明日から06年FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権(APRC)の第5戦マレーシア・ラリーが、ジョホール・バル郊外コタ・ティンギ地区で行われる。
なんで色めき立っているというとかつてマレーシアを沸かせた熱い一人の日本人が凱旋するからだ。
異色のラリードライバー田口勝彦である。
田口は20代から国際ラリー・ドライバーを目指し、95年から海外を拠点に経験を積んできた。まだ中田英寿もイチローも海外に出る前の時代であり、日本人プロ・スポーツ選手が世界に通用することが一般には認知される前のことである。「レースなんてみんな海外に参戦しているじゃないか」といわれるかもしれないが、田口は国内ラリーをすっ飛ばしいきなり海外に出た。
当時の日本のラリーは最高峰の世界ラリー選手権(WRC)の開催もなく、そしてなによりも試走ができなかったり、速度制限があるなどルールが世界の標準と大きく異なるものであった。言ってみれば、“日本はラリーのようなもの”しかなかったわけである。サッカーや野球などのプロスポーツが日本と海外でレベルは違うだろうが、ルールまで異なるということはない。そう考えてみると田口選手が夢見たものの大きさと選んだ道の厳しさが想像できると思う。
田口は97年から02年まで滞在し、96年からマレーシア・ラリー選手権グループN
3連覇で頭角を現した。99年にはAPRCでグループNと総合ダブル・チャンピオンを獲得。マレーシアのラリー・ファンにも愛称である“KATSU”の名は深く記憶に刻まれている。
今回、田口選手は「チームMRFタイヤ」所属で三菱ランサー・エボリューション・グループN仕様で出場する。MRFタイヤはインドのタイヤ会社。タイヤが勝因を決める大きな要素である現代のレースにおいて決して評価が定まった製造者ではないことは確かだが、田口はタイヤの持てる性能を最大に引き出して善戦している。
今季は第2戦のニューカレドニア・ラリーで優勝。前戦の北海道ラリーでは3位に入り、総合ランキングはコディ・クロッカー(オーストラリア/スバル・インプレッサ)の48ポイントに次ぐ30ポイントで2位。コースとなるプランテーションの路面、酷暑、そして変わりやすい気候などのコンディションを知り尽くしている田口選手には、マレーシアは日本よりもホームの利が期待できそうだ。
ボクもマレーシアで開花した田口勝彦の才能が大輪となるのを目にしたい。アジアが世界を変える日をみたい。
田口勝彦:公式ホームページ
観戦情報:マレーシア・ラリー公式ホームページ
ブログ内過去の記述:05年7月26日(こちら)