ミャンマー紀行〜チン州への道〜(5)
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最終更新日:2012/05/25
無茶旅行
ミャンマーへ来てからの私はいろんなことに驚いていたが、中でも一番私にとってサプライズであり、そして日本よりもいいなと感じたことは「食うには困らない」ということであった。どんなに貧しそうな家でも、それが辺境の村であっても食べ物はそれなりに沢山出てくる。最初は客人へのもてなしと思っていたのだが、どの家庭でも同じ様だ。もちろん現金で購入するようなものにはそれぞれの家庭の事情が色濃くでてくるが、ひとまず食うだけであれば何とかなる。それだけ自給自足という生活が身近なものになっているのだろう。
床下の雄鶏が朝一番の雄叫びを高らかに放つと、夢の世界から現実界へと一気に引き戻され重い瞼が少しずつ開かれる。気づくと私は寝袋を掛け布団のようにしてマットの上に横たわっていた。まだ体中、特に顔の周りが熱くほてっており、猛烈な喉の渇きが襲う・・・。まぎれもなく二日酔いであった。ふと昨夜の記憶を手繰り寄せるが、学校でチンの踊りを見た後、皆で囲炉裏を囲んでわあわあやっていた後が思い出せない。ジュを一気飲みしては、ギターで歌っているシーンが断片的に浮かんでくる。ひとたび泥酔するとところかまわず寝てしまうという悪癖のある私は「ひょっとしてシュエター達に寝床まで担がれたのでは」と最悪の状況を脳裏に思い浮かべた。痛飲した翌日、前日のあやふやな記憶に苛まされたご経験のある左党の方も少なくないだろう。そういう時は決まって物事の思考が限りなくマイナス方向に片寄っていくものだ。酔っ払いの外国人に愛想をつかして「今日から先はひとりで登ってくれ」とか「お前の荷物は持ちたくない」とか言われたらどうしようかとか、あらゆることを心配した。ふと左隣を見るとルーインさんも目が覚めたようだ。恐る恐る昨夜について訊ねてみると「自分で『そろそろ寝ます』って寝袋入ってましたよ」とのこと。むしろ私の大いびきで寝付けなかったことの方が大問題だったようだ。
二日酔いに良薬がないのはご存じの通りで、寝るなりボーっとするなり、ひたすら休息をとるのが回復の近道だ。二階のベランダ兼廊下に置いてあるイスに腰掛け、お茶を飲みながら虚ろな目で外を見ているとオヤジが「お、酔っぱらい。飯食えるか?」と声をかけてきた。食べたらそのままリバースしそうな勢いであったが、ここははるか極東の地より来た外人として日の丸のメンツにかけて笑顔で「オフコース」と答えておいた。しばらくするとローシュエがトーストとカレーに大甘のコーヒーという酔っぱらいにはハードルの高い朝食を運んできた。こみ上げるゲップを押し隠し「ナガーニア」と言えば、ローシュエも「ガガギ!」と返してくれる。国と人種を越えた友情が育まれた証、二日酔いと引き替えに私が手にした尊いモノであった。
出発は8時半、トーストを1枚かじった後はひたすらお茶をがぶ飲みし体調の回復に専念する。二日酔いを悟られまいと一眼レフを持って前日に踊りを見た小学校や、隣の民家などを撮影しにうろうろしたが、結局体内に残っていたアルコールが隅々まで回る結果となり逆効果であった。部屋に戻り荷造りを終えると、いよいよヴィクトリア山まで6時間余りの道のりがスタートした。
「雨季はヒルもすごいよ」
日本を発つ前に誰かから聞いていたが、昨日の山道では一度もお目にかかることはなかった。しかし今日は林道にもジャングルにも出るらしい。ポーターは雨に備えてビニールの雨合羽を着ているが足はビーチサンダルに履き替えている。ヒルは嫌だが靴で歩くのはもっと嫌ということのなのだろうが、ヒルよけのニンニクはちゃんと持ち歩いていてワケが分からない。30分おきくらいにズボンをめくってチェックしてみるとやっぱりヒルがくっついている。林道は轍のまわりに高さ10〜20センチ程度の雑草が茂っているのだが、そこで我々「獲物」を静かに待ちかまえて、通り過ぎる際にズボンや靴に飛び移り新鮮な血を求めて足へと移動する。ラッキーなことに私はズボンに張り付いているのを見つけるのみで血は吸われなかったが、私の前を歩くルーインさんは3匹ほどやられていた。もちろんサンダルのシュエターやローシュエ達は吸われまくっている。その度にスライスしたニンニクをヒルに押しつけては天誅を下していた。
最初の1時間は平坦な林道のみを歩いていたが、次第にショートカットが多くなってくる。確かに歩く距離は短くて結構なのだが、いきなりきつい急坂になるので足への負担は大きい。しかも自分の息がアルコール臭いと感じる程の体調である。暑さと脂汗でTシャツははやくもびしょぬれであった。平坦な道ではそれほどでもないのだが、坂の斜度が上がってくるとクラシックカーの様にエンジンならぬ足が悲鳴を上げて息が荒くなる。後10分遅かったら大の字になっていただろうという限界地点でシュエター達が火をおこして昼食の準備をしているのが見えた。
座って一息つくと良いタイミングで熱いお茶の入った魔法瓶が出てきた。ちょっとスモーキーフレーバーなミャンマーのお茶はクセになる味で、酔っぱらいも手伝ってすごい勢いでがぶ飲みした。昨日は全行程を1本ですませた「Alpine」のミネラルウォーターもすでに午前中で1本空いてしまっていた。シャキシャキした緑の野菜がたっぷりと入ったミャンマーのラーメンがでてくると私は夢中になって食べた。何が書いてあるのかサッパリ分からないビルマ語に混じって微かに読めるアルファベットが「Yum Yum」というインスタントラーメンであることを教えてくれる。辛さと麺の具合が絶妙でお代わりをした私は全旅程でもトップクラスの「飯」としてこのラーメンを記憶した。帰国前にヤンゴンのスーパーで20食買い込んだくらいだ。お腹が落ち着くと酒もやや抜けたように感じられ少しだけ元気が出てきた。先程まで青色が広がっていた空はどんよりとした灰色に包まれ、山特有の霧も出始める。昼食を手短にすませると我々は先を急いだ。
林道をさよならし、いよいよジャングルのような山道になる。斜度もきついが、それに追い打ちをかけるように雨季の雨が降り始める。カメラバックを雨から守るようにカッパを着ると、ぬかるんだ山道を一歩一歩踏みすすめていく。靴が濡れないように足下を選んでいたのも最初のうちだけで、すぐに川のようになった道に勢いよく水が流れて靴もびしょぬれになった。小雨から台風のような土砂降りに変わると、カメラバックをかばうようにして着てきたカッパはジッパーのかけられない前面が無防備となり、つまりTシャツむき出しの胸や腹に容赦なく雨粒がたたきつけ急速に体温を奪っていく。休憩をしようにも腰を落ち着けるわけにいかず、そして何よりも動いていないと寒くてたまらない。一行の目の前にヴィクトリア山山頂のパゴタが見えたのは雨に降られてから4時間後のことであった。
2000年の初登頂時は全行程で雨に降られ、山頂ではテントも水浸し、火がおこせず食事もままならないという最悪な状況だったそうだが、今年になって山頂に雨をしのげる屋根のついた建物がつくられ、そこにテントを設営することになった。ポーター達は火をおこすための薪集めに奔走している。酒はすっかり抜けた私だったが、上半身の前面を雨に打たれ続けた私は体が思うように動かない。手はまっ白で体が震えていたので、おそらく軽い低体温症のような状況だったと思われる。しばらくすると雨もやみ、次第に空が晴れてくるとミンダの街並みが見えるようになってくる。サンダルで山を登り切ったポーター達は疲れなど全く感じさせずにせわしなく動いていたが、一方の私は体中が冷え切ってしまいカメラで風景を撮ることも忘れ、3時から夕食までテントの中でセーター・寝袋で横になっていた。
「ご飯が出来ましたよ〜」
ルーインさんの声で目が覚める。既に辺りは暗闇に包まれ焚き火の赤い炎が幻想的にポーター達と料理を照らしていた。体は大分温まったというもののテントを出るとまだ肌寒い。カッパを上に着て完全装備で夕食のカレーに手を伸ばす。なんと日本のバーモントカレーだった。ミャンマーの食材と日本のカレー、二国のコラボレーションは絶妙ですぐにお代わりをしたが、直後満腹感でハタと、箸ならぬスプーンが止まった。これが「ヴィクトリア山山頂の悲劇」の幕開けだと気づくのはもう少し後のことになるのだが、カレーを食べ終わった私にシュエターが「今日は飲まないのか?」とからかうようにマンダレーラムをすすめても、何故か今日はお酒に食指が伸びない。まだ7時にもなっていないというのに、再びテントに入って一足早い山頂での眠りにつくことにした。その瞬間、悲劇の幕は切って落とされた。8時、猛烈な腹痛で目が覚める。お腹が冷えたことによる下痢だろうと、紙を持ってトイレにでる。草むらに腰を下ろし空を見上げればきらめく数多の星々、ロマンチックな満天の星空とのミスマッチがおかしかったが、笑っていたのは最初のうちだけ。以降10時、12時、2時、4時、6時と、きっかり2時間毎に起きる羽目になったのだ。
美しい夜空の下、世界の中心で…ならぬ「ヴィクトリアの山頂で●●を放つ」。
クサくてツラい、そして孤独な戦いのゴングが静かに鳴った。。。(つづく)
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