今回はマレー映画のコーナーでVCDのリビューを。
国内映画界は、先月に公開されRM200万の興行成績を記録したヤスミン・アーマッド監督の『Sepet』(セペッ)に話題が集まっている。
本作はの海賊盤VCDの売り子の中国系ジェイソンとマレー系少女オーキッドの10代の純愛を描いた作品だ。メディアでは、異民族間の恋愛を描くことでマレーシアの民族調和を象徴している点が切り口になっていたようだ。
タイトルは中国系の細長い目を現したマレー語。言語もマレー語、英語、広東語、福建語が入り混じる。
ストーリーは、イポーの街が舞台。VCDの売り子の中国系のジェイソン(ン・チューセン)が中国映画のファンであるオーキット(シャリファ・アマニ)に一目惚れ。やがて二人の距離が縮まり、事件があり、誤解が生まれ、鬱屈した時を重ね、そして英国留学に旅立つオーキットが自分の気持ちに向かい合う瞬間を迎えるまで淡々と進んでいく。
ストーリー自体はまったくひねったところもないが、主演の新人二人の初々しさに引き込まれていく。まぁ、二人ともパッと見で美男美女ではないところが隣国インドネシアの大ヒット作『Apa Ada Dengan Cinta(邦題:ビューティフル・デイズ)』との違いだが、とにかくひたむきさが伝わってくる。観ているうちにいい顔になっていく。
純情といってもジェイソンの方は、ヤクザにみかじめ料を取られたり、仲間が喧嘩でやられたり、とストリート人生を送っているのだが、詩が好きでオーキットに一途な思いを抱き続ける。なんだか書いていると矛盾しているように聞こえるし、日本人的には「いそうもない」キャラクターだが、当地にいると奇異には感じないのだ。恋愛になるとコロッと純情になる男が多いよなぁ。こっちには。
オーキットの方は、モダンで闊達だけどもいつも民族服のバジュ・クロンを着ているように保守的な価値観を持ち続けている。マレー系の男友達にキスを迫られても一線を簡単に越えさせないような、どこにでもいる10代の女の子だ。
そんな二人が食事をしたり、写真を撮ったりする情景や交わす会話もマレーシアの等身大の10代。それでもお互いの気持ちを正直に表現できないまま進んでいく。
ある夜、みかじめをせびるヤクザが、ジェイソンが自分の妹を孕ませたことを知って怒ってジェイソンに詰めより、大きな抗争にまで発展する。難を逃れたジェイソンは、オーキットに手紙で告白する。オーキットは、ジェイソンを一度は心の中から追い出そうとする。
やがてオーキットに英国留学に旅立つ日がやってくる。ジェイソンは手紙を託すが、オーキットは心の扉と同時に手紙の封印も解かないまま空港への道を進む。
結末は、あるようでないようなものだということだけ記しておこう。
ちょっと二人の純愛の姿は、年齢が彼らよりも2倍ぐらいに近づく観客(まぁ、ボク+5歳ぐらい)には移入できない世界だが、イポーの雑踏や風景が醸し出す詩情の美しさは堪能できる。
また、オーキットと同居している個性的な両親と叔母の役には大物ががっちりと固めて、奇妙だが、優しく温かいマレーシアの家族を好演している。また、ジェイソンの家族も気が強く、父親と喧嘩が耐えないペラナカンの母親(マレー化した中華系)が最後には一番の理解者であるのだ。
中国系とマレー系の恋愛を描いたことが切り口となっているが、やはり宗教や文化の価値観の違いといったレベルまで描ききってはいない。このテーマでは、『Spning Gasing』という先例があり、二つの民族の決定的な違いを内面までえぐったが、本作はそこまで描くことが狙いではないようだ。まぁ、違いはあるけども後で解決すればいいや的なマレーシア人のおおらかさの方がテーマのようだ。
本作は、マレーシア人ならばだれでも少しは抱いたことのある異民族の友人への好奇心やほのかな憧れを描いたところに魅力がある。また、口さがないが2人を温かく見守る家族と友人の姿は、自分もこういうマレーシア人であるべきだという姿を反映しているところが人々をひきつけているのだろう。
ラストシーンでオーキットの母親(イダ・ネリナ)が「(ジェイソンは)娘に適当ではない」といった夫(ハリス・イスカンダール)の台詞に「その言葉は私の父親があなたについても言った言葉よ」と言い返す。
実に純愛ストーリーのツボを押さえた台詞ではないか。
『ビューティフル・デイズ』を超えたとは言わないが、マレーシアのならではの風土と人が生み出した切ない青春の一幕を描いた傑作だ。
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ちょっと面白そうですね。探してみます。
いつもバジュクロンを着た少女。。。
いいですねー(10代のときにこっちきてたら、また違った交流のしかたができたかもしれない。。)
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この映画の面白かったところは、これがアメリカ映画だと、「ふとしたことで知り合った白人の男性と黒人の女性が、人種的な違いを乗り越えて恋に落ちていく」という内容になりがちなのにたいして、お互いにい人種に対するフェチをもっていて、それが、それなりに周囲にも理解されているところではないでしょうか?マレーシアもシンガポールとあまり変わらないという前提でいうと、とてもリアリティがあります。テーマが初恋なのもフェチありきで大人の恋を描くと、ちょっと汚くなってしまうからかもしれません。これが初恋であることで、甘酸っぱさひとしお、といったところになるのでしょう。
東南アジアのような多人種国家では、ある種必ず通過する場面なのではないでしょうか?
「マレーとかって、正直意識したことさえなかった」というジェイソンの友人の発言に見られるように、マレーシアやシンガポールの人種間のコミュニケーションの実態を描きつつ、理解のある両親を配置することで、人種問題にあまり偏らず、あくまである形態の恋愛物語としてストーリーを描いたところに、この映画の美しさがあると思います。