マレーシアに長く滞在しているだけ(恥ずかしくて在マレーシア歴など公言しない)のボクなのだけれど、有名な方々のお役にたつ機会もあって、今年はヘルパー業(?)で少しばかり忙しかった次第。
本稿は、いつもと違って雑談風にいきますので、ちょっとご容赦。
マレーシアでも日本から来る方々のコーディネートをされる方もいて、目的に応じてその道の方が仕事として請け負うのだけれども、音楽・芸能ライターという怪しい肩書きのボクのところには、ビジネスでもない、アカデミックでもない、テレビ班でもないといった目的の方のお世話の話が、たまに着たりする。まぁ、ウン10年もマレーシアにいるからなんかの助けにはなるだろうという感じで…。
今年は、7月に全米進出したジャパメタ・バンド、ラウドネス(Loudness)の30周年ツアーの撮影カメラマンとして同伴なされた松田隆さんにさせていただいた。撮影のロケハンのほか、気がついたらラウドネスのメンバーと地元バンドのMayとかコンサートで共演したSearchのボーカリスト、エイミー(Amy)といった人たちとの会話の仲立役になっていた。(まぁ、ちとばかりマレー語ができるからだけど)
ブログには書いたことはないけれど、ボクの趣味は写真である。なので撮影現場は非常に面白かった。やっぱりプロは、どんな状況でも絵にできる人だと、当たり前のことだけれども、自分の目でみられたのは、貴重だった。
あと、80年代から筋金入りのメタル信者が多いマレーシアは、同じアジアのメタル・バンド、ラウドネス来マのインパクトは大きく、道路際の壁にラウドネスのロゴを描くやつまでいた。奇しくもマレーシア一のハードロックバンドといっていいSearchも結成30周年で、今後もラウドネスとの親交を深めて行く道を探っていたようすだった。
12月には、日本の冒険作家の大御所・船戸与一さんの取材お世話の話も回ってきた。
これもブログには書かなかったけれど(今日2回目)、ボクはマレー芸能の次に好きなのは、冒険小説。船戸作品は、7割ぐらいは読んでいるのである。
船戸さんの取材目的は、現在執筆中の大作『満州国演義』のマレー戦線。(あっ、書いちゃった)日本軍の進軍経路を巡る旅。戦争のことなどほとんど知らないボクは、船戸ファンということだけで、旅に同行したわけで、冷や汗ものだったが…。さらに言うと現代史に同伴した小説を書いてきた船戸さんは、ジャーナリストとしても人後に落ちない人で、そんな方を相手にボクのあやふやなマレーシアの知識を披露すること事態、無謀に近いことだった。
船戸さんは、70年前の戦跡を独特の勘と経験による類推で探し当ていくんだけれども、「見つからなきゃしょうがない」といった感じで、達観していることにも感心してしまった。旅の予定もその場の判断で変更(それも楽なほうへ)。
船戸さんは、「世の中に大事なことなんてないよ」という一言をポロリ。
なんと船戸作品で一番キャラが立っている『蟹喰い猿のフーガ』の登場人物エル・デュロのせりふではないか!。傭兵とかゲリラとか、船戸作品には、信念や流儀を死を賭けてもにこだわるの登場人物が多いのだけれども、船戸さんに近いのは、意外にもエル・デュロだったとは。
エル・デュロとは、ちょっと言いづらいのだけれども、伝説の詐欺師。弁が立ってめちゃめちゃ魅力的な人物なのである。
それはさておきマレーシアの地が描かれる“血沸き肉踊る”船戸ワールドが大いに楽しみだ。
それで、マレーシアにいるというだけで、日本で名を成した方々を身近でみることができた幸運に感謝。それにぬるま湯生活でなまくらになった自分に鞭を振るう機会にする次第である。
あと、アサ・ネギシは、カミングアウトしたように「写真」と「冒険小説」が趣味であるので、これからはそういった話もここに書くつもりだ。(もちろん半分冗談)
肝心のマレーシア芸能の方は、今年はどうもとらえどころがない年で、まとめるのがつらいなぁ。