ちょっと心にぽっかりと穴が開いてしまった。
あまり身辺のことなど書かないブログなのだけれども、どうかお許しを。
先月の8日に元の職場の同僚だったマレー系の親友が亡くなった。
昨年の1月にもボクが最初にマレーシア生活を始めたペナン島の中華系の友人を亡くしたばかり。
二人とも30台半ば、ボクよりも年下。弟のような存在だった。
顔を見れば、お互いにすべてがわかり、若さにかまけてバカをやりあった。
そして、二人はボクにとってマレーシアを知る窓のような存在だった。
もう人生の後半には、こんな友人はできないのだろうな。
マレーシアについてなんでも知っているような顔をしていても、彼らに贈る鎮魂の言葉もわからない。所詮、自分はよそ者なのだと思うばかりだ。
マレー系の親友の共通の知り合いの女の子が、ボクに泣きながら電話をかけてきて、
「彼は、神に愛されていたから、早く召されたのよ」と言っていた。
心の隙間に吹き込む風ように流れてきたのは、シティ・ヌルハリザの歌の一節だった。
『Tahajjud Cinta』収録「Pintu Rindu」の“Hidup Matiku Haya Untukmu”
訳すと「死ぬも生きるもあなたのため」という意味。
なんか歯の浮くような恋愛の決め言葉だと思っていたが、神への愛なのではないのかな。
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歌詞の前後のコンテクストが判らないのでなんとも言えませんが、宗教音楽アルバムだし、きっとそうだと思います。そして共通の知り合いが居る女性のコメントもきっと正しいのではないでしょうか。
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お悔やみ申し上げます。この度はご愁傷様です。
私も中華系マレーシア人の友人を数年前亡くしたので、アサ様のお気持ちお察しいたします。ただ、彼も私も日本で知り合い、ずっと長年日本に住んでいたので、私は今回アサ様が味わった「しょせん自分はエトランゼ(余所者)」気分を味わうことはありませんでしたが、彼自身は死の直前も、そして元気だった頃も何度も日本でそのような気分を味わっていたことでしょう。
そして泣きながら電話をかけてきたマレー人女性の台詞、まるでマイケル・ジャクソン追悼イベントでスティービー・ワンダーが言ったこととほぼ同じです。僕らよりも、神がより多くマイケルを愛していたから、マイケルはみまかったのだ、と。
合掌。
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わにたさん、assidiqueさん、おセンチな文に言葉をかけてくれてありがとうございます。
また、いつも通りにマレーシアのことを書きますので、よろしく。。。
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ご無沙汰いたしております。
自分も今年はいろいろ失うものの多い一年でしたので、
お気持ちお察しいたします。
逝くも辛いが遺された者は尚一層ですよね。
自分だけと思っていたが、アサさんも同じ境遇でしたか、、、
どうしていいか混乱していましたが少し落ち着きました。
どうかお気を落とされぬよう、去りし人もきっと普段と変わらぬアサさんを望まれているはずです。
失礼をばいたしました。