自転車爆走400キロ!その1
公開日:
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最終更新日:2012/05/25
無茶旅行
今月は雑誌の校了が2つと、教則本と曲集の進行を2本抱えているのだが、そんな切羽詰まった状況にこそ、ムラムラと湧き上がってしまうのがスケベ心・・・ではなく、冒険心である。
ということで、会社を休んで4日間、自転車担いで、四国は松山から九州は宮崎まで爆走してきた。その距離だいたい400キロ。
事の発端はそれより二ヶ月ほど前に遡る。
このブログでもお馴染みの辺境作家:高野秀行氏が、弊社にふらりと訪ねてきて、突然
「インドへ行けるよう、道中の神様にお祈りしながら自転車で沖縄へ行く」
と声高らか・・・ではなく、ぼそっと切り出した。
注)なぜインドへ行きたいのかは本人のブログにて
聞けば高井戸の自宅から弊社のある調布まで自転車で来たそうである。しかも、国内での本格的な無茶紀行は殆ど初めてとのこと。19歳でコンゴに行くより先に日本でも行くところがあったのではないのか・・・?と心でツッコミを入れてから、あれこれルートや宿の見つけ方、Google mapの使い方などなど、日本の旅に役立ちそうなことを伝えた。
私は小1で父と共に長野の実家から祖母の家まで歩いたのをきっかけに、日本を横断(富山〜東京)、縦断(鹿児島〜青森)、更には大学時代に自転車で四国の八十八箇所を制覇しており、多少の小ネタというか、独特の嗅覚のようなものが備わっている。それらは未だに「知らない土地で良い飲み屋に巡り会う」とか「村一番のうまい店に偶然入る」といった実益となっており、バカに出来ない。
それから一ヶ月後。
翌日、出発を控えた高野家で壮行会が催された。とは、名目だけで、松も開けて一週間ほどという空気も手伝い、宴席はあっという間に新年会のどんちゃん騒ぎへと変貌を遂げた。ワインもビールも焼酎も、ボトルがガンガン景気よく空いていく。すでに自転車旅行のことを話題にする人はいなかった。酔っぱらいと喧噪の中、取り残された主役が一人地図を見つめている。その淋しい背中、次々空いていく空瓶。飲めや歌えやの酔っぱらい達。
私はとうとう言ってしまった。
「途中、一緒に走りましょう!」
そして当日。
お互いの予定を調整した結果、連休明けに合流することになった。世の中が三連休明けのけだるさにムチ打つ中、夏休みでもないのに、いい歳した男二人が仕事もせずひたすら自転車を漕ぐのだ。それだけでも背徳の気分である。
もっとも高野さんは、この自転車旅の顛末を旅日記として集英社文庫のサイトに連載しているし、今後これをネタに本を執筆するであろうから、背徳は私一人だけなのだが。
バスでぐっすり寝られるように東京駅の名店街で嫁と高校時代の友人とで壮行会を行い(飲み放題コース)、すっかり酔っぱらったまま、八重洲口から出る松山行きのドリーム号に、拝み倒して自転車を積んでもらう。おかげさんで目が覚めるとバスは愛媛県に入っていた。
JR松山駅で身支度を調え、9時に出発すると、1時間25キロの快速ペースで伊予路を西に向かって突っ走る。前日まで高知県は西土佐に滞在している高野さんとは、八幡浜のフェリー乗り場で落ち合い、そのまま嫁さんの実家がある臼杵へと向かう算段だ。
今の自転車は私にとって三代目になる。いや、四国を回った時は弟のマウンテンバイクを勝手に拝借したので、実際は二代目か。なんにせよ、もう20年近く前のクロモリフレームのロードレーサーをフレームだけ残して全パーツ入れ替えてもらったオリジナル仕様だ。こうやって書くとかっこいいが、実際はロードレーサーのギヤ比が厳しすぎて、長野から東京へ帰ってくる時、勝沼の坂を押して歩いたというかっこわるい経験から、峠道でも漕いで行けるようギアのレンジを広げてもらったり、パーツを軽くしてもらったりと、三十路過ぎのオヤジ仕様ロードレーサーである。二十代では使わなかった、靴がペダルから離れないSPDペダルも採用して、「体力を金と装備でカバー」という典型的な大人仕様にしてある。
海沿いの道は思いのほか空いていて気持ちが良い。気が付くと昼前には八幡浜まで15キロの標識が出てきた。「あー、うどんくいてーな」と思ってカーブを抜けたら、目の前に「うどん」の幟が潮風にはためいている。これは食うしかないと、スタートして以降初の大休止兼昼飯にした。もちろんビール付きである。
このあたりの名産だという、「じゃこ天」入りのコシのあるうどんがノドをつるつると駆け抜け、キンキンに冷えたビールが胃袋に注がれる。目の前には瀬戸内海の青い海が広がり、しかもお天道様はまだ頭上まで届いていない。早めのランチに入ったと思われるスーツを着た営業マン風の男性が、ビールの泡を見つめている。
「も、申し訳ない」
地元の味をビールと共に堪能した私は、店を出ると颯爽とペダルを漕ぎ始めた、つもりであった・・・が、しかし、足が重い!!
トンネルに向けてだらだらと続く坂と、ひさびさのチャリンコ紀行、そしてアルコールがてきめんだった。
うどんを境にがくっとペースは落ちたが、それでも1時過ぎには八幡浜のフェリー乗り場に到着。高野さんに電話をすると「まだかかりそうなので、大分県と九州全図を買っておいてくれ」との指令。再びチャリに乗って、一つ前の集落、保内まで戻る。大分県、九州全図の他、気を利かして宮崎県の地図を買ったつもりが、うっかり長崎県の地図を買ってしまう。「崎」しか合っていないし、長崎はルート外だ。
保内から八幡浜まではおよそ2、3キロ。「貴重な到着ショットを納めねば!」と、峠を激走してフェリー乗り場に戻り一息つくと、彼方からチャリダー高野先生がこっちに向かって走ってくる。
実に1ヵ月ぶりの再会であった。
(つづく)
高野さんの自転車爆走日本南下旅日記「神に頼って走れ!」
集英社文庫のウェブサイトにて連載中。こちらをどうぞ。
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Comment
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うどんくいてー!!(^^)
ちなみに「じゃこ天」は、地元では「てんぷら」と呼びます。
てんぷらもくいてー!!
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スタカシさん、こんにちは!
おお、じゃこ天は、地元のスタンダードてんぷらなのですね!
お腹が減っていたこともあるけれど、間違いなく愛媛でとびっきりの味でした。
ちなみに、八幡浜のフェリー乗り場でもうどんくってしまいました。
うどんさいこー!!!