やはりマレーシア映画というと故ヤスミン・アーマッド(Yasmin Ahmad)、ジェームス・リー(James Lee)、ホー・ユーハン(Ho Yuhang)らの監督によるマレーシアン・ニューウェーブ(マレーシア新潮)なのだが、このところマレー語を中心にしながらも広くマレーシア人を観衆に取り込めそうなエンタメ作品も徐々に増えてきている感じがする。
マレーシアン・エンタメ映画がこれから本格的な新潮になっていくならば、契機となりそうな作品といえるのが、インド国籍のカビール・バティタ(Kabir Bhatia)監督の第3作目『Setem』だ。
同作は、今年のマレーシア映画祭で映像技術賞など3賞を獲得し、作品賞の最終候補5作にも残った。
とにかく、堅いことは抜きにして、楽しめる作品なのだ。
タイトルの『Setem』とは、切手のマレー語表記。
マラッカに残された世界に一枚しかないという高価な切手をめぐる犯罪アクション作品だ。
ちょっとだけ筋に触れると、孤児院出身のケチな詐欺師のシディ(ラシディ・イシャック、Rashidi Ishak)とジョー(アフドゥリン・シャウキ、Afdlin Shauki)が、孤児院のために切手を盗むことを画策。しかし、彼らの計画は中華系ヤクザの知るところとなり、無理やり手先にさせられてしまう。
また、ムショ帰りのインド系チンピラも友人の警備員を巻き込んで、切手強奪を計画。そこに居合わせたインドネシア人の違法移民や盲目の青年など無欲の人も巻き込んでいき、数奇な宿命を宿した切手の争奪戦が展開される。
アクション・シーンは、拳銃をぶっ放し、クルマをひっくり返し、なかなか派手にやっているのに加え、インド人のカビール監督、ボリウッド(インド映画)風のコマ割りやモーションを駆使して、楽しませてくれる。
これだけでも脱マレー映画なのだが、切手はニセ物であることが分かった後半は、コーンゲームの要素も盛り込んでいる。登場人物たちは、切手の持ち主の英国人が保険金目当ての詐欺をたくらんだことを知り、団結してその英国人をハメ込むところで溜飲を下げさせてくれる。
マレーシアの普通の監督だったらここで終わりなのだが、さらに本物の切手はどこにあるのかというストーリーが続き、さらにもう一度、観客の溜飲を下げてくれるところがカビール監督のうまさ。もうマレー系映画もマレーシア映画の範疇を越え、楽しませる観衆の対象を限定しない作品なのだ。
また、登場人物の使い方もうまい。
アフドゥリン・シャウキを敢えて子分格にすえた事で、のびのびと馬鹿をやらせているのがいい。『15マレーシア』で幼児性欲者を演じていた怪優ブロント・パラレ(Bront Palarae
)による拳銃ぶっ放しだらけの殺し屋も適役。
さらに切手強奪のために内通する警備員を演じたベテラン・コメディアンのサティア(Sathiya)は、古い笑いに属する人なんだけれど、いい味を出させている。さらに偶然切手を手にしてしまう盲目の青年を演じるキュー・ハイダール(Que Haidar)やその姉のバニーダ・イムラン(Vanidah Imran)など、無駄な役にしないところが白眉。
カビール監督は、5組の“愛”が同時進行するデビュー作『Cinta』(06、サイト内記述)で注目され、ひとつの交通事故に居合わせた何のかかわりもない3人のストーリを描いた『Sepi』(08、サイト内記述)と構成の技巧に走った作品を発表してきた。確かにマレーシアでは目新しさは通用するものの、映画通にはもう使われた手法の焼き直しを指摘されることもあるようだ。
しかし、本作は、カビ徹頭徹尾、観客を楽しませる精神により、ール監督の持ち味である映像の良さとよく練りこまれたストーリーも輝きを増した。
さて、本作により、マレー系のみならず、広くマレーシア人を観衆に取り込めそうな普遍性を持ったマレーシアン・エンタメ映画の流れが見えそうだ。
やはり、非マレー系監督のバーナード・チャウリー(Bernard Chauly )の『Gol & Gincu』(05年、07年東京国際映画祭で邦題:『ゴールと口紅』)なんかが始まりのような気がする。同監督は、今年お金持ちとの結婚を狙った女性を描いたストーリーの『Pisau Cukur』公開している。また、今年公開された中華系女性のビジャン・ウォン(Bjarne Wong)監督の『Sayang You Can Dance』もダンサーを目指す若者たちのストーリーで、登場人物も言語もマレー系の枠を超えたものだった。
また、今年のマレーシア映画祭で『Papadom』で監督・主演で最優秀作品賞を獲得したアフドゥリンもマレーシアン・エンタメ映画を語る上で重要だ。
監督デビュー作『Buli』(04)から続編『Buli Balik』(06)、『Sumolah』(07)、『Los Dan Faun』(08)と、初めからマレー系を対象とした作品と一線を画した作風。彼の場合、コメディ劇場の舞台で磨かれた笑いのセンスに加え、ボクがインタビューしたときにも「笑いをローカルにとどめない」と話していたこともあり、マレーシアン・エンタメ映画の担い手として最有力だ。
ちなみにアフドゥリンの新作は、CGが持ち味のKRUプロダクションと組んだ『My Spy』。まだどちらかといえば、マレー・エンタメ映画のKRUプロダクションなんかも、広くマレーシア人を取り込める方に動いていったら映画界も面白くなると思う。