一昨年から佳作ラッシュが続いているマレーシア映画界だが、注目の作品が公開直前にて憂き目に逢っている。
その注目の作品というのが、アミール・ムハマッド監督の『Lelaki Comunis Terakhir(最後の共産主義者)』と言う作品だ。マラヤ共産党のチン・ペン(陳平)書記長を描いたドキュメンタリー&ミュージカル作品というからどんな作風か想像できないのだが、いまや東南アジアで一番厳しくなってしまったマレーシア当局の検閲はノーカットで通ったらしい。またベルリンで初上映されて以来、ロンドン、ミュンヘン、アムステルダム、香港、シンガポール、インド、バンクーバー、シアトル、ロサンジェルス、ブエノス・アイレスなどの映画祭でも上映された作品だ。
同作はチン・ペンの半生をマレーシア(マラヤ連邦)独立57年まで関係者のインタビューでつづるものだという。チン・ペン自身の映像やインタビューは実現しなかった。暴力や性描写はなく、検閲でもU指定(全世代視聴可)を取得した。アミール監督は作品を通してマラヤ独立に対するもうひとつの見方を描きたかったと言っている。
同作は18日から公開する予定だったが、10日になり内務省から上映を禁止する旨が伝えられたと言う。
アミール監督は上映禁止の背景として、マレー語有力紙『ブリタ・ハリアン』が同作の上映について好意的でないコメントを掲載した一連の記事が元になっているとして、英字紙『サン』に反論の声を上げている。
以下、ざっとブリタ・ハリアン紙が掲載した批判の内容を羅列していこう。
−「チン・ペンを英雄化することは適切でない。われわれはもっと信頼できる人間から学ぶことが出来る」
−「チン・ペンへの憎悪は深く、上映を禁止すべき」
−「共産主義者の犠牲になった人々の心を傷つける」
−「共産主義者と戦った当事者の怒りを買う」
−「新世代の監督はマレー民族のために戦った愛国者にもっと注目すべきで、作品がプロパガンダとなって共産主義者がいまでも勢力を盛り返す危険があることを語るべきだ」
−「チン・ペンではなく、オン・ジャーファーやラーマン(初代首相)のように本当のマレーの英雄を描くべきだ」
−「作品には戦争の場面やチン・ペンの映像がないとしても、チン・ペンの精神と人柄はいまでも生きている」
「もっと違う人物を描くべき」という批判のコメントは芸術や表現の自由自体をわかっていないマレーシアの悪しき風土だと思うが、それ以外の意見からは意外にチン・ペンとマラヤ共産党の記憶が風化していないことを物語っているように思う。
マラヤ共産党は第二次大戦前からルーツを持ち、48年反英闘争に立ち上がっている。マレーシアの国家記念碑は、他の東南アジア諸国と違い、共産主義者と戦う戦士をモチーフとしたものだ。(マレーシアは武力行使なしに独立した)共産主義者との衝突が終結したのは89年。欧州とソ連で共産主義が終焉に向かって歩みを速めていた時期で、つい最近のことである。
そしてチン・ペン存命で、タイ南部に潜伏している。彼の自伝も出版され、マレーシアでも読むことは出来る。また、チン・ペンはマレーシア政府に帰国のためのビサ発給を求めている。(個人的にはこの辺の情勢が内務省を渋らせていると思うのだが…)
さて、アミール監督が指摘しているのは、ブリタ・ハリアン紙の誰も彼の作品を観ていないどころか、インタビューにも着たことがないことに憤っている。この辺の表現者への風当たりの悪さはもう前近代的と言うしかない。マレーシアは様々な人々がいて、様々な価値や見方があることを是とする成熟した社会でないことをまた知らされる出来事だ。
現在のところアミール監督はライス・ヤティン芸術・文化・伝統大臣が禁止処分の見直しを求めており、同大臣による内務省への働きかけが公開の鍵になる模様。
政治的なことはさておいて、ドキュメンタリーなのにミュージカルと言う部分が気になる。早く見せてもらえないのだろうか。