吉野中30期生同窓会

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 くたくたの身体で熟睡し、気が付けば同窓会の30分前。やべぇーと急いで準備をし、電車(いわゆるチンチン電車)に乗って悠々行くつもりだったのが、そんな余裕もなく即タクシーに飛び乗った。
 会場に着くと、あっちでもこっちでも、すでに「わぃはだいやったけ?」「○○よ。わからんとか!」「なぁ!? わからんじゃったどー。肥えたもんじゃ」(※1)とかいう会話があちこちで聞かれる。記憶の底にある懐かしい顔がそこらじゅうにある。しかし、名前がなかなか出てこない。クラスごとのテーブルに置いてある名簿と中学の時の写真とを重ね合わせて、やっと思い出す。意外と男子の方が、出るところは出て上がる部分は上がりと、容貌もずいぶん変わった人が多く、女子はそのまま綺麗にお年をめした感じだ。いずれにせよ、みんないい年の取り方をしていて、幼い頃の面影はそのまんま残っている。たしかにあの頃の顔が、声が、会場にあふれていた。
 開会の挨拶や、先生方のご挨拶、写真撮影と、どれもこれも和気あいあいと楽しく和やかに進行する。だれもがみんな笑顔をたたえている。先生方も、本当にお元気だ。僕らを受け持ってくれてから30年、今僕らはその世代になっている。あの頃は怖かった先生方も、今日は一緒に焼酎を酌み交わせる。鹿児島の郷中教育の名残からなのか、少なくとも僕らの世代は先生が絶対の存在だった。しかし、先生達は一所懸命教育してくれた。一緒に泣いてくれていた。身体を張って真剣に怒ってくれていた。そして今日、心から喜んでくれている。

6組担任のお名前を拝借したTシャツ。
とっても着心地がいい(^_^)。

 昔話はとどまることを知らない。そのうち、クラスを離れて、あっちこっちで小学時代の話まで遡る。吉野中は当時、3つの小学校の卒業生が通うマンモス校だった。1クラス40人ほどが10クラスある。人数も多ければ、各小学校での思い出も深い。「竹馬を作っせー遊んだどねー」「じゃったじゃった、わいげーの裏ん山で竹を切っせーよ」(※2)とかなんとか話をするうちに、時間はどんどん過ぎていく。会話に熱中するあまり、ビールや焼酎は進むのだが食べ物はほとんど手つかずのままだ。おかげで、写真を撮るのもすっかり忘れていた…。
 最後はおきまりの校歌斉唱だが、このときほど校歌っていいもんだなぁと思ったことはない。僕はブラバンだったので、伴奏するばかりで歌うことは少なかったのだが、ちょっとだけこみ上げてしまった。
 楽しい時間ほど、過ぎるのは早い。興奮と感激のうちにあっという間の3時間が過ぎ、それぞれクラス別に2次会へ突入。それにしても、僕らのクラスはひときわ出席率が高い。これも、幹事の3人が一生懸命頑張ってくれたおかげだ。
 住所探索から始まり、細かい事務作業や各人への連絡、企画の準備等々。さらに当日は、我がクラスのテーブルだけに置かれた、中学時代の写真をラベル代わりに貼り付けた特注特大焼酎。担任の先生の名前を拝借してプリントしたTシャツ。同窓会後の連絡用の絵はがき。BGM用に用意した当時流行った曲。さらに、これはうまいからと2次会用に用意してくれた焼酎「紅一刻」と、それを割る為に、同窓会当日に車で数時間かけて汲みに行ってくれた天然の水(!)。この日を記念したオリジナルのケーキなどなど。みんなのことを気遣い、最高の思い出を演出してくれた幹事に、みんな感謝の一言だった。


オリジナルケーキ。うんまかったー。

 この日の感激は、おそらく一生忘れないだろう。実際、戻ってからもしばらくはその余韻が抜けず、さっそく関東在住の同クラスの連中で飲ン方を行なった
 30人ほどの幹事さん達の苦労はいかばかりだっただろうか。後日作ってくれたHPを見るにつけ、当日の、そして当時の感動と思い出が蘇る。心より感謝の気持ちを捧げたい。ありがとう!
 この日にもらった力と夢は、その後の僕の日常を勇気づけてくれているよ。
※1:「君は誰だったっけ?」「○○だよ。わからないの!」「ええーっ!? わからなかったよー。太ったねぇ」
※2:「竹馬を作って遊んだよねー」「そうそう、君の家の裏山で竹を切ってきてさー」

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