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オルタナ・ロックButterfingersの新作『Kembali』 – アサ・ネギシのページ/Music Raja
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マレーシア・ライターの見聞録

オルタナ・ロックButterfingersの新作『Kembali』

 このバンドとはデビュー以来の付き合い(といってもリスナーとしてだけだけど)なので、ケリをつけなければ…。

 オルタナ・ロックの重鎮Butterfingersの6作目となる新作『Kembali』がリリースされた。
 デビュー以来、長年サポートを受けてきたEMIを離れて、自身のレーベルからの再出発となった。しかし、気のないというか、安っぽいと言ったら悪いから、シンプルなデザインのジャケットになった。


Butterfingersは、96年『1.2 milligrams』でデビュー。3作目の『Transcendence』までは、ロック界のみならず、時代を席巻したグランジ・バンドNirvanaの心酔者として、「(94年に自殺した)カート・コバインがまだこの世にいたらこんな曲を作るに違いない」と思わせるサウンドを作ってきた。
 当時はマレーシアでもスタイルが新しければなんでも“オルタナ”と称していた中にあって、彼らは荒ぶる魂のパンク的爆発という本質を見誤らないでいたと言う点で本物のバンドであった。
 01年に発表した4作目『Malayneum』では、Nirvanaからの脱却も進み(本人たちは否定しているが)、予定調和的な方向から展開とサウンドに多彩さを備えるようになってきた。内省的な鬱屈と感情的な爆発という陰陽的な濃淡が、Nirvanaの模倣ではなく、彼ら独自のグランジを体現しており、個人的にマレーシアのロック史上、最高の作品のひとつだと思っている。強いて似ているバンドを挙げるならば、Sonic Yuothのような感じのアルバムだ。
 04年には、Pop Shuvitの日本盤リリース元であるバリスティックから1作目から3作目の曲を集め、The Butterfingers名義の日本盤がリリースさせれるが、 “カート・コバイン後のNirvanaサウンド”といった文脈の紹介のされかたであり、日本では彼らの現在が紹介される機会に至ってはいないのが残念だ。
 04年の後半には、5作目にして初めて全編マレー語アルバムとなる『Slamat Tinggal Dunia』がリリースされる。この作品では、演奏がラフで歌とコーラスの音が外れようとまったく気にしていないところだけがグランジ的なだけで、今まで彼らに張られ続けてきたレッテルをすべて拒絶するような実験的な匂いがするサウンドになった。なんだかヒネクレ者の彼らの知的ゲリラ戦術にハマったままで、正直言って今でも“彼らのサウンド”としか形容できない。
 さてそんな煮えきれない気分のまま、この新作『Kembali』を聴いている。彼らにとっては2作目の全編マレー語アルバムである。うーん、とうとうロックも捨ててしまったのかと思わせる作品だ。
 タイトル曲の「Kembali」や「Maharani」、「Terus Terang」のコマーシャル的なキャッチャーさ、もうすでにロックともいえない曲調の「Bebas」、「Merdeka」、「Mati Hidup Kembali」など、型にはまらない、と言うかリスナーの期待を裏切ることを自分たちの役割を任じているように思える。
 それでも「Air Liur Di Kuala Lumpur」、「Lengkap Semula」、「Gelonbang Cinta」、「Mendaki Menara Condong」といった曲でスクリーモやエモといったジャンルに通じる耽美的なボーカルが入っているところは、彼らも時代やロックから歩みを隔絶させていないことも感じる。また、「Mendaki Menara Condong」の実験性や味付けは、前作『Slamat 〜』の路線の踏襲も感じる。
 なかなかみえづらいのだが、「Lengkap Semula」や「Gelonbang Cinta」で彼らがグランジから受け継いだ内省的なサウンドとマレー・ポップの特徴のひとつである叙情性が融合している気がする。アルバムのタイトル“Kembali”とは「帰着」という意味。彼らが帰着したのは、案外今まで省みなかったマレー音楽なのかとも思わせる。
 関係ないけどアルバムの冒頭の「Joget Global」と「Kembali」は、沖縄音階にも似ているガムラン音楽で顕著なマレー民族の音階で作っているところなんかが面白い。
 このバンドとケリをつけなければいけない、と言ったが、前作『Slamat 〜』と本作の捕らえどころのなさに、まだ多くの言葉にできないもどかしさを払拭できていない。ただひとつ彼らが「こんなバンドみたことない」という稀有な存在をさらに顕著にしたとだけは、断言できる。

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