3月にマレーシア、プリミア・リーグ(2部)ジョホールと短期レンタル契約した石田博行選手(MF、27歳)は5月9日、ラストマッチとなるペナン・NTFA(ニボン・タバルFA)とホーム、ラーキン・スタジアムで対戦した。ちなみにラーキン・スタジアムは、97年フランスW杯アジア第三代表決定戦の会場となり、“ジョホール・バルの歓喜”の舞台として日本サッカー・ファンの記憶に留められている場所だ。
ジョホールは来季のスーパー・リーグ(1部)チーム増加にともなうプレーオフ進出(2位〜4位)をかけての大事な戦い。石田選手も契約による義務はないものの、チームの重要な時期を憂慮してチームに居残る形となった。
ジョホールはペナン・NTFAに対し、今季2戦とも0−0の引き分け。ペナン・NTFAは今季2勝で長く最下位に甘んじているチーム。勝率でもプリミア・リーグ、最弱。ジョホールにとっては実力差を考えれば、勝ちあぐねてきたといっていいだろう。しかしなららジョホールは今季10ゴールのシンガポール人FWアーマッド・ラティフが出場停止処分で臨まなければいけなくなった。
石田は日程の関係でジョホールは2戦連続で明らかに戦力が違う首位ケダとのアウェイでの2戦(4月26日と5月6日)でも右サイドから切れのいい動きを見せていた。4月26日の試合は0-3で敗れたものの、5月6日の試合では2点先行された後半に右サイドから見事なクロスで得点機を演出している。
試合はジョホールが攻勢。終始、ペナン・NTFAのゴールを脅かすが、精度を欠いた。アーマッド・ラティフ不在の影響が顕著に顕れてしまった。雨上がりのぬかるんだピッチでは、1対1に滅法強い石田も技を封じられ、前線へのパスの供給役に徹する。
後半に入ってもジョホールにとっては決定機を逃し続け、焦燥の長い時間が経過して行く。同時に石田にとっての最後となるマレーシアの時間も、ただ苛立ちのときを一刻一刻と刻んでいくのみ。石田が動いたのは87分、右サイドからドリブルでペナルティー・エリアまで切り込み、身を挺してパスを送り出すが、得点にならず。
無常にもその2分後、自陣ゴール前で与えたFKからペナン・NTFAは得点。
試合を支配し続けてきたジョホールは、89分、たった1本のFKで沈んだ。
プレーオフ進出の直接のライバルである5位サラワクは勝ち点で2差だが、日程の関係で残り試合はジョホールの1試合よりも2試合も多い3試合。ジョホールにとっては痛すぎる敗戦だった。
石田は最後までピッチにとどまり、負傷した右手をかばい、左手で関係者、相手味方かまわず選手に握手し、マレーシアに別れを告げた。
石田選手は契約の調整を行うために試合の翌朝早朝の便で所属チームのあるパースに飛んで行った。
目指すはJリーグの復帰。シンガポール、豪州、そしてマレーシアと歩んできたキャリアが母国で輝いてくれることを願うばかりだ。