大山の寒さの前には、熱かんも無力?
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最終更新日:2012/05/25
ただいま外出中
暮れも迫った12月30日、辺境作家の高野さんと大山(おおやま)へ出かけた。
大山は神奈川県の丹沢山系の1つで、古くは江戸時代中期より、大山詣として
江戸庶民の信仰を集めていた山である。
阿夫利神社を祭る大山は、別名阿夫利山(雨降り山)と言われ、雨ごいに御利益のある山としても知られていた。
実際、登山口の長い階段の脇には、神奈川、東京はもちろん、遠く千葉県の印旛の村々などの講が建てた石碑が時代を経て残っている。
千葉は山の少ない土地なので、日照りが続けばすぐに影響が出たことだろう。水の豊富な山は水の神、龍神の住む山として雨ごいの御利益を求める人々の信仰の対象になっており、有名なところでは、北陸の白山などがある。
小田急線を伊勢原駅で降り、神奈中バスで終点の大山ケーブル駅バス停までたどり着いたら、そこからはケーブルを使わずに、歩きで登ることにした。
参道のたたずまいは、まるで讃岐の金比羅さんのようだった。
両サイドに土産物店や宿坊が軒を連ね、その中を階段が延々と続く。
階段が山路に変わってからは、ひたすら登り道である。
直登の男坂を避け、ゆったりと登るはずの女坂でも結構な登りっぷり。
1時間ほどで阿夫利神社下社についたのち、そこから山頂までは本格的な山路に変わった。
雪こそ降っていなかったものの、この冬一番の寒気が耳をさす。おまけに太陽は薄曇りの空にぼんやりと包まれて、一向に気温が上がらない。
ふと、下界を見ると、遠く相模湾にポツンと江ノ島が見える。その昔、大山詣に来た江戸の人々は、帰りに鎌倉や江ノ島を観光して帰路につくのが一般的だったそうだが、さもありなんという眺めだった。
高度が100メートル上昇する毎に、気温はおよそ0.6度下がるといい、標高1252メートルの大山は、江ノ島からは7〜8度気温が低い。
下社から約90分で登り着いた山頂は、樹氷の化粧をまとった樹木が立ち並び、下界とはまったく異なる景色で迎えてくれた。11時前だったが、太陽は分厚い雲に隠れ、吹きすさぶ風が体感温度をさらに下げる。
慌ててあるものすべて着こんだ上に、レインウエアの上下を纏う。風を通さないレインウエアはこんな時、防寒着にもなって便利だ。
体感温度はマイナス2〜3度だったと思うが、やはりここはビールで乾杯。
しかし、ホントに寒くてたまらないので、担いできた日本酒をガスバーナーで速攻熱かんにして体の中から温めることにした。
五合のパック酒が、あっという間にカラになってしまったのに、寒さのあまりまったく酔っていない。もっと持ってくれば良かったと心底後悔したが、お酒も切れたので、メインディッシュのラーメンの調理にとりかかる。
ところが、あまりの寒さにバーナーの火力が出ない。。。
こんなことなら寒冷用のガスを持ってくれば良かったと思ったけれど、あとの祭り。
それでも、なんとかガスボンベを温めながら、ぬるめの醤油ラーメンをつくり、体の中からしっかり温めて下山した。
しかし。。。
「なんか、酔ってないけど、ふわふわするなぁ」
とのんきなことをいいながら、歩いていた2人にも、下山に伴い気温が上昇するにつれ、熱かんが血中を駆け巡り、下社の辺りで、ひざが盛大に笑っていた。。。
なんとか2時をまわってバス停にたどり着き、そのまま鶴巻温泉へ。
汗を落とした後は、再び血中アルコール濃度を高めて帰路についたが、調布までの道のりがあまりに遠くて、酔い覚めした上に湯冷めしてしまった。
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