1月29日、マレーシア・サッカーの最高峰マレーシア・スーパーリーグ、ペナン・チームに日本人初のMリーガー、伊藤壇選手がデビューした。
音楽ライターの看板を掲げているアサ・ネギシは、サッカーのサの字もわかる人間でないことは認めるが、97年から2年間地元邦字紙に象彰二の名で『Mリーグ・ウォッチング』と題したマレーシア・サッカーに関する駄文を寄せていた経歴もある。日本人Mリーガーの誕生に黙っていられる立場でもいられないことをご理解いただきたい次第である。
サッカーのジャーナルとしてではなく、伊藤選手とマレーシア・サッカーに関する現象を伝えていこうと思う。
伊藤壇選手はシンガポール、豪州、香港、ベトナム、タイを渡り歩いたサッカーの渡世人だ。その伊藤選手は、「今度はのんびりとした生活環境のチーム」を望んだ。そして彼が選んだのは、地球の歩き方でみたマレーシアのリゾート地であるペナン島だった。
ペナンは1920年代からの歴史を数えるマレーシア・サッカー界では強豪とは称されないものの、98年、01年にプリミア・ワンを制覇している。最近では01年にFAカップで優勝している。
04年から発足した最上位のスーパーリーグでは、2年目を迎える。昨年は5位の成績で下位リーグとなるプリミア・リーグ入れ替え順位となる7、8位を上回った。今年は、昨年ペルリスを83年ぶりのマレーシア・カップ制覇に導いたノーリザン・バカール監督を迎え、元フロンターレでインド・リーグで英雄となったブラジル人MF、ホセ・バレットが加入し、期待のできるチーム体制となった。また、マレーシアでのプレー歴も長いロシア人ストライカー、メルニコフ、代表チームのキャプテンを務めたことのあるトゥンク・ハムザン・ラジャ・ハッサンなどマレーシアのサッカー界の大物選手を擁する布陣となった。
そういった面々と比べると伊藤選手の加入は決して “鳴り物入り”と称することはできないのも事実だった。
ペナンにとって伊藤選手は未知数の存在であったが、期せずして大津波が伊藤選手とペナンの結びつきを強めた。
チームのテストに合格し、日本に待機していた伊藤選手のもとにペナン島がインド洋沖地震による大津波の被災地となったニュースが伝わった。伊藤選手が今年に入りチームに合流した際にまず行ったのは津波被害者への寄付だった。このニュースにより、ペナン島で伊藤選手の名が知られることとなる。この行為が伊藤選手のデビューをさらに飾るものになるとは誰もが予想しなかった。
そして1月29日(土)地元シティ・スタジアムにサバ州チームを迎えた開幕戦。日本人で初めてマレーシア・リーグのピッチに立った男の劇的なストーリーが始まった。
MFで先発出場した伊藤選手は、6分にゴール。このゴールはスーパーリーグのシーズン・オープニングゴールとなった。
開幕戦は伊藤選手のゴールを含む3-0でペナンは快勝。
マレーシアの試合は午後8時45分と遅いため、翌日の新聞には試合経過を伝える簡略な記事しか載らないが、31日(月)の英字紙スターの最終面(通常スポーツ記事が飾る1面の次に目立つ)に「アリガト・イトー」の文字が踊った。
奇しくも津波被害者への寄付を送った伊藤選手へのファンからの返礼の言葉となった。
そして伊藤選手は、98年のリーグ制覇時に活躍したペナン最高の助っ人外国人メルザグア・アブデラザック(モロッコ)の再来と賞賛され、サポーターの心を完全に掴んだのであった。