やっとこの作品について書くことができる。
今年マレーシア映画祭で最優秀作品賞を受賞したヤスミン・アーマッド監督の『Gubra』である。同作は昨年の東京国際映画祭でアジアの風部門最優秀作を受賞した『Sepet(邦題:細い目)』に続き、オーキッド(シャリファ・アマニ)が登場する作品である。ちなみに同映画祭でプリミアとなるヤスミン監督の最新作『Mukhsin』は、オーキッドの初恋を描いた作品であるそうだ。
また本欄の記事にもあるように東京国際映画祭は、ヤスミン監督の全作品が上映される注目ぶりとなっている。
さて、やっと『Gubra』を観ることができた。今年4月に劇場公開されたのだが、2週間ほど日本に一時帰国していた折に当地での公開が終わってしまっっていた。その後、海賊盤には手を出さず、ビデオ化を待っていたので、やっと観賞するに至った次第なのだ。
結論から言うとマレーシアのマレー人監督作品としては、最高傑作ではないか。
ボクは、『Sepet』に関して絶賛はしなかった。というのも“異人種”と“恋愛”という2つのわかり易い切り口のキーワードが組み合わされて、“純愛”というエッセンスを加えれば、ある程度目を惹く作品ができるからだ。もちろん、『Sepet』は方程式以上の魅力を持っている作品だが、ちょっと異人種の生きる世界の描写が説明的である部分やジェイソンが死んでしまうことを示唆する紋切り型のエンディングは、個人的には監督が本領発揮した感じでなく、好きではなかった。
さらに昨年の東京国際映画祭は、受賞理由について「本作は他民族が生きている現実をリアルに描いています。マレーシア映画史上、画期的なだけではなく、共に生きていく、という世界的課題にひとつのビジョンを提示してくれたという点で高く評価しました」、としている。
ボクは、この審査評に忸怩たるものを感じる。ヤスミン監督はどう考えているかはわからないが、彼女が「共に生きていく、という世界的課題にひとつのビジョンを提示」なんかしていないと思う。多民族間の共生なんて、そんな生易しいものではない。こんな評価では、一昔前の“香港映画といったらカンフー・モノ”といった道と同じように“マレーシア映画といったら多民族モノ”といった固定観念ができてしまわないかと懸念の方が先にたってしまう。
さて、前振りばかり長くなってしまったが、『Gubra』は『Sepet』のようなわかり易いキーワードも、食指をそそるエッセンスもない。観る者に考える要素も与えず、ただだた感じさせることに終始している。簡単に言えば、不親切でわかりづらい作品だとが、人間と人生に対する深い慈愛がなければ描けない作品だ。それだけに『Sepet』の見当違いの評価を監督自身が『Gubra』で吹き飛ばしてくれたことに正鵠を得た感じがする。
同作は、結婚したオーキッド(シャリファ・アマニ)と場末の娼婦のストーリーが平行して進んでいく。両者は、決して交錯することなく、別々の映画を交互に見ている感じだ。ただそこにあるのは、両者を襲う「悲しみと怒り」、そしてマレーシアという共通の舞台しかない。しかし、両者が共鳴しあってしみじみとした情感を残してくれる。
あらすじは、こんな感じだ。個人的には観る前の人に話してしまっても、興を削がないと思うので書く次第だ。不要な方は読み飛ばして欲しい。
英国留学後、結婚し、中流の生活を送っているオーキッドは、父(ハリス・イスカンダー)が倒れたことを知り駆けつける。父親が入院した病院には、かつての恋人で故人となったジェイソンの父親も入院しており、ジェイソンの兄であるアランと知り合うことになる。そして偶然にも夫の不義を見つけてしまう。
そして家を出たオーキッドを迎えたアランは、「見せたいものがある」とオーキッドに打ち明ける。
一方のストーリーは、子連れのテマとキアの2人の娼婦を巡る。テマは、血液検査を受けるために診療所を訪れ、その結果に悲嘆の涙を流す。テマとキアの隣人であるイスラム聖職者の夫婦は、コーランを詠むことを教わりたいという2人を温かく接する。
ある日、テマはポン引きの男に襲われ、財布を奪われる。その財布を取り戻してくれたのが、隣に住む聖職者の夫であった。テマは町を去ることを決意するが、キアはポン引きの男の復讐の餌食になってしまう…。
二つのストーリには、クライマックスもなく、帰結さえもない。登場人物の善悪など描いて、観る者の溜飲を下げるようなこともしない。さらに両者のその後も描かれず、両者を襲った悲しみの余韻が残るだけだ。ただ、映画のクレジットが流れた後、オーキッドがどちらを選んだかがわかる描写がある。個人的には、『Sepet』でジェイソンが死んだことを示すのと同様蛇足だと思うが…。
ただひとつだけ同作から読み取れるものは、“祈り”なのだ。
悲喜こもごものそれぞれの人生に力を与えてくれるもの、許しあうことに必要なものというメッセージが込められている。
映画が嘘臭いストーリーで一時の安っぽい清涼を得るだけのものに堕してしまったことに同作が冷や水をかけてくれたことに喝采を贈りたい。増して“文化の汚染者”のレッテルを貼った当地の頑迷な文化人に敢然と立ち向かったヤスミン監督を絶賛する。
ちなみに視点はずれるが、同作は“『Sepet』ワールド・ファン”も楽しめるシーンが満載だ。前作から引き続いて登場するオーキットの両親やジェイソンとアランの両親のキャラは健在。情緒あふれるロケーションやカット割が少ないカメラワークも楽しめる。
また、ヤスミン監督、男性の俳優はみんな上半身裸にさせるし、いちゃいちゃベタベタのスキンシップもお好みのようだ。地元文化人はこの程度の描写でじくじく非難しているレベルなのだ。
今回ビデオ化でパッケージに大きく“Sepet2”と謳われてしまったのは、カネ儲けの意図が見えてちょっといただけない。また、英語字幕が入っていないのが残念。
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はじめまして。
国際映画祭06でGUBRAを観ました。
同時にヤスミン監督の作品を幾つか続けて観たのですが、それぞれの作品が共鳴していて、さらにQ&Aで監督のお話を聞くことができより深く内容を(自分なりにですが)理解することができました。
あまりに心に残ったのでマレーシアのサイトでSEPET(DVD)とGUBRA(VCD)を買ってしまいました。やっぱりGUBRAには英語字幕がないのですね。
残念。マレー語(世界で簡単な部類の言語と言われている)を習おうかとも考えました(笑)
それでは。
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えぬさん、はじめまして。
映画祭に行かれた方からコメントをいただけるとは、嬉しい限りです。
でも、どうして「Gubra」のVCDには、英語入っていないのでしょうね。DVD化したときには、入るのでしょうか。
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こんにちは。
マレーシアではDVDよりもVCDの方がポピュラーと聞きました。(実際にそうですか?)なので「GUBRA」はDVDが出ないかもしれませんね。
もし出た場合はぜひとも英語字幕を入れてもらいたいです。
映画祭では「Mukhsin」「Rabun」も同時に観ました。
一連の作品は、実際の監督のご両親の姿をもとに家族像が作られ、やはり祈りと許しあうことの大切さを表していると仰っていました。
言葉ではないメッセージをじんわり感じたような気がします。
英語字幕のDVDが出た場合はぜひともこの掲示板でお知らせください。
よろしくお願いします。