今回、辺境作家の高野秀行氏のブータン辺境旅行からの帰還(首都への)に
合流して2日半ほどゆっくり話をする機会があった。
私は高野氏の冒険探検の面白さと同じくらい、独特の観察眼と比喩能力の
ユニークさに敬服しているのだが、やはり非常に面白い着眼点と比喩の面白さで
ブータン王国を(愛情も込めて)語ってくれた。
その面白さについては、彼がこれから書きあげる新作(きっと見たこともない
新ブータン論になるはず)に期待して待つのが正しい姿勢だろう。
さて、今回の滞在中にブータンではある噂が流れ、国民の一部(特に子供)が
不安を感じて学校へ出たがらないことを懸念して、内務大臣が公式にテレビで
噂を根も葉もないものとして否定するという事態があった。
この件で私と高野氏は意見がわかれたのだが、私はこの噂をある意図を持って
流されたものであると主張したのだ。
正しいと確信してのことではない。
実は子供のころから愛読している一冊の童話にこれにちょっとだけ
似たくだりがあるからなのだ。
『誰も知らない小さな国』(佐藤さとる著 村上勉絵 講談社青い鳥文庫刊)は
読書好きの母から薦められて小学校の時に読んだ本だが、大人になってからも
文庫で購入し、自分の子供に読ませるために購入した新書でまた読み、と
本当に何回も繰り返して読んできた愛読書の一つなのである。
最初から最後まで読ませ、そしてほっこりと嬉しくなるような本としては、この本と
『夏の扉』(R.ハインライン著 ハヤカワ文庫)の二つが思い浮かぶ。
『夏の扉』はともかくとして『誰も知らない小さな国』は童話ということもあって、
ある時期に読まないとその後の人生で出会う確率の低い本である。
しかし『バッテリー』(あさのあつこ著)が童話の枠を超えて素晴らしいということを
知る方はわかってくれると思う。
このブログを読んだことを縁だと思って、皆さんにもぜひこの本も読んでもらいたいと思う。
私がなぜブータンにこれほど心惹かれるのか、この本を思い出したことで
何かはっきりしたような気がする。
先入観なしで読むのが一番楽しいのだが、下にアマゾンの紹介文を引用することにする。
こぼしさまの話が伝わる小山は、ぼくのたいせつにしている、ひみつの場所だった。ある夏の日、ぼくはとうとう見た——小川を流れていく赤い運動づくの中で、小指ほどしかない小さな人たちが、ぼくに向かって、かわいい手をふっているのを!日本ではじめての本格的ファンタジーの傑作。
(シリーズで5冊ぐらいでていてどれも楽しいのだが、第一巻が白眉だと思う)
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ですます調で、おしとやかな、謙虚な表現をしつつ、
実は何にでもチャレンジするその行動力は健在。
この本ではインドを中心としたカレー食圏を具材やスパイスを通して探り、
歴史や文化の流れまで推察してしまうという野心作である。
しかし、いつものようにカレーを中心とする料理へのチャレンジャーぶりで
読後感は「料理本」に近いというのがおかしい。レシピも多い、面白い本である。
余談だが、この本を読んでいて「私がアジアの友人達と料理の本
(『日本で楽しむトロピカル料理』楽游書房)を作った時は…」という記述をみつけた。
このブログにも時々コメントを寄せてくださるビルマ語の権威D先生が吉田氏と
一緒に作った本のことだ。
ということは…『カレーなる物語』の奥付前を見ると『図版提供者』にしっかりと
D先生の名前がクレジットされていた。
D先生も吉田氏と同様、というかビルマに飛び込んだ経緯から考えて(笑)、
それを上回る行動力をお持ちである。
二人のSuperなヤマトナデシコが協力して作った料理本とはどんなものなのか
非常に興味がある。
短期集中連載
続・トルコのもう一つの顔 一挙50枚掲載!
漂流するトルコ(1) 小島剛一
みなさんにもぜひ手にとっていただきたいと思う。
私もすでに注文した。
『トルコのもう一つの顔』もまだの方はぜひ。
11月13日に彼の冒険ノンフィクション2大傑作のうちの一冊、
「西南シルクロードは密林に消える」が講談社から文庫化されたのだが
出国審査前のエリアに三軒ある他の書店では全く見かけなかったが
(売れたのかも?)、三省堂ではしっかり平積みになっていた。
氏の公式ブログ「ムベンベ」によると、文庫化にあたって20枚もの
原稿を追加したそうなので、単行本はすでに持っていたが購入することにした。
飛行機の中で読み始めると、ゆったり落ち着いた出だしから、ミャンマー入国あたりから
加速がかかり、一気にその世界に引きずり込まれる…その快感といったら。
すでに一度読んでいるにも関わらず、全く未知の世界に連れて行かれたような
読後感であった。こんなに面白かったっけ?というのが正直な感想。
この本も好きだが、個人的には「アヘン王国潜入記」のちょっと切ないところを
強く愛していたのだ、しかし…これは本当に甲乙つけがたい。
大変な大冒険にも関わらず、いつもの高野調でユーモアにあふれた文体で書かれているため
本当に大変なことをやっているような気がしない。
それは少しやばいのではないか?という気もした。
先日、早稲田祭で高野氏ら3人のOB作家を招いた「早稲田探検部50年史」という
DVDの上映会とトークショウが行われて、現役部員9人のうち、5人が高野氏の
本を読んで探検部に入部したという話を聞いたのだ。
「西南シルクロード」でも「アヘン王国」でもどちらでもいいが、あとがきを
よく読んでみるといい。高野氏を助けたり関わったゲリラ兵の決して少なくない
人が暗殺されたりしているのである。
読み口の良さに釣られて甘く見るとやけどをする。
そしてそのやけどは死に至るやけどかもしれないのだ。
甘美な死かもしれないが…
グレートジャーニーの探検家、関野 吉晴氏が解説(帯)でこう書いている。
「高野秀行の旅にはテレビカメラはついていけない」
最高の賛辞ではないか。ぜひ手にとっていただきたい。
*その高野氏が聞き手にまわった馬鹿野郎どものドロップアウト対談集「放っておいても明日は来る」(本の雑誌社)が発売になりました。
私も相棒の太郎氏(金澤聖太)も対談相手として登場します。
太郎氏は相当嫌がっていますので、私も読むのが楽しみです。
自分以外の人の話はまだ読んでいないのですよ(笑)。
吉田氏は化学者の目と、主婦としての感性を持ち、
好奇心旺盛に海外の野菜や果物を取り上げている。
育ちの良さを感じさせる読みやすい優しい文体もさることながら、
食材に大胆に取り組む(料理する)その姿勢がすばらしい。
熱帯作物(食用)を説明する上で実際に料理し、食している
吉田氏に優る案内人はいないだろう。
個人的には「香辛料の民族学 カレーの木とワサビの木」が
お勧めである。
カレーの木?もちろん実在する。
カレー味ではないけれども。
マレーシアでは普通にスーパーで売っているのだ。
多様な動植物が生きるアマゾン川流域の世界。そのユニークな生態や川の表情と、自然環境に適応しつつそこに生きる人たちの生活を、長年ブラジルでの現地調査を重ねてきた著者二人が語り、同時に環境を破壊し、人々の暮らしを脅かす開発や経済のあり方を指摘しながら、未来に向けて日本そして世界は何をすべきかを問う。
おそらくリオの環境サミット開催を踏まえて出版された本なのだろうし、
私もサミットに影響を受け、「環境問題も大事だな」という感覚で入手したのだろう。
この本も以前紹介した開かずの事務所に眠っていた蔵書の一つで、
他の本には付箋がびっしりついているものも多かったのだが、
この本の付箋はたった一つだけ、しかもあとがきについていただけだった。
(再読してみると、示唆に富んだとても面白い本だったのだが、当時の私には
それを感知する知識がなかったのだろう)
さて、6行にわたってマーカーが引かれた付箋つきの部分を引用してみよう。
自然保護のために「環境スワップ」と呼ばれる方法が注目されている。発展途上国に対して、膨大な対外債務の一部を棒引きする代わりに、同額分の自然保護政策を求める方法である。しかし、アマゾンの問題を考えるとき、この方法では長期的な問題解決にはならないように思う。「環境スワップ」には、先進国の押しつけがましい奢りが潜んでいないだろうか。これでは、ブラジルの側に、自主的に自然を守ろうという心や責任は生まれてこないように思う。
(P.220)
これは先日当社の主催したセミナーで演者の足立さんが紹介していた
アメリカが30億円ほどの債務を棒引きにするというインドネシアの実例とぴったりである。
マーカー引きまでしていたのに、ちっとも覚えていなかった自分のうかつさに驚く。
しかし、その後に鉛筆で私はこう書き込みをしていた。
「てっとり早い方法として意味はある」
私は大変いいかげんな人間だが、
案外首尾一貫したところもあるのかもしれない…
昔の自分に勇気づけられることは多々あるのだ。
氏の著作はトルコにはいないことになっている少数民族の
無いことになっているトルコ語ではない言語を求める旅の記録だ。
トルコ政府の単一民族単一言語政策で、自分たちの出自や
自分たちの言葉を公に話せない人達を訪ねての旅は、時に危険なものとなる。
警察に拘留されたこともある。
そのスリルとトルコの人々との温かい交流が読みやすい文章で
綴られている一級のノンフィクションだ。
抜群に面白いので一読をお勧めする。
それにしても、フランス在住40年以上になる小島氏が
たまたま日本にいらしたのに遭遇出来て運がよかった。
その夜は鍋をつついて夜も更け、結局3人ともお泊りになったのだが
私と相棒のいびきに布団を隣の部屋に移してお休みになったらしい。
翌日の東北行きにさし障りがなかったことを願うばかりだ。
屈強の旅人も他人のいびきは苦手らしい。
この二作はジュニアミドル級*世界チャンピオンの輪島功一に密着して書いた
スポーツドキュメンタリーの傑作として読まれた方も多いだろうと思う。
そしてこの2作を読めば、テレビでへらへらしながらくだらない冗談を言っている
輪島功一が実はどんなにすごい男かに圧倒されてしまうはずだ。
著者の沢木耕太郎が輪島にどんどん魅了されて行く様が、そして読者ともども
動的なカタルシスを得るまでが描かれるのが「ドランカー <酔いどれ>」。
その輪島の無残な敗北に対する疑問が解き明かされ、さらに輪島功一という男に
心底感動する静かなカタルシスを得ることができるのが「コホーネス <肝っ玉>」である。
最近よく見られるチンピラ的な挑発行為や発言をしなくても
本当に強い男はどんな男かがよーくわかる作品だ。
だまされたと思って読んでみてほしい。
「輪島功一」を見る目が変わること請け合いである。
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* ちなみに輪島功一の階級、ジュニアミドル級(現在のスーパーウェルター級)は
69.853kg以下という身長170センチの輪島功一には信じられないほど重い階級であり、
これまでの日本の世界チャンピオンのほとんどがバンタム級53.524kg以下であることを
考えると、非常に特異なことだと思う。
しかも防衛回数6回、2度の防衛失敗後も2度返り咲いている。
輪島より重い階級の世界チャンピオンはミドル級72.575kg以下(これもすごい)の竹原慎二
(身長186センチ)しかいない。(残念ながら一度も防衛はしていないが、それでもすごい)
こわもてのガッツ石松(身長172センチ)が三階級下のライト級61.235kgということでも
輪島功一のジュニアミドル級チャンピオンという特異さが理解できるだろう。