上野動物園ゾウ秘話(番外篇2)
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最終更新日:2012/05/28
辺境動物記
タタール系ロシア人、ユセフ・トルコはその後どうなったか。
ユセフはリング内外で悪役の道を歩みつづける。
力道山の死後は、猪木の新日本プロレスに参加、レフリーを務めるいっぽう、外人レスラーとの交渉役にもなる。
世紀の一戦「猪木対アリ」戦を新間寿とともに仕掛けたのもユセフだとされている。
もしかしたら、ユセフがムスリム・ルートを使って(あるいは同じムスリムだという同胞意識を利用して)、嫌がるモハメド・アリを口説いたかもしれない。
そういえば、猪木は異種格闘技戦で、パキスタンへ行き、同国の英雄アクラム・ペールワンというレスラーと戦い、ペールワンの腕をへし折ったこともある。
新日本プロレスがパキスタンにビジネス・ルートをもっているはずがない。
あれも、ユセフの仕業ではないか。
まず間違いなくお祈りもしてないし、酒も飲み放題であるユセフが、ここでも「ムスリムカード」を切って、興行を成立させた可能性がある。
アリやペールワンとの試合はセメントだったらしいから、まだよいのだが、問題は格闘技ファンには伝説となっている「猪木対”熊殺し”ウィリー・ウィリアムス」の試合だ。
これはユセフの演出である。
少なくとも、ユセフ本人は、もう十数年前に出した自身の暴露本でそう述べている。
今では珍しくもないプロレス暴露本だが、実際にプロレスの現場にいた者が実名で「あれは全部やらせだ」と書いたのは、ユセフが最初だろう。
極真空手最強の男・熊殺しのウィリーとの試合は、前日にリハーサルがあり、猪木がユセフに「ウィリーは本気で来ないでしょうね?」と心配そうに何度も訊ねた、などという記述があって、若かった私を打ちのめしたものだ。
私は知らなかったが、ネットで調べてみたら、なんとユセフは、親父が食い物にした東京モスクを、同じように食い物にしようとして疑いがあるという。
東京モスクは、最近新しいものが完成し、あちこちで大々的に宣伝しているが、古いモスクを取り壊した跡地の売買をめぐって、ユセフが暗躍し、詐欺だか恐喝だかで逮捕されたことがあるという。
何年前の話かわからないが、週刊誌沙汰になったというから、憶えている人もいるかもしれない。
今は「プロレスOB会を作ろう!」と呼びかけているという噂も聞く。
また、そこで一儲けしようというのだろうか。
やっぱり、金に困ってるんだろうな。
プロレスという職業があまりに特殊なショービジネスなだけに、そこから出てしまうとふつうのことができなくなるのだ。
ならば、この際、もう一度ショービジネスに帰るほうがよいのではないか。
余計なお世話だが、私はユセフのために企画を考えた。
ユセフに顔をすすで黒く塗ってもらい、上野動物園でゾウ使いをやらせる。
もともとさんざん悪役を演じてきたのだから、顔を黒く塗って偽者に化けるくらいちょろいもんだろう。
あのモハメド・アリや熊殺しのウィリーを手なづけたくらいだ。ゾウくらい仕込めそうな気がする。
でも、また四谷警察署に拘引されたりして。
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Comment
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そう言えば、ウィリーは猪木戦の前はスクールバスの運転手だったのに猪木戦のあとは何故かビジネスを始めて失敗してたのも。 肘の筋を部分断裂してたはずなのに帰りの成田空港では重そうなスーツケースを軽々と運んでたのも分かりますね。
ユセフの息子は何をしてるのかな?
高野さん、ユセフの本を書いてください。
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ユセフ・トルコ懐かしいです。40年ぶりに思い出しました。絶対的チャンネル権を握っていた父が見ていたプロレス番組で、ヒイキばかりしていい加減なユセフ・トルコを「とんでもないレフリーだ」とプンプン怒ってみていました。高野さんの文章を読んでいると同じ時代の空気を共有している気持ちになれます。でも高野さんは年齢的にはリアルタイムではユセフトルコを見ていないのではないでしょうか。
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うーん、どうなんでしょう…。
昭和41年生まれですから、日本プロレス時代はまったく記憶にないのですが、新日本なら見てもおかしくはないですね。年齢的に。
でも、うちは父親の教育方針で、「プロレスは馬場の全日本」となっていたから、新日本はタイガーマスクが登場するまでほとんど見たことがない。
あとでビデオで見たのが、記憶の改竄につながったのかなあ…。
でも、ユセフ・トルコというのは心の奥底を動かすごく「なつかしい」名前なんですが。
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ユセフトルコの次に「なつかしい」のが「吉村みちあき」(違っていたらごめんなさい)です。吉村が外人レスラーに凶器で殴られ始めると同時に、ユセフトルコが背中を向けて、決して吉村を振り返えらなかったのが子供心に「どうしよう。大変なことになった」と焦ったものでした。
ところで、猪木が1990年〜1991年の湾岸戦争で取り残された日本人家族を励まそうとイラクで興行を行ったことを以前プロジェクトX風の番組で見ましたが、家族を帰国させるチャーター機がみつからず往生した際に、トルコ航空が手を差し伸べ、無事帰国できたということでした。なんだかこの一連には、ムスリムつながりでユセフトルコの商魂がちらつきますが、深読みでしょうか。
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猪木はアリ、ペールワン以外はプロレスショーでしたね。
燃える闘魂とはまさに作られた虚像で、
セメントの恐怖のあまりにペールワンにサミングを仕掛けた猪木ですが、
後年のVTのサミング野郎ゴルドーみたいで汚いですねー。
猪木に肩を外されたペールワンですが、
その後一家は没落して、彼は自殺したんだとか。