自転車爆走400キロ!その3 〜想い出の竹田 前編〜
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最終更新日:2012/05/25
無茶旅行
ふと人の気配を感じた。
しばらくすると、ほのかに奥ゆかしい香りが鼻をくすぐる。すぐに線香と気がついたが、ん、仏壇のない三鷹の家になぜ線香が…と思って寝返りを打つと、目の前に寝相よく布団に収まった高野さんがいた。香りの主は隣の部屋にある仏壇からである。布団からはいだし居間へ向かう。時刻は7時半。今日から初仕事という妹のみっちゃんがそわそわしている。電車は8時過ぎだというのに落ち着かないらしい。お父さんはテレビを見ながら、居間の定位置でお茶を飲んでおり、お母さんも家事を淡々とこなしている。程なくして、ちびっこギャング達が起きてきた。しかも、居間に来ずに、そのまま辺境作家の布団にタックルしようとしている。慌てて連れ戻し、居間でわあわあやっていると、高野さんが起きてきた。時刻は8時。昨日の宣言はどこへやらである。
大人数で朝ご飯を済ませると、高野さんは朝の日課、旅の日記を、私はチビ達の相手をして過ごす。しゅんもまなも、どうしても構って欲しいらしく、目を離すと高野さんの元へ行ってはお誘いラッシュだ。
「お外行かない〜?」
3歳児に愛くるしい顔で言われては日記どころではない。その度にえんぴつとノートを置いては、外へ行ったり、ふとんで跳ねたりしている。
なんとか日記も終わり、フェリー乗り場と同じく大勢に見送られながらトノウエ家を出発したのは10時半。大分県全域に暴風・雷雨・波浪警報が出ていたが、雨も風もたいしたことはない。海からの強烈な湿気が着込んだカッパにまとわりつくのが不快ではあるが、ずぶ濡れになるよりはましだ。
トノウエ家から坂を下り、すぐのところに神社を発見。今日から明日にかけては九州山地に向かって走ることになるので、道中の安全もお願いしておく。しばらく走ると、今度は後ろの山中に白いパゴタが見える。いつも帰省する時は何となく見過ごしていたが、こうやって神頼みならぬ神探しモードになると、道ばたのお地蔵さんから、道祖神、馬頭観音、庚申塚までありとあらゆる神様がセンサーにひっかかってくる。一つ一つ停まっていてはいつまで経っても先に進めないので、急ぎの時は走りながら手を合わせたり、心で唱える事にした。
走り出して40分。臼杵の石仏に着いた。
磨崖仏(まがいぶつ)ともいわれ、文字通り崖を掘ってつくられた見事な仏様は、規模や風情こそ違えどバーミアンのそれと同じである。平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた沢山の仏像が、それぞれグループになって山の中に点在している。中でも一番有名なのは、仏頭が落ちたままになっていた石仏だが、平成に入って本来の姿に修復され、国宝の指定を受けた。
ふと仏像の脇を見ると、「あなたの願い事を祈祷いたします」というお触れ書きを発見。にやりとした高野さんがすかさず所定の用紙を手にする。「インドに行けなくて困っています。インドへ行って、ウモッカを探させて下さい。」と書いている。
どうせなら欲張りついでに「ウモッカを私が発見出来ますように」も書いときゃいいのにと思ったが、さすがに気が引けたのだろう。その横で、大金持ちに…と書き始めた私も「せめて会社が潰れず、日々楽しく暮らせますように」と、それ相応にしておいた。
石仏を発つと、ちょうど正午の時報が鳴った。今日の目的地は竹田市。60キロ近い距離が残っているが、山道なので平均速度はなかなか上がらない。雨が上がると、今度は向かい風が行く手を遮る。面白いもので、もう限界だーとへばりそうな瞬間、ふと横に鳥居や、祠やお寺が見える。その度に自転車を停め、お祈りという名の小休止をとる。最初のうちは熱心に願をかけている高野さんの後ろでおちゃらけて写真を撮っていたが、地獄で仏ならぬ、ピンチで仏を体感してからは、私も一緒にお祈りの輪に加わった。現金なもんである。
夕日が山にかかり、にわかに風が寒くなり始めた頃、我々二人は竹田市に到着した。竹田市というと「ああ、竹田の子守歌の」と早合点されるが、あれは京都の民謡だ。かわりといっては何だが、竹田市には日本の名曲『荒城の月』(滝廉太郎作曲)のモデルになった岡城がある。ちょうど岡城の下をくぐるトンネルで市内に入ると、ひとまずお城へ行こうと自転車を止め、岡城址へ歩いて登る。
「はーる〜、こーおーろーおーの〜、はーなーの、えーん〜」
歌いながら坂を登っていたら、高野さんが
「あの曲、暗いよね」
雰囲気ぶち壊しである。
後で地図を見て気がついたが、竹田の市内はすり鉢のようにぐるりと四方を囲まれた中にあり、岡城はそのすり鉢の縁にそって長細く続いている。石垣の上から今日来た道を見下ろし、一息つくと、暗くなる前に宿を!という二人の思惑が一致し、早速下山、再びペダルを漕いだ。
駅の観光案内でビジネスホテルを確認し、飛び込んでみると何とインターネット付、しかも無線LAN対応である。岡城から駅への道すがら、良い感じにひなびた市街を見て「こりゃ、今日はインターネットは無理だな」と諦めていたから喜びもなおさらだ(結果的に、私はこの恩恵に最大限あずかることになったのだが)。程なくして集英社の旅日記担当の編集者から電話がかかってきた。集英社文庫のサイトへアップする前の著者校正だ。
「じゃぁ、今から宿にFAXして下さい。番号は097の…」
ネットなのにFAXで校正である。
すると今度は私の携帯が鳴った。
「小林さん、今日オフィス何時頃帰ります?」
言葉に詰まる。
「いやー、ちょっと今日は帰れないです」
「帰れるわけねーじゃん」
横でツッコミが入る。
先週入稿した『サックス&ブラスマガジン』の下版日が今日らしく、譜面の一部分に編集部内で意見が割れているらしい。
「傷だらけの天使の6小節目、5つ目の音はラじゃなくて、ファの♯じゃないかって・・・」
いずれにしても、ゲラも音もないのでどこの部分だか分からない。思わず
「チャララー、ララララのラんとこですか?」
と聞き返す。電話を通して、男二人がチャラララ、チャラララ言い合う姿はちょっと異様だ。
結局、ゲラをホテルにFAXしてもらい、メールで「傷らだらけの天使」のmp3を送ってもらい、その場で再チェックする事になった。
高野さんのVAIOのスピーカーに耳を近づけ、ひたすら「傷天」を聞き返す。仕事の時は専用のヘッドホンで音を確認するのだが、VAIOのスピーカーでは、高音ばっかり聞こえてきて埒があかない。結局「傷天」は解説文でフォローを入れる事にした。メールで編集者宛に追加の解説文を書き、既にビール待ち状態の高野さんと夜の竹田市に繰り出した。
しかし、今日も強烈な夜が待ち受けていることを、この時の我々は知るよしもなかった。
(つづく)
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