石川鷹彦御大 vol.1

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 先日、アコギの巨匠、石川鷹彦氏とお会いした。
 鷹彦氏といえば、かぐや姫・風・吉田拓郎・イルカ・アリス・長渕剛・さだまさし…といった、フォーク・ニューミュージック界にきらめくスター達を支えてきた、日本が誇るトップギタリストでありアレンジャーだ。特に有名なところでは、「22才の別れ」のイントロメロやスリーフィンガーで、あれがないと「22才の別れ」はヒットはおろか成立さえしない名フレーズだ。これまでに参加したアルバムは無数にあり、名実共にアコギ界の神様である。
 僕は、作曲や演奏以外では、ドレミ楽譜出版社でバンドスコアの採譜やギターアレンジの仕事を続けている。さらにここ3年ほど、リットーミュージックの「アコースティックギターマガジン(以下AGM)」という季刊誌でも、アコギに特化した採譜もやらせていただいている。
 で、「次回のAGMで石川鷹彦氏の特集をやるので、Yoshiさんに取材から執筆・採譜まですべて担当してもらいたく云々…」という電話が担当編集者M氏からあった。鹿児島に帰省する直前のことだ。「えっ?!?!?! あの鷹彦さんですか?」と一瞬我が耳を疑ったが、もちろん「やります、やります、やらせてください!」と二つ返事でお引き受けした。

 鷹彦さんは、僕がギターを始めた中学生の頃から30年来の憧れの人。いや、憧れと言うより、むしろ雲の上の存在で、まさかお会いできるなんて夢にも思わなかった。
 ギターを初めた頃は、かぐや姫の全68曲をすべてコピーすることでアコギの基本を学んだのだが、そのほとんどが鷹彦さんのプレイによるものだった。上京したての頃、鷹彦さんに弟子入りしようと、ユイ音楽工房まで乗り込んで相談しに行ったこともある。つまり、僕の中での音楽は、鷹彦さんの音と出会ったことで全てが始まったと言ってもいい。あの柔らかくも優しく暖かい音色は、今でも僕の音に大きな影響を与えてくれている。
 その鷹彦さんに会える! しかも、お仕事として会える!! そう思うだけで胸の高鳴りを抑えきれなかった。この一件があり、鹿児島への帰郷が原点復帰にも感じられ、楽しく大切な5日間になったのだろう。
〜つづく〜
石川鷹彦さんオフィシャル・サイト
http://www.birdiehouse.co.jp/absr/falcon/

かぐや姫ブログ
http://www.geocities.jp/tsuki_taro/k3/

アコースティックギターマガジンHP
http://www.rittor-music.co.jp/hp/agm/index.html

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ブラバン

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 鹿児島市内まで戻る途中、吹上浜を少し見ようかということになった。かなり遠浅の砂丘なのだが遊泳禁止区域。たぶん潮流が複雑なのだろう。海風にあたりながら「泳いでる人がおるなー、ここは遊泳禁止じゃろ?」とか言っていたのだが、車に戻りかけたとき、パトカーや消防車がものすごい勢いでとばしてきた。「すわ事件か?!」と、報道マンのT氏はすかさず消防士に事情を聞いた。なんでも、若者数人が溺れたらしい。なんと、彼らは泳いでいるのではなく溺れていたのだった。消防士の後について駆けていったら、数人が海岸で座り込んでいる。どうやら自力で助かったようだ。ほっと胸をなでおろす。

遠浅の吹上浜


 とんだ事件のおかげで時間を読み違え、帰りは渋滞にハマりまくった。なんとか夕方には市内へ戻り、T氏は打ち合わせがあるとかで、トンボ返りで南さつま市へ戻っていった。なになからなにまで本当にありがとう! おかげで、とっても充実した一日を過ごすことができたよ。
 都会で過ごしていると、日々の喧噪に慣れきってしまい、あたかもそれが日常のあるべき姿だと思いこんでしまう。でも、ここ南さつま市は、町全体が穏やかで、ゆったりとした時が流れている。翌日にひかえた30年ぶりの同窓会を前に、置き忘れてきた大切なものを確かに思い出させてもらった。
 夜は、高校時代のブラスバンド仲間と飲ン方!
 男女問わず、先輩後輩問わず、10数人集まってワイワイと焼酎を飲みまくる。共に一生懸命打ち込んできた仲間だけに、話が尽きることがない。結局は昔話で盛り上がるのだが、それはそれでいい。20代の頃は、いつまでも過去の栄光を語る雰囲気がいやで、会うことをあえて避けていたが、この歳になると、それはそれで楽しいものだ。

外見はともかく、中身は高校時代のまんま。

 それぞれがいろんなことをやってきた。それぞれがいろんなことをやろうとしている。そして、それぞれがいろんな悩みを持っている。でも、そんなことは全部、顔を一目見ればわかる。何を言わんとしているのか、世間話の中にかいま見られる。それが、故郷の友達だ。かけがえのない、僕の宝物だ。

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あら煮

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 車は一路西へ。ほぼ海岸線に沿って走るが、片方は切り立った崖だ。途中、最近はあまり見かけなくなった石垣の段々畑を眺め、小さな港町に降りて潮風にあたる。

みごとな段々畑だが、現在は畑としては使用されていない。

 何艘かのヨットが停泊していたが、その内の一艘は石原裕次郎が最後に乗っていたものらしい。そういえば、日本テレビ「鉄腕ダッシュ」で一筆書き日本一周をやっているが、この道も通ったのだろうか?

真ん中に見えるマストが高いヨットが裕次郎所有のものだったらしい。

 再び走る。小島がいくつか見えてくる。鹿児島は、知覧や鹿屋といった軍事基地があり特攻隊の拠点になっていたが、なんと船にも特攻隊があり(いわゆる人間魚雷)、この島の一部に隠れるように工場が存在した。実際には発進されることなく終戦を迎えたが、GHQ指導のもと工場の破壊作業中に爆薬が暴発し、数人が犠牲になった。戦地での死ではなく、工場での、しかも戦後の国内での犠牲。あまりにもいたたまれない気持ちのまま、しばし沈黙が続く。

 笠沙地域をほぼ一周し、再び加世田へ戻る。
 14:00も回ってきたところでさすがに腹も減ってきたので、海辺らしく「ドライブイン大浦」という活魚料理の店に連れて行ってもらった。ドライブインというよりは、ちょっと大きめの居酒屋といった感じだ。さっそくお勧めの刺身定食を注文するが、定食にもれなくついてくる「カンパチのあら煮」ががこの店の名物だそうだ。15cmほどのアラで、パッと見た目は普通のアラと変わりない。が、一口食べてびっくり。うまい! これはうまい!
 非常によくつけ込んであり、隅々までしっとり味がしみこんでいる。さらに驚いたことに、骨が口の中でとろけていく。つまり、身やゼラチンはもちろん、骨まで全て食べられるのだ。刺身ももちろんうまいのだが、このあらはぜひ一回は食すべし。

「ドライブイン大浦」と南日本新聞社南さつま支局長T氏。
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すんくじら

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 帰郷二日目。昨日の飲ン方(飲み会)の席で、T氏が「南さつま市に来てみませんか?」と誘ってくれた。夜は飲ン方で予定ビッチリだが、昼間は特になにもないので、その誘いに喜んで応じ、この日は南薩地方の観光としゃれこんだ。
 南さつま市は、文字通り薩摩半島の南部地域だが、鹿児島に住んでいた頃にもほとんど行ったことがなかった。T氏はわざわざホテルまで車で迎えに来てくれ、朝9:30出発、片道約1時間のドライブになった。
 余談だが、鹿児島県でも市町村合併の嵐が吹き荒れており、それまで90以上あった市町村が、現在では50そこそこに激減したそうだ。南さつま市もその一つだが、馴染み深かった地名がなくなるのは悲しいことだ。
 道すがら昔話をしたり近況等を語らい、南さつま市の中心、旧加世田市にある南日本新聞社南さつま支局に着いたのは11:00前。この加世田市は、小泉首相のお父さんの故郷だそうで、首相も幼い頃によく来ていたらしい。でかい邸宅も、穏やかな加世田の町並みに溶け込んでいる。

「杜氏の里」のすぐ近くから東シナ海を臨む。


 支局で一服し昼前に再出発。いよいよ南薩観光だ。雨どころか嵐まで呼んでしまうほどの雨男たる僕のせいか、あいにくの天気。天気が良ければ、遠く屋久島も見えるらしい。リアス式海岸には、奇妙な形の島が点在している。
 最初の目的地、笠沙町の「杜氏の里」に着くまでに、T氏はこの地域の話をしてくれた。「霧島の高千穂連山には天皇降臨の神話が残っているが、この南薩地方にもニニギノミコトが上陸したそうな」とか「この一帯は平地がないので、石垣を組んで防災や垣根としており、今もその風情は残っている」とか。さすがに報道マン、わかりやすい。

笠沙町黒瀬の「杜氏の里」入口


 そうこうしているうちに「杜氏の里」に到着。
 この笠沙町黒瀬地域は、明治時代頃から芋焼酎の杜氏が多数いた、いわば焼酎の故郷である。彼ら杜氏はその技術を持って全国各地へ散り、それぞれの蔵元で活躍し「黒瀬杜氏」と呼ばれ大切にされたそうな。そんな杜氏達が、丹誠込めて焼酎を紡いできた技術を保存・継承する為に建てられたのが、この「杜氏の里」である。
 とんでもない山の中にあるが、芋焼酎の造り方が丁寧に描かれ、昔からの製造器具も数多く展示されている。今ではほとんど機械化が進んだ焼酎造りだが、ここではかたくなな杜氏の姿が見え隠れする。
 出るとき、この笠沙だけでしか手に入らない「すんくじら(※)」という焼酎を買った。渋谷に一軒だけ、この焼酎を飲ませる焼酎バーがあるらしいが、その店も笠沙出身の人がやっているとのことだ。
街灯も一升瓶をかたどっている。
 T氏とも語った。焼酎ブームになって久しく、にわかにうんちくを語る焼酎ファンがいたり、「幻の焼酎」とかいう名目で高価な焼酎を販売している飲み屋もあったりするが、そんなことはどうだっていい。「しょせん、焼酎は焼酎」なのだ。高価な酒ではない。庶民の飲み物なのだ。手軽に気持ちよく酔えて、会話もはずみ、楽しい飲ン方ができ、だいやめ(晩酌)で一日の疲れが癒されれば、それでいいのだ。
 この「すんくじら」は、希少価値があるはずなのにそれほど高価でもなく、決して高飛車に構えてもいない。縁があってこの杜氏の里に立ち寄ることができたから、ここの焼酎が飲んでみたい、ただそれだけなのだ。そんな気持ちのまま、奢らず媚びず、純粋なまでの職人達の心意気を感じて「杜氏の里」をあとにした。

※「すんくじら」は、鹿児島弁で「隅っこ」の意味。まさに日本列島の隅っこにある蔵から生み出されるという、絶妙のネーミングだ。

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ざぼんラーメン

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 市内へ着くなり、最初のラーメンタイム。今回は以前ほどラーメンは食しなかったが、それでも5日間のうち3回食べた。そのうちの第一食目は与次郎ケ浜にある「ざぼんラーメン」。僕が鹿児島在住の頃からある老舗だ。ここは味はもちろんだが、大根の漬け物が食べ放題という点が嬉しい。ほとんどの場合、ラーメンとご飯を一緒に注文するのだが、この漬け物はいいアクセントになってくれる。さっきまで腹ペコだったのに一挙に満腹になり、繁華街にほど近い「いづろ通り(※)」にあるホテルへ。
 この「オリエンタルホテル」は、迎えに来てくれた友人Fが紹介してくれたビジネスホテルなのだが、一泊4,500円という安さ。しかも、彼の勤め先のお得意さんということで、なんと毎朝の朝食までつけてくれた。ありがたや〜、タイガーオートさん。

「さつま温泉」入口。温泉というわりには生活に密着している。


 彼はそのまま仕事へ戻り、僕はというと、昨夜からの疲れがどっと出てきたので、さっそく近くの温泉へ。徒歩10分ほどで「さつま温泉」に到着し、銭湯ほどの値段で温泉を満喫。昼過ぎだったこともあり、中はガラガラでほぼ貸し切り状態。いや〜気持ちんよか〜。早朝からやっており、休憩所もあるのでお勧めです。
 それからしばらく仮眠をとり、夜は当然のように鹿児島一の繁華街=天文館へゴー。

夕刻の天文館メイン通り


 連絡していた後輩Tと待ち合わせる。彼は、鹿児島最大の新聞社=南日本新聞社の南さつま支局長を務めている。仕事の忙しい合間を縫って、約1時間かけてわざわざ駆けつけてくれた。彼の紹介で、まだ若くて威勢のいいマスターと、僕好みのきれいなおかみさん(というにはあまりに若い)がやっているこぎれいな居酒屋へ到着。久々の薩摩料理と焼酎に舌鼓を打ち、話もはずみ大満足。その後Fも合流し三人で盛り上がり、2年ぶりの鹿児島の長い一日は終わりを告げた。
※この界隈は昔から石灯籠が多かったので「石灯籠通り(いしどうろうどおり)」と言われ、それがなまって「いづろ通り」になったそうな。ちなみに、鹿児島が故郷だというのになぜホテル宿泊なのかというと、すでに実家は全部引き上げ、こっちには誰も住んでいないからでござる。

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足湯

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 今回の帰郷は中学時代の同窓会が目的だったが、足かけ5日間は鹿児島にいたので、ヒマな昼間はあちこち出かけた。少しずつ紹介していくとしよう。
 8月10日9時20分羽田発、お昼前に鹿児島空港へ到着。羽田空港〜鹿児島空港はおよそ100分なのに、なぜか自宅から羽田空港まで2時間はかかる。どういうこっちゃ!
 前日ほとんど寝ず、ギリギリの電車に飛び乗ったので少々焦りもあったが、無事に搭乗。機内で新聞を読んでいたら、もう四国は過ぎていた。

鹿児島空港の足湯

 鹿児島空港に着いたら、「足湯んとこいで待っちょれ(足湯のところで待ってろ)」と電話をくれた友人が迎えに来てくれた。彼は高校時代のブラスバンド仲間なのだが、帰省するたびになにかにつけ世話してくれる。空港への送迎はもとより、宿泊所の手配や、仕事の合間を縫って、市内の移動にも車を出してくれることもある。でも、あれこれと話をするわけでもない。久々なのに「高校野球は明後日じゃっど」「ラーメン食うか」といった、たあいもない会話がぽつぽつと続く。だからというわけではないが、かけがえのない、大切な友だ。
 最近鹿児島では、足湯が流行っているらしい。空港敷地内や、ドライブインを初めとする県内のあちこちにできたとのことだ。靴と靴下を脱ぎ、Gパンの裾をたぐりあげて足だけ湯につける。心地いい。旅の疲れが足下から癒される。なかなかの企画だ。

桜島と鹿児島湾(錦江湾)を模した湯船周り

 そもそも鹿児島は温泉の上に町があるといってもよく、銭湯と言えどもすべて温泉だ。都内の銭湯よりも安くで温泉を楽しめるし、ちょっと田舎に行くと、自宅に温泉をひいている家庭もあるくらいだ。来鹿の際は、なにはともあれ温泉とラーメンをお勧めする。

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帰郷

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 8月に入った途端に夏が来ぬ、ってな感じですねぇ。そんな暑い中、明日から5日間ほど、さらに暑いとこに行ってきます。我がふるさと、鹿児島です。

夕暮れのMotonolian Blue vol.1


 実は、上京以来25年、お盆の帰郷というのは始めてなのですが、この時期に帰ることになったのにはわけがありまして。
 今年のまだ寒い時期、一本の電話が携帯に入りました。「吉野中学校卒業の○○といいますが、覚えてますか?」。いきなりそんな電話が、しかも携帯にかかってくると、だれでもヒキますわな。「またどこかで名簿かなにかを見てかけてきた、証券会社とか先物取引の勧誘じゃろ」と、全く相手にせずそっけない受け答えをしていたんですが、どうも様子が違う。
 よくよく聞いてみると「僕らの代は吉野中学校の30期生にあたるんですが、今年は中学を卒業してちょうど30年目なので、卒業以来初めての同窓会を開こうということになりまして」云々。
 自分が30期生であることも、卒業後30年目だということも、とうの昔に忘れていたところへの晴天の霹靂。途端にむちゃくちゃ懐かしくなり、とは言っても電話の主の顔をすぐには思い出せず、とりあえず先ほどつっけんどんにした詫びを入れ、むろん即効で「ぜひ出席します」旨を告げました。
 高校時代の友人は、ブラスバンドを通じて今でも会う機会はけっこうありますが、中学時代ともなるとほとんど音沙汰なし。というか、自分自身、高校卒業後転々としており、幹事も「探すのに苦労しましたよー」と言っていたくらい住所不定状態だったので、この一本の電話はすごく嬉しかった。
 卒業アルバムを押入の底から引っ張り出し、当時のことを少しずつ思い出してみました。ほとんどはおぼろになっているんですが、記憶の底に隠れている思い出って、けっこうあるもんですね。当時聞いていた曲とかを、それこそ何十年かぶりに聞いてみると、当時の風景や匂いが思い起こされ、懐かしい気持ちを通り越して、何とも言えない幸福感を感じたりします。

夕暮れのMotonolian Blue vol.2


 始めて音楽に触れた吹奏楽部、始めてギターを教えてくれた友人、一緒にバンドを組んだ連中、受験勉強を一緒にやったクラスメート、初恋の人、卒業後もなにかにつけお世話になった恩師…。
 初恋の人をイメージした「木屋町の白い花」という曲も作ったくらいなので、そういう意味でも会うのが楽しみ&ちょいとコワさがあります。冒険カードを引くか、友情カードを引くか、はたまた封印カードか。でもまぁ、それをさっ引いても、旧友や恩師に会えるってことは、何物にも代え難いわくわくした気分になります。
 桜島と西郷どんに挨拶し、焼酎を飲みながら友と語らい、つかの間の休息をとってこようと思ってます。

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実際の流れ

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「耳コピって、どういう順番でやるんですか?」と聞かれることが多々あります。おおまかな流れについてはイントロダクションで触れたので、今回は原稿用紙に向かってからのバンドスコア採譜における実際の流れについて説明しましょう。もちろん、採譜者によってやり方は千差万別だと思いますが、僕の場合は以下のとおりです。
1.セクションに割り、リハーサルマークをつけながら全体のサイズを決める。
2.ボーカルセクションを採る。同時進行的にコーラスパートも採り小玉で入れる。
3.歌詞を入れる。
4.ドラムスを採る。
5,パーカッション・シーケンス等、リズム周りを採る。
6.ベースを採る。
7.コードネームを大まかに入れる。
8.ギターセクションを採る。
9.キーボードセクション(シンセ・ピアノ・オルガン等、鍵盤で音を出す楽器)を採る。
10.生楽器(ストリングス・ブラスセクション等)を採る。
11.その他の楽器(ハーモニカ・サンプリングループ等)を採る。
12.コードネームの決定。

作業中の様子。Macのキーボードはテンキーを左手で操作できるように左側におく。


 もちろん、楽曲やアーティストによって上記の順番はめまぐるしく変化しますが、基本的にはこんな感じです。通常、1日1曲を目安に作業しているので、午前中に7の段階までくることができたら60%は終了したようなもの。その日の午後は気分的にけっこうラクです。
 ただ、最近では2日に3曲、あるいは3日で5曲、場合によっては、1日5曲(?!)という無謀なペースでやるようになったので、どこで一息入れればいいかわからなくなりました(^^ゞ。

前に出たセクションを参照する場合も多々ある。


 バンドスコアでメインになるのはやはりギターセクションで、一番時間をとられると思われがちですが、ベースやドラムスが終われば、どんなに難解な楽曲でも比較的容易に進められます。というのは、
a.ベースが決定すれば、コードの90%は確定できる。
b.ドラムスが決定すれば、基本リズムパターンが確定できる。
からです。
 aについては、ポピュラー音楽の場合、ルート音上で調性が確定しますので、ベース音がとれればメジャーかマイナーかの見極めだけで、ほぼすんなりコードがつかめます。
 ルート指定コードも、そのキーで使うダイアトニックコードの中で用いることがほとんどなので、慣れれば音で確認しなくてもすぐにわかります。あとは7th・6th・sus4やテンションなどですが、これらはギターやキーボードを採りながら追加していきますので後回し。ディミニッシュとm7(-5)の違いも、コード上では7度の音程とその前後のコードとの関わり合いの判断なので、後回し。
 まぁ、特にコードネームを表記しなくてもベースパートを見ればいいことですが、コードネームそのものを見ながら譜面を追いかけるのが習慣になっていますので、この段階で大まかにふっておきます。
 bに関して「なぜドラムスのパターンが?」と不思議に思われるかもしれませんが、キックのリズムパターンは最重要で、これが割れればベースの基本リズムもわかり、ギターのバッキングパターンにもつながります。特にロック・パンク・スラッシュ系の楽曲では、歪み系の音色をあえて分離させず、まさに「音の固まり」としてミックスされていることも少なくありません。こういう場合、ギターは8分で刻んでいるのか16なのか、あるいいはシンコペしているのか単純なアクセント打ちなのかは、案外聞き取りにくいもので、このとき手がかりになるのがキックのパターンだったりします。キックのリズムを休符でヌイていると、そこにシンコペをからめてストロークしている場合が多々あるからです。
 音の固まりだからといって、単純な8分刻みとして譜面にすると、たしかに音としてはそう聞こえるかもしれませんが、バンドで再現したときのノリがまるで変わってきます。譜面としては、コードやポジションが合っていればそれでOKということではない、ということです。

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六本木散策

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 22日土曜日は、映画を見るために六本木に出かけました。六本木は、昨年友人のライブ見に行って以来久々です。
 全席指定の鑑賞チケットを購入後、上映まで多少時間があったので、遅い昼食をとるべくラーメン「一蘭」へ直行。他のラーメン店とのしのぎ合いのせいか、あるいは土曜の午後のせいか、はたまたラーメン戦争も多少落ち着き始めたせいか、けっこう空席が目立ってました。でも味はそのまま。いつものようにラーメン・半ライス・半熟卵をたいらげ、満足して店を出ました。
 まだ1時間ほど余裕があったので、お茶して時間をつぶすより、ちょいと散歩でもしてみるかと思い立ち、六本木ヒルズに行ってみました。恥ずかしながら始めてのヒルズ…。
 土曜の午後なのでそれなりに混雑はしてましたが、どちらかというと観光気分・デート気分の人たちがほとんどで、ギスギスした感もありませんでした。それに、ここ数日の涼しさのおかげで、少し歩いたくらいでは暑くもならずなかなか快適に散策。とは言っても、特にどこかに立ち寄るでもなく、建物の間をブラブラするのみ。
「これがあの日本経済の巣窟、森ビルかぁ」と、感動よりもなぜか腹が立つのを抑え切れませんでしたが、周りを歩くカップルや家族連れのほほえましさのおかげで、なんとかその気持ちが和らぎました。
 雨後のモヤに煙った東京タワーが、寂しそうに佇んでいたのは印象的でした。
 その後、映画を鑑賞し、そのまま友人との飲みへ合流したのでした。まぁ、これと言ってどうということはありませんが、たまには都会ど真ん中の散策もなかなかオツなもんですな。

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気分転換。。。

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ップページの背景を変えてみました。ちょいと気分転換と。
 あと、プロフィール部分も更新しました。ディスコグラフィー・過去に作った曲の一覧も載っています。ゆくゆくは聴けるようにしたいとも思ってますが…。

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