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13年年前、マイケル騒動 – アサ・ネギシのページ/Music Raja
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マレーシア・ライターの見聞録

13年年前、マイケル騒動

 マイケル・ジャクソン急死のニュースは、当地でも26日朝から大騒ぎだった。

(写真:マイケルの急死を伝える昼刊紙マレー・メール)
 ラジオなどのメディアは、追悼の意を示し、彼のヒット曲をAOするほか、シティ・ヌルハリザ(Siti Nurhaliza)などの地元有名や一般人に電話インタビューするなど、あらためてマイケルの存在の影響力をうかがい知ることになった。
 マイケル・ジャクソンは、13年前の96年10月27日、29日とKLのムルデカ・スタジアムでコンサートを開いている。
 ちょっとその経緯も時代とマレーシア、そしてマイケル・ジャクソンを語るエピソードになると思うので、振り返ってみよう。


 96年といえば、マレーシアを含む東南アジア経済が急成長した時期であり、世界的エンターティナーも新興市場としてプロモーションのために立ち寄る機会が増えてきた。地元の若者たちにとっても自分たちの国が、世界的に流行している音楽や興行にとって、もう無名の国ではないことに自尊心を感じ始めた時期であった。
 ちょっと正確な記憶ではないが、ロック系は大物バンドがKL公演を行なっており、Mr.Bigやデフ・レパード、スコーピオンズなどが、90年半ばから後半の時期に来ていた。
 そんな状況で、マイケル・ジャクソン公演が浮上したのが、96年の9月のことだった。今ちょっと思い出したけれど、ボンジョヴィもこの年の中ごろにマレーシア公演を実現しており、
興行主としてはイケイケの雰囲気にあったように思う。
 そして10月27日にシャー・アラム・スタジアムでの公演が決定。10月7日にチケット前売りが始まったその日に、突然会場を管轄するセランゴール州州議会が会場の使用を却下する決定を行なう。理由は、94年のマイケルによる13才の少年への性的虐待スキャンダルとマイケルの
「衣装、ダンスが我々の文化にそぐわない」こと。
 
 なんか後者の理由は耳にタコが出来るほどの常用句で、以後、繰り返されるマレーシアのパターンだ。ただ、このときは党のテーゼになっているとさえ思える野党のマレーシア・イスラム党(PAS)ではなく、与党が政権を握るセランゴール州州議会だった。ただ、「公演を中止しないでくれ」という投書が新聞に寄せられ、世論形成の一助にもなった。
 マイケル公演が宙ぶらりんの状態が解消されたのは、9日後の16日。内閣の見解として、セランゴール州が会場でなければ、異議なしとのことで、KLムルデカ・スタジアムで行なうことが決まった。2日間公演となったのは、会場のキャパの都合と80%チケット売れていたという事情。シャー・アラム・スタジアムは8万人収容で、当時は日本のどのサッカー場よりも大きかった。
 ちなみに当時のサバルディン・チック観光大臣が、「マイケル・ジャクソン、いいんじゃない」って感じで、理解者代表だった。ポストに長い割には、仕事しているんだかわからない大臣だったけど、この時はちょっと株を上げた。
 でも、9日間もやるんだかやらないんだかわからない状態があって、やっていいよという許可が公演の11日前。会場が日本だったら許されない話。それでもマイケル側は文句のひとつも言わず、きたところが世界的スーパースターの証だったし、当時マーケット新興国がいかに重要だったかを語る話だった。
 あと、自家用ジェットで来マしたマイケルは、トイザラスを貸しきって2時間買い物を楽しんだとか、滞在したスィートで地元の子供たちを呼んで過ごしたとか、まぁマイケルらしい話が伝えられた。ただ、ベジタリアンと称していたマイケルは、タンドリ・チキンを食したという話もあったようだったけど。
 ボクには何の感傷もないのだけれど、スーパースターのごくごく短く、彼の人生には些細なマレーシアとの話を書き留めて置きたかった。
 

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