伊藤壇選手からマレーシア・リーグでプレーするという知らせをもらったのは、今月11日のこと。すこしローカル・サッカーから遠ざかっていたので、すっかり伊藤選手がマレーシアのチームと契約したのかと早合点してしまった。
そうマレーシア・リーグの特長であり、伝統は、ブルネイを含む2カ国体制であること。今季のリーグ改革により、最高峰のマレーシア・スーパーリーグ(MSL)昇格したブルネイは、MSL参加チームを最強のチームをDPMM FCに指定。伊藤選手は、所属のQAF FCを昨季優勝に導いた活躍を認められ、DPMMにレンタル移籍した。
話はそれるが、QAFは世界一の富豪であるハーセナル・ボルキア国王の甥が所有するだけでなく、プレーするというチーム。DPMMの方は、国王の皇太子のチーム。サッカーの渡世人伊藤選手は傭兵稼業のようなもので、生きている時代はこそ違うが、現代の山田長政ではないか。
その助っ人伊藤選手が背負っているのが“10”番。一国を代表するチームの司令塔が日本人。こんな快活な話はないではないか。
その伊藤選手が、05年ペナン所属時以来のマレーシアのピッチに帰ってきた。
12月23日は首都圏人気チーム、セランゴール戦。知り合いの日本人に声はかけたものの、誰も見かけなかったぞ。クリスマスの週末とはいえ、こんな快活な男の生き様を見ないのは損ではないか。
まぁ、義理堅い(あくまでも自動車でいける範囲だが)アサ・ネギシは、シャー・アラム・スタジアムへ足を運んだのだった。