20年を超えて

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 先日、欲しい譜面があったので、有楽町ヤマハへ行った。
 エレベーターに一人だけ乗ってから「さて楽譜は何階だったっけ?」と案内板を見ているうちに、売り場の2階はさっさと通過し、いつのまにか最上階へ。開いた扉の前で、一人の紳士が楽器らしきケースを抱えて立っていた。当然僕が降りるものと思ったらしく、少し身を引いてくれたが、「あ、間違えたんでどうぞ」と中へ促した途端に身体中に電流が走った。次の瞬間には「すいません、数原さんじゃありませんか?」と問いかけていた。
 その紳士は「そうですが…どっかでお会いしました…よね?」と、逆に問いかけてくださった。
 思いがけずの20年ぶりの再会。それは、日本が誇るトランペッター「数原晋」さんだった。
 僕が、楽譜の編集者として駆け出しの頃、編集という仕事が何もわからない中で、一緒に担当した同僚と必死に作った譜面、それが数原さん率いる「東京アンサンブルラボ」というビッグバンドの譜面だった。それは、僕にとっても初めて作った本だったし、初めて一流のミュージシャンと一緒に仕事をさせてもらった、記念すべき処女作だった。さすがに20年も前の作品なので今はもう絶版になっているが、僕の手元には密かに1冊だけ残っている。

レコーディングスコア
「Tokyo Ensemble Lab/Breath fron the Season」
(1988年/ドレミ楽譜出版社刊)

 数原さんは、僕が音楽に触れた中学の頃にはすでにスタジオミュージシャンとしてバリバリ活躍されており、日本の音楽界を支えてきた重鎮だ。一番なじみのところでは「必殺仕置人」「ルパン三世」のあのフレーズや「金曜ロードショー」のテーマだったりするが、山下達郎・ユーミン・角松敏生・SMAP・THE BOOM・プリプリ…など、参加したアルバムは膨大な数になる
 僕がその名前を覚えたのは、「風」の3rdアルバム「Windless Blue」だ。その後、日本の音楽シーンが歌謡曲からフォーク、ニューミュージック、J-popと変化していく中で、耳にするトランペットはいつも数原さんの音だった。

角松敏生のライブ打ち上げにて

 数原さんは、ミュージシャンとしてはもちろん、人間的にとてもすばらしい方で、音楽に対しても非常にまじめだ。常に音のことを考え、譜面に対する情熱も尋常ではなかった。普段はおっとりと優しいが、こと音の話になったら目の輝きが変わる。譜面の束を抱えてスタジオや喫茶店で落ち合い、一つ一つ丁寧にチェックしてもらいながら、音楽や楽譜のことをいろいろと教えてもらった。当然、世界中にもいろんな知り合いがいる。中でも、世界的トランペッター&ホーンアレンジャーのジェリーヘイとも旧知の仲で、僕にも紹介して下さった。

Jerry Heyと

 そのまま一緒にエレベーターで降り、入り口で立ち話をした時間のなんと短かかったことか。セピア色の20年前が鮮やかに蘇り今に重なった。エレベーターのボタンをちゃんと2Fと押していたら、一生会えなかったかもしれない。数原さんも僕のことを覚えていてくださり、「あの譜面、欲しい人もけっこういるんだけど、もう無いんだよなぁ」と言っておられた(ドレミさん、なんとかならんかね???)。
 これまで、いろんなすばらしいアーティストに巡り会ってきたが、その中でも特に尊敬する3人の中の一人に思わず再会した。あまりの感動に、その時のアルバム「Breath from the Season」を注文した。ちょうどLPからCDに移行するあの時代。ずっと聞けないでいたあの時の数原さんの音が、20年の時を超えて蘇る。届くのがとっても楽しみだ。

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