ミャンマー紀行〜チン州への道〜(6最終話)
公開日:
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最終更新日:2012/05/25
無茶旅行
先日、ある著名な先生と「なぜ2時間毎なのか?」という議題でお話しする機会があった。このネタは全世界共通、老若男女問わず盛り上がるもので、全く違う用件でお会いしたのだが、先生も2時間苦悩のご経験者であったため「特殊な菌が作用している」とか「どこかの教授に2時間菌を突き止めて欲しい」とか「インドとミャンマーの菌は同じか」といった与太話で大いにもり上がってしまった。ちなみに後で振り返ると私の場合は間違いなくエイ村で飲み過ぎたジュが原因で、オヤジが割り水で使った地元の生水に2時間菌が混入していたようである。
一晩中お腹と格闘していた私には少々きつすぎると思われるほど煌々と眩しい光を輝かせる太陽が雲一つない青空に浮かんでいた。東に向いているテントの外幕を開けると朝の涼やかな空気と共に光がテントの中に注ぎ込む。2時間毎のおつとめこそ終わったものの、お腹に爆弾を抱えたような状態であることにかわりはない。昨日のカレーや、コテコテの油料理が出てきたらどうしたらよいものかと思っていたら、焚き火の横でシュエター達に指示を出していたルーインさんが「おかゆにしますか?」と声をかけてくれた。ルーインさんと私のテントは隣同士、おつとめの度に聞こえるテントのジッパーを開ける音で私のピンチを察してくれたらしい。「薬は飲みましたか?」と言われたが、インドでもどこでも郷に入りては何とやらでお腹のトラブルは自然治癒と決めている私である。おかゆは薬以上にありがたかった。
朝食のおかゆを熱いお茶と甘いコーヒーで流し込むと、気持ちも少しだけ落ち着いて、昨日やり残した山頂の写真や映像を獲ることにした。ところがである。登頂時に雨の中で無理矢理使ったためか、はたまた山頂の気温のためか、カメラもビデオもレンズや内部に結露がたまり正常に作動してくれない。レンズを太陽の方向に向け、私は辺りを散策することにした。そこでふと「大事な任務」を今まで忘れていたことに気がついた。
第二次世界大戦時のミャンマー、当時のビルマには他のアジアの国々と同様に沢山の日本人が兵隊として来ていたはずである。ナガの丘陵で首狩り族に首を狩られた人もいるし、インパール作戦では国境地帯で沢山の血が流れた。日本男児たる私に出来ることは何か…。チンの鼻笛でも触れたように私は大学時代に尺八を触ったことがあり、3000mの山頂から朗々と流れる音色が大地に響き渡れば多少の弔いにもなるのではなかろうかと考えた。実際は朗々ではなく「細々」とした音であったし「山頂で吹いたら気持ちいいだろうなぁ」という不純な動機であったのだが。まぁ戦後初めて外国人が入ったのは1999年のことだし、おそらくヴィクトリア山の頂で尺八を吹いたバカは私が世界で初めてであろう。「世界初」という響きにニンマリしながらとうとうミャンマーまで竹を持ってきてしまった。一人気持ちよく「ふるさと」を熱唱ならぬ、熱吹きした私にローシュエ達があきれ顔で笑っている。「あの日本人はよく分からん」そう顔に書いてあった。
ヴィクトリア山へ登るには通常2つのルートがある。私が登ってきたミンダからの道と、今日下っていくカンペレットからのルートだ。下ってみて初めて分かったことだが、カンペレットからヴィクトリア山までのルートは距離も短いし、道もそうたいしたことはない。南アルプスで北沢峠(約2000m)から仙丈ヶ岳(3033m)を歩く+αくらいである。出発前、太郎さんが「カンペレからじゃつまんないですから」といっていた意味がよく分かる。しかし、一方のミンダからのルートは少々厳しすぎで、暑気払いに幽霊屋敷に入ったら「本当にお化けに取り憑かれちゃうコース」と「照明完備で仕掛けも丸見えコース」どちらにしますか?と言われるような感じである。帰り道はなるべく短い方が気持ちも体もラクチンなので、逆のルートでなかったのは幸いであった。
山頂から歩くこと1時間半あまり。ふと見ると林道が見えた。小さな広場に原付が2台停められ、持ち主と思わしき2人の若者がこっちに気づいて手を振っているのが見える。ルーインさんの「やっぱりジープはだめか」という言葉の真の意味を理解することなく、私は山歩きが終わりを告げたことを心から喜んでいた。そしてシュエターやローシュエ、山と酒を介して親しくなった辺境の若者達との別れを惜しんだ。もっとも、シュエターの握手には力がこもっていなかったので、こちらが一方的に惜しんでいただけだったかもしれないのだが。
私とルーインさんがそれぞれ原付の後ろに座ると、原付はトトトと軽快なエンジン音で林道を走り始める。シュエター達は林道沿いにエイ村へ戻り、そこからミンダの街へ帰るのだという。なんでもシュエターはミンダの街からヴィクトリア山までを日帰りで走って来たことがあるそうで、そりゃ日本から来たサンデーハイカーが敵うわけないわなとひとりごちた。荷台にくくりつけたザックから突き出た懐中電灯がさっきから背中に当たって痛い。すぐにジープのいるところまで辿り着くだろうと、そのままだましだまし乗っていたのだが、結局ジープと再会したのは約30マイル(50キロ)も下った後のことであった。
「知らない方がその人のため」そんな詭弁を耳にすることがある。私にとっての雨季のミャンマーはまさにそれなのであろう。本来の雨季、山の状態を知っていたら二つ返事でのこのこ出かけてくることはなかったかも知れない。私がチン州に滞在した計4日間、天気の神様は奇跡を起こし、たった4日間だけ乾季とまがうような素晴らしい青空と山の景色を見せてくれた。白い雲と勢いよく茂る草木、通り過ぎる人々は田畑に精を出し、その横で牛や家畜が草をはむ、いつもと変わらない彼らの日常がゆっくりとした時間で過ぎている。ただ私を乗せたジープだけが、喧噪の日々に舞い戻るかの様にガタピシ揺れながら疾走していった。(完)
写真・文:小林渡(尺八を吹く写真:ルーインさん)
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Comment
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世界初、この記事へのコメント!(笑)
ちょっと元気になりますね。2時間ごとに憂鬱になるかもしれませんが。
AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.0.7) Gecko/20060909 Firefox/1.5.0.7
CKC岡本さん、やはり「世界初」に惹かれますか!
日本一とか、世界一とかはあまり興味がありませんが
「世界初」っていうのはなんともいい響きです。
山頂に沢山お土産(!)残してきましたけど(笑)。