上野動物園ゾウ秘話(1)
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最終更新日:2012/05/28
辺境動物記
長らく行方不明になっていた本が発見された。
「もう一つの上野動物園史」(小森厚著、丸善ライブラリー)
動物好きの私には面白い話がてんこ盛りだが、特にゾウの箇所は驚かされた。
いわゆる「かわいそうなゾウ」という話があるだろう。
戦争が激しくなり、猛獣を処分しなければならなくなった。
ゾウもその対象となり、毒の入ったエサを与えたが、賢いゾウはそれを食べない。
皮膚が厚くて、毒薬の注射もできず、しかたなく、動物園側はエサを与えることを中止した。餓死させるのだ。
ゾウにはなぜあれだけ優しかった動物園の人が食べ物をくれなくなったのかわからない。ふらつく身体で立ち上がり、一生懸命、芸をして見せる…。
と、これだけ書いてもうすでに目がうるうるしてきた。
私は動物が死ぬ話はダメなのだ。
小説でも映画でも人間が死ぬのはいっこうに平気だが、動物は耐え難い。特に、イヌとゾウが死ぬのは許せない。
イヌやゾウを勝手に殺して「泣ける映画」「感動の物語」など、反則以外の何物でもなく、映倫は厳しく取り締まるべきである。小説なら焚書だ。
(ドキュメンタリーなら全然かまわないが)
あ、話がそれた。
その「かわいそうなゾウ」だが、事実は異なるということをこの本で読んで初めて知った。
一般に流布しているストーリーでは、軍の命令で動物たちが処分されたことになっているが、それはちがうのだ。
これは昭和18年秋の話だが、まだ空襲は始まっていない。空襲が始まるのは、敗色が濃くなった一年後の19年秋からである。
18年秋はまだまだ「勝ち戦」が続いていた、少なくともそう信じられていた頃だ。
では、軍でなく、誰の命令だったのか。
東京都長官の命令だったという。
当時の長官は大達茂雄という人物で、それまで日本占領下の昭南市(シンガポール)市長を務めた。
彼はシンガポールで、この戦争が生易しいものではないことを身にしみて感じた。そして、「勝ち戦」を信じて疑わない国民に警告を発するために、あえて「猛獣処分」を行った。ある意味では、軍の威光にさからっての命令だともいえる。
それが「軍の命令」にすりかわった理由について、著者の小森氏はこう言っている。
「何でも悪いことは軍隊のせいにして、己の口を拭い、戦後も羽根を伸ばしてぬくぬくと生き延びようとした風潮のなせる業だろう」
いや、ほんと、そのとおりだ。
もっとも、この「かわいそうなゾウ」の真実は、この前、NHKのテレビでもやっていたから、もう「知られざる話」ではないかもしれない。
じゃあ、もう一つ、もっと面白い話をこの本の中から紹介しよう。
やっぱり、ゾウの話だ。
(つづく)
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