で唯一複数曲を提供しているカイルル・ジョハリ・ジョホールなる人の曲だが、これぞアスリ(マレー独特の“オリジナル”という意味)という曲で、シティの一番の聴き所である“ゆらぎ”が堪能でき、通なムラユ民謡のファンは、アルバム中盤になってやっと溜飲が下がるのかな。
この澄んだ美声でゆったりと歌われる“ムラユ”味がこのジャンルの魅力を端的に伝えていると思う。
6.「Seloka Budi」(曲:Adnan Abu Hassan 詩:Azam Dungun)
モダン・ポップのヒットメーカーでシティの前半のキャリアで大きな役割を果たしたアドナン・アブ・ハッサンによる曲。ちゃんと舞踊曲っぽさを加味しながら、普通のモダン・ポップ的なツボを押さえているのはヒットメーカーらしい。
7.「Rasa Antara Kita」(曲:Khairil Johari Johar 詩:Zubir Ali)
トラック5を提供している本作唯一の2曲提供の作曲者による曲。5についても述べたようにこの曲も牧歌的で、ゆったりとしたアスリの魅力を伝えている。前作『Sanggar Mustika』の「Sulam Sembilan」のような曲だ。
どうでもいいけれど、シティによるこの手の曲に必須の「イーッ」という合いの手が、思い切りが悪くて恥ずかしそうな感じに聞こえるのが可笑しい。
8.「Senyum Minang Manis」(曲:Zul Mahat 詩:Abot)
作曲者については不勉強だが、メロディーがキャッチャーなうえ、アラブ旋律をオーケストラでアレンジしたりして、なかなか耳を惹く派手な曲。
『Sanggar Mustika』収録の「Kurik Kundi」の満艦飾サウンドに通じるものがあり、ステージで大勢の踊り子と共演で映える曲だ。
9.「Joget Menanti Kasih」(曲:S.Atan 詩:Habsah Hassan)
文字通り正統派の“ジョゲット(舞踊曲)”で、イラマ・ファンならば「待ってました」という喝采を贈ることだろう。『Samura』や『Sanggar Mustika』でもシティにジョゲットを提供してきた第一人者S.アタンの面目躍如といった感じ。
シティは、ちょっとジョゲット特有の節回しを抑えている感じがする。
10.「Di Taman Teman」(曲:Fauzi Marzuki 詩:Hairul Anuar Harun)
ファウジ・マルズキを往年の名プロデューサーと形容したら時代遅れの人のように聞こえて申し訳ないが、懐かしい人が仕事をしているのがうれしい。
この曲もモダン民謡とは、違ってちょっとラテン・アラブっぽい感じで、90年代のシーラ・マジッド(Sheila Majid)らとの仕事で光った彼らしいモダンで楽器の使い方が秀逸なアレンジの曲に仕上がっている。
シティのキャリアとして新境地とは言えないまでも、いままでにない新鮮な曲だ。
11.「Jelmakanlah Ayumu」(曲:Pak Ngah 詩:Siso Kopratasa)
やっぱりシティのイラマは、この人無しには語れないパッ・ンガの曲だが、曲調もアレンジもモダン民謡とは言い難い。パッ・ンガは、意図して「Cindai」や「Balqis」とは違う曲を提供したかったのだろう。まず、この曲からラジオOAされている。
ちょっとシティは、『Prasasti Seni』収録の「Lagu Rindu」でのアラブ風節回しを抑え気味に小出ししているようだが、メロディの料理し方に迷っている感じ。
ちょっと5と7が「アスリ」というジャンルということに気がついて、訂正しました。「ムラユ」という言葉は、マレー語で“マレー”という意味で、あまり定義には違いがないですが、民謡だと「ムラユっぽい」というほうが古風な雰囲気が出る感じです。もともと目指すところは新作民謡であると思うので、ムラユっぽいことは大事なポイントではあると思います。
AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 6.0; SLCC1; .NET CLR 2.0.50727; Media Center PC 5.0; .NET CLR 3.0.04506)
以前ほどSitiに対する執着心がないのですが(ちなみに前作は、去年のマレーシア旅行ついでに購入したような感じです)、今作は久々のエスニック・アルバムということで、早速購入して聞きました。
自分の感想ですが、以前リリースしたエスニック3部作(Cindai", "Sahmura", "Sanggar Mustika")と比べると、今作は”エスニックというのに、あまりこだわっていない作風”に感じました。あとSitiの歌唱法も全体的に抑え気味だと思います(エスニック・アルバムなのに、、)。
自分が1番いいなと思った楽曲"Cinta Ini"も”もともとはポップ・アルバム用の曲だったんじゃないの?”、”このアルバムのカラーに合わない(でもSitiの最近の楽曲の中ではいいと思う)”という感じだし、、。あとアルバム最後の2曲(ラテン・アラブ風の。この手の楽曲も好きなので)とM.Nasir作(癖になりそうな曲です)もいいですね。1番の驚きは、ぱっくんが(Pakngah)作の楽曲(最後の2曲の内の1曲)が”らしくなかった”ことです。逆にS.Atan作の曲はつまらなく感じましたが。
以前のエスニックアルバムを愛聴していた人には、一聴の価値はあると思いますよ。
AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)
Ouたさん、入手しましたか。
どうもこのジャンルは、いわゆるマレー民謡をモダンにしたものからそのルーツである中東(ペルシャ・アラブ)なんかの影響を取り入れる試みなどで、拡散している観がありますね。
それにつれて、イラマ・ムラユ→エスニック・ポップとの名称が変化し、今はなんだかあいまいな定義のワールド・ミュージックという感じになっています。
今は、パッ・ンガなんかは「Cindai」のバージョン違いなんかを故意に避けている意図が見えることから察するに新しいエスニック・ポップの模索の段階なのでしょうね。
でも、他のアーティストのエスニック・ポップ曲を聴き比べる限りは、このアルバムは方向性は散漫ですが、新しいものを目指していこうという姿勢は観れますね。
とはいっても、やっぱりシティ自身の歌は、どの引き出しの唱法でいくか、じっくり準備する時間がなかったように聞えてしまいますね。