ほぼ4ヵ月も留守にしてしまった。
最後まで読んでいただいたら、その理由にも触れたい。(蛇足だけれどもね)
季節は流れ、イスラム教徒の断食明けを祝う最大の祭り、ハリラヤ・プアサが近づいている。街に流れるハリラヤ・ソングは、キリスト教圏のクリスマス・ソングのような感じでお祭りムードの盛り上げに重要な役割を果たしている。
ハリラヤ・ソングは、60年代のP.ラムリー(P.Ramlee)のころからマレー音楽の中でジャンルといえるほど確立しているもので、時代を超えて愛される歌も数多い。90年代、音楽産業が華やかしき頃は、各レコード会社が自社の看板アーティストを共演させ、新旧の曲を集めたハリラヤ・アルバムを競ってリリースしていたものだった。また、大物アーティストは、新作のハリラヤ・ソングをリリースすることもステータスの証としており、質が高い曲が多い。しかし、ここ10年は、シティ・ヌルハリザ(Siti Nurhaliza)の『Anugerah Aidilfitri』(03)以来、長く愛される名作が生まれていないのは、残念なところだ。
前置きが長くなってしまったが、昨年デビュー25周年記念ボックス・セットや今年オーケストラとの共演ライブ版などをリリースし、徐々に活動を活発化しているシーラ・マジッド(Sheila Majid)が、ハリラヤ・ソング集『Memori Aidilfitri』をリリースした。
構成は、定番ハリラヤ・ソングが6曲、シーラ自身が過去にリリースしたハリラヤ・ソングが2曲(「Tiba Hari Raya」と「Hari Mulia」)、新曲が1曲の全9曲。すべて新しい音源となっている。プロデュースは、シーラのアルバムとしては始めて夫のアチス(Acis)が担当。演奏陣には当地ジャズ界の面子が起用されている。
期待通り、大物シーラらしく、遊びも真剣といったサウンドに仕上がっている。いかにもお祭りソングという定番中の定番「Suasana Di Hari Raya」や「Seloka Hari Raya」、「Selamat Hari Raya」(8曲目、ややこしいことに2、4曲目にも同名曲がある)などを選んだことは、一貫して典型的なマレー・メロディーから離れたところを立ち位置としていたシーラには、ちょっと意外な印象がある。きっと若いころだったら、選ばなかったのかなぁ、とも想像を巡らせてしまう。
2曲目の「Selamat Hari Raya」は、ラテン・ジャズ風アレンジで、ファンのツボを突いたものだろう。また、4曲目の「Selamat Hari Raya」は、ハリラヤ・ソングの物悲しい抒情を至極のアレンジで表現している。彼女のP.ラムリーをカバーした名盤『Lagenda』(90)を座右の名盤(?)にしているボクにとっては、溜飲が下がる出来だ。
全体としてこの手の企画モノでアーティストの新境地を期待するのは、酷というもので、本作もその例外にはないが、シーラの魅力が余すことなく発揮されていると断言できる一作だ。 それでもハリラヤ・ソングは、個性なんか発揮しなくてその曲の持っているイメージどおりに歌えばいいものだという逆の意味で通なリスナーには、本作の魅力は、通じないかもしれないけれど。
でも、シーラ・ファンは、必ず手にして欲しい。また、ハリラヤ・ソングを知ってみたい人にもおすすめ。(でも、ハリラヤ・ソングは、街の喧騒と風景のBGMとして聴くのが正しいと思うけどね)
それで、評論はここまで。
本作の最後に収録されている新曲「Tiada Lagi」を聴くまでは、「シーラらしいね」程度の感想だったのだけれども。「Tiada Lagi」が始まった瞬間から、不覚にも涙がこぼれてしまった。実は、今年でマレー音楽リスナー歴がちょうど20年目なのだけれども、これこそがマレー・ソングの根源にある抒情を最も美しく表現した曲ではないかと思ったからだ。
この曲は、喜びに満ちたハリラヤに去っていった(あるいは亡くしてしまった)最愛の人に思いを馳せるひと時を歌った曲だ。イスラム教を信仰するマレーの人々は、絶対の神が授けた運命を享受することが生き方の根底にあるのだけれども、喜びと同時に苦難、そして去っていった人を偲ぶことで時には、無常とも思える運命を知る。この曲は、そんな悲しみの抒情を美しい調べに昇華したのではないかなぁ。
神に捧げた生き方を能動的ときって捨てるのは簡単だけれども、どうにもならない悲運に見舞われたときにも見捨てない神がいると信じることもひとつの美しい生き方だとも思う。
話が飛躍してしまったが、ハリラヤは、苦しい断食が終わりを告げ、あらためて神の恩寵を知る機会。崇高な信仰とは無縁でどうしようもない俗物の異邦人たるボクだけれども、美しいハリラヤ・ソングを生み出す心情とマレーの心に触れた気がする。
ちなみに「Tiada Lagi」のアレンジとキーボードには、シーラの盟友ジェニー・チン(Jenny Chin)が名を連ねている。ボクが愛してやまない『Lagenda』に収録されているマレー・バラードの名曲「Engkau Laksana Bulan」や「Jeritan Batin」、「Di Mana Kan Ku Cari Ganti」に通ずる悲しくも美しすぎる抒情を創ったジェニーが再びシーラの力となっていた。
実は、しばらく更新しない時期が続いたのは、自分の立ち居地がだんだんわからなくなってしまったからだ。自分の力量のなさに目をつぶり、インターネット上に流す情報なんて所詮、その手軽さに見合った扱いしかされないものだと悩んだものだ。
それでも心を揺さぶる音楽や映画に触れたらば、それを衒いもなく書けばいいじゃないかと割り切ることにした。
うん、それでいいじゃないかな。シーラには、20年越しで教えられた気がする。