アラブで「アラファト死去」と言っても通じない?
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最終更新日:2012/05/28
辺境コトバ道
アラファト議長が死亡した。
「不死身の男」と言われ、乗っていた飛行機がサハラに落ちたときも無傷で助かったこともあったが、今度ばかりはほんとうに死んでしまった。
アラファトはアラブ世界では「ヤセル」と呼ばれる。ただ、アラファトとだけ言うと、通じない場合がある。
ヤセル・アラファトというのが世界で認識されているアラファトの本名だが、アラブの人たちは別に親しみをこめてファーストネームで呼んでいるわけではない。
アラブの習慣では、最初に自分の名前、次に父親の名前、その次に祖父の名前…とえんえんとさかのぼっていく。
だから、アラファトはほんとうは議長の父親の名前なのだ。
サダム・フセインもそうで、彼の名前はあくまでもサダムである。アラブではみなサダムと呼んでいる。フセインとは言わない。
彼を「サダム」とひたすら呼び続けたブッシュ大統領はその辺のことが実によくわかっていた…わけはなく、ただファミリーネームで呼ぶと相手の格を認めた親しい仲にとられることを懸念したのではないか。
シャーロック・ホームズとワトソンが互いに「ホームズ」「ワトソン」と呼び合うみたいに。(ちがうか…)
オサマ・ビン・ラディンをビン・ラディンと呼ぶのも本来ならおかしい。
あれはオサマが名前である。ビン・ラディンは出自を表すからファミリーネームではあるが、ふつうは使わない。
ビンとはイブン(息子)の省略形である。「ラディン家の息子」という意味だ。
昔のアラブの大旅行家イブン・バトゥータ、17世紀まで西洋医学の教科書に使われた「医学典範」を著した11世紀のイスラム学者イブン・シーナー(欧米では訛ってアビケンナ)のイブンと同じだ。
それぞれバトゥータ家の息子、シーナー家の息子という意味でしかない。兄弟やイトコもたくさんいるだろうし、これだけではふつう呼び名として成立しない。
もっとも、今でも彼らはその名前で呼ばれているから、有名になると、それだけでもいいのかもしれない。
ちなみに、アラブの名前というのは、すごく曖昧で難しいらしい。
例えば、オサマはアフガン空爆のあと、一時「死亡説」が流れたが、その後、自筆のサインとおぼしきものが発見された。そのサインから「奴はまだ生きている」とアメリカは判断したといわれる。
しかし、なぜかそれはムハンマドと書いてあった。
どうして、これがオサマ・ビン・ラディンのサインなのか?
実は、これ、オサマの父親の名前なんだそうだ。
で、なぜか、オサマはときどき自分の名前でなく父親の名前でサインをするという。
不思議に思ってアラビア語の先生に聞いたことがある。
「アラブでは、その辺はすごくてきとう」と先生は言っていた。
だいたい、彼の正式名称などもよくわからない。
オサマ・ムハンマド……(この辺に祖父や曽祖父など先祖の名前が延々と入る)ビン・ラディンなのである。それをどのように切り取って「自称」とするかは本人の勝手らしい。
そう言えば、私のアラブ系の友人でも、ムハンマドと名乗っているのにメールではオマールを称していたり、私にはアリーと言うが、他の友だちにはイスマイールと名乗る人間もいて、ややこしい。
彼らはそれぞれムハンマド・オマール・ハビブ・イシュタールとか、イスマイール・アリー・ムハンマド・アルハビーブとかだったりするわけだ。
さらに、話はそれるが、アルカイダの統率者の一人で、ファルージャに立てこもっていたアルザルカウィ、彼のような名前もビン・ラディンと同様、出自を表すいわばファミリーネームである。
アルは、アラビア語の定冠詞だが、名詞と名詞の間にはさまれると「〜の」という意味になる。英語ならof theである。アルがついていればたいていは名家だ。もしくは、名家をきどっている。
彼にも自分の名前があるはずだ。ムハンマドとか。で、もともとは「ザルカウィのムハンマド」という呼び名なんだろう。ザルカウィはたぶん地名だとおもわれる。
一般人がこんな名前を名乗ったらきっと笑われると思う。
「〜の」(of)+地名が名家の名前だというのは世界的な現象らしい。
かつてのフランス大統領シャルル・ド・ゴール。ド・ゴールのドは英語のofに当たる。 ゴールとはガリアのことで、フランスを指す。「フランスのシャルル」というたいそうな名前である。まあ、貴族なんだろう。
こちらもたいていは地名がつく。「清水の次郎長」みたいなもんで、それだけエライということなんだろう。
ドイツもしかり。
ヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者がいた。”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックというレスラーもいた。
フォンもドイツ語では英語のofであり、貴族名だ。
もっとも、二人ともドイツの貴族でもなんでもない。
カラヤンはアルメニアの出身で、もともと指揮者としての才能は抜群だったが、それを若くして売り込むためにドイツの貴族名を称したといわれている。
ナチスに協力したという疑惑がもたれているのも、それと関係があるらしい。
相手の頭をわしづかみにするという必殺技アイアンクローを使い、馬場さんと死闘を繰り広げたフリッツ・フォン・エリックは、まったく逆の理由でそういう名前になった。
もともとプロデューサーがドイツ系のレスラーを悪役としてデビューさせたかったため、わざわざ観客がナチスをイメージさせる名前にしたのである。
その他、俳優ライアン・オニールのオも、たしかアイルランド系の貴族の名前だと思った。
「アラビアのロレンス」で主役を演じたピーター・オトゥールも同様。
オは英語の0fの変形もしくは省略形で、「フィレオフィッシュ」のオと同じだ。
じゃあ、フィレオフィッシュは名家なのかという疑問もわくが、それを聞かれると困るなあ…。
そういう傾向はアラブや欧米だけではないようだ。
タイのチェンマイで教えていたとき、いつもヘラヘラとしまりのない笑いを浮かべている学生がいた。彼の下の名前が「ナー・アユタヤ」だった。
アユタヤとはタイの古都で、かつて王朝があった。
どうもそこの貴族か豪族の出身らしい。王族という噂も聞いたことがある。すごい家柄である。
ただ、タイの場合、ナーは0fではない。「田んぼ」を意味する。この辺は私の知識ではよくわからないのだが、タイでは田が財産であり、富を数える基本単位だ。例えば、チェンマイの古い王国は、ランナー王国と言った。ランナーとは「百万の田んぼ」の意。
その学生の苗字も「アユタヤのすべての田の所有者」という意味かもしれない。
…と、延々と脱線し、言語のオタク論議になってしまった。
ちがう。そんなことが言いたいのではない。
アラファトとパレスチナの話がしたかったのだ。
でも、もう長くなりすぎたので、続きはまた明日。
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